【コラム】「素材」と「旬」


地球全体をひとつのテロワールとして 東京風の料理、トキオネーズをめざしてみないか──。

シェフパティシエ 成田一世さん

昔に比べて旬という感覚が薄れてきた」という類の発言をよく耳にするのは私だけではないだろう。「季節」に関するこのような傾向は、特に「食」、料理の世界に顕著だと言えるかもしれない。そこで今回は「素材と旬」について考えてみたい。

素材と旬については、野生動物の暮らしを例にとるとわかりやすいと思う。野生動物は越冬に備えてテリトリー内の秋の食物を選んで貯蔵したり、冬眠する場合は秋に食べたものを脂肪に変えて体に蓄えたりする。無事に冬を越えたら、春に芽吹いた植物などから冬には摂れなかった栄養素を摂取する。これが「旬を食す」ことで、古くは人間も同様に、季節に寄り添った営みを続けていたのだろう。

フランス料理の歴史をひも解けば、各県ごとにその土地でしか生産できないものがAOCで定められていたり、季節ごとの食材にオリジナルな食べ方があったりして、そうしたものを上手に組み合わせて、スペシャリテとして作り上げてきたものが多いように思う。

かつての「旬」は短い期間であったから、調理の目的は、その短い季節の〝産物〟をどうやって食べるかということに絞られた。そのまま食べることはもちろん、いかにして保存すべきか、塩漬けや糠漬けか、あるいは干すか。さらにどうしたら保存したものをおいしく料理し直すことができるか――。

現代人は、その旬をコントロールするようになってきた。とりわけ日本は国土が南北に長いため、農作物の旬はタイムラグを生みながら長く続く。ことに、ごちそうである「走り」を意識して、より早い時期に出荷する方法を追求していったため、生産地はどんどん南へと移動していった。また、同じ野菜でも、地域ごとでさまざまな品種が作出されたが、ニーズの多い品種については、日本各地で生産できるように品種改良も進められてきた。産地こそ違うものの、食べ手側は、それだけ長く旬を楽しめるようになったのだ。

流通システムの著しい発達も大きな影響を及ぼしている。北半球と南半球の旬のものが同じ季節に食べられる時代がやってきたのだ。例を挙げるなら、これまで冬の料理にしか使われなかったトリュフが、夏の料理にもたっぷりとのる時代になった。冬にしか食べられなかった柑橘が、夏の料理をさっぱりとおいしく食べさせるアクセントになっている。そして日本では、ジビエの季節にしか食べなかった鹿肉を夏にもおいしく提供しようと試行錯誤する料理人も増えている。「旬の食材をおいしく食べていただきたい」というレストランも少なくないが、流通の力で東西のみならず北半球も南半球もひとつに結ばれた今、「素材の旬」をどう定義するのか――。

フランスでは、同じ季節にとれる旬の素材を上手に組み合わせておいしく食べる方法を「マリアージュ」と呼ぶが、これからはそのマリアージュの幅も広がっていくと思う。

そして、旬のとらえ方は限りなく二極化していくだろう。つまり、ある限定された地域でしか食べられない、その地域に根付いた原生種のようなものを食べることが「旬を食べる」ということであると同時に、ヨーロッパ、南米、アフリカなど、世界中から集められた旬の食材を組み合わせて食べることも同様に「旬を食べる」ということになる。そういった意味では、素材の旬というのは限りなくあいまいなものになっていくはずだ。

四季の移り変わりの中で生きてきた日本人には、他の国の人に比べて旬に対するこだわりが強く、季節ごとの味の記憶が鮮烈に残っている人も多いため、消えていく季節感を残念に感じている人も少なくないだろう。だが、私はむしろこの状況をプラスに捉えている。

フランス料理には、県ごとにマリアージュのスタイルやルールがあって、「リオネーズ(リヨン風)」「、ボルドレーズ(ボルドー風)」、「プロバンサル(プロバンス風)」などというようにカテゴライズされてきた。これは流通の未発達を逆手にとって地域性に置き換えた、ある意味賢いやり方ではあるが、現在の東京のように、流通の発達した場所なら、北半球も南半球も関係なく、地球1個をテロワールと考える、いわば「トキオネーズ(東京風)」と呼ばれるようなフランス料理ができ上がってもおかしくない、と私は思う。

地球全体をテロワールとして捉えると、これまで食していなかった「旬」も入ってくるが、それもまた新しい味の提案の材料となり、新しいファッションとして食べているうちに、人々はその味に慣れてくる。新しい味、新しいマリアージュが、東京からなら、簡単に作り出せるような気がしているのだ。

では、トキオネーズを確立していくために、作り手は何をするべきなのか――。

若い料理人は、まず、同じ素材でも生産地、品種の「違いを知る」ことから始めたらいいだろう。ニンジンひとつとっても、京ニンジン、雪下ニンジンでは味も使い方も違ってくる。そうした素材の違いを見極め、違いによる調理のアプローチを考える。素材のポテンシャルを、調理というプロセスによって引き出して、その味の結果をマリアージュさせて、食べ手に「おいしい」と思わせる自分なりのニュアンスを作り出す必要がある。

たとえば、鹿肉を提供する場合、ジビエの季節であれば、ガルニチュールにはビーツなどの根菜を使うのが代表的と決まっているが、夏鹿のガルニチュールには、新たなルールが必要となってくる。ラタトゥイユのような調理のプロセスを応用して作り出されたものなどが合うかもしれないし、あるいはそれ以外の夏野菜料理を工夫すべきかもしれない。「おいしさ」という点では、お客さまの旬に対する思い入れがどの程度なのかを理解する必要もあると思う。はっきりとした旬の味の記憶を持つ世代と、旬にこだわらず、いつでも何でも食べられる世代のお客さまとでは、おいしさの価値観が異なる。私は、「これからは、作り手がおいしいと思うものではなく、お客さまがおいしいと思うものを提供すべき」と言い続けているが、それには旬に対する理解も不可欠なのだ。

旬がなくなってきている現状をポジティブに受け止めて、自分独自の味のバリエーションを生むチャンスにすべきだし、さらに発展させて、日本独自のルールを作り出すべきだと私は思っている。生魚にご飯を合わせて食べる国は日本だけだったが、今では世界中がそれをおいしいと言い始めているではないか。

そんな日本で仕事ができていることを私は誇りに感じている。日本の東京というシチュエーションをフルに活かして、悩みながらも新しい旬のおいしさを作り続けることに、あなたもプライドを持ってみたらどうだろうか。

愛媛県でブルーベリー栽培が行われていることを知り、内子町の山頂(標高650m)にある農場を訪ねた。使命感と情熱を持って試行錯誤を繰り返す生産者の方たちとの出会いもあった。

KAZUTOSHI NARITA
1967年、青森県生まれ。高校時代はスキー部とボート部で活躍するスポーツ少年だったが、卒業後はシェフパティシエの道へ。99年に渡仏。一ツ星店「ステラ・マリス」、三ツ星店「エノテカ・ピンキオーリ」「ピエール・エルメ・パリ」などの名店で腕を磨く。NYの「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」時代の2007年に、パンとデザート部門でBest of New York に選ばれる。17年には、「アジアのベストレストラン50」の「アジアのベストパティシエ賞」を獲得。現在、「エスキス」「アジル」「エスキスサンク」のシェフパティシエとして活躍中。

本記事は雑誌料理王国2017年10月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2017年10月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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