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イタリア乾麺(パスタ)の歴史


乾麺パスタ・セッカ というプロダクト・デザイン

車にファッション、家具。イタリアはデザインの国といわれる。国民食の乾麺もまた、イタリア人の職人技と出来心、感性で発展してきた海外に誇れるプロダクト・デザイン。乾麺発展の歴史を追いながら、デザインとしての側面を見てみたい。

Ⅰパスタの都の変遷 

イタリアに乾麺をもたらしたのは、アラブ商人という説が有力だ。砂漠をラクダで移動した彼らは、小麦粉の保存性を高め、乾麺にして運んだといわれる。

9世紀から11世紀、アラブの支配下にあったシチリアは、イタリアで乾麺がもっとも早く伝わった場所だった。シリアやレバノンでは、今もリスタと呼ばれるショートのマカロニを豆と一緒に食べることが多く、これが乾麺の原型といわれる。イタリアで最初の乾麺工場もパレルモにあったという記録がある。乾トゥリア

麺は、当時triyan(トゥリアン), tria(トゥリア)(こねた生地からできた糸状のもの)と呼ばれた。

12世紀にノルマン王国の支配下に入ると、シチリアの乾麺はイタリア本島、アラブ諸国にも船で運ばれるようになり、13世紀には、海路を通じてジェノヴァに到着した。北・中部イタリアは、生パスタが主流だったため、ジェノヴァの商人たちは、海外輸出に力を入れた。

乾麺の歴史に大きな変化が起きたのは17世紀。製造技術や乾燥技術を大きく進歩させた場所があった。カンパーニア州のナポリだ。16世紀まで、ナポリの人々はほかの土地の人々から「マンジャ・フォーリエ(葉っぱ食い=野菜食い)」と呼ばれていたが、17世紀に乾麺の製造が盛んになると、「マンジャ・マッケローニ(マカロニ食い)」と呼ばれるようになる。

Ⅱトマトとアルデンテ

ナポリのヴェスヴィオ火山からソレント半島へ続く山間に、グラニャーノという町がある。グラニャーノは山の清流に恵まれ、16世紀頃から水車で小麦粉を挽いていた。この水とヴェスヴィオ火山から吹き下ろす乾燥した風、海からの湿った風、日照量はパスタの天日干しに最適で、グラニャーノは19世紀初頭、乾麺の中心地となる。人や動物の動力に頼っていた生地の製造、麺の圧搾作業は、水圧式の機械の出現で労力が軽減された。

もうひとつ、製造技術とは別に乾麺の消費量を伸ばした大きな要因があった。トマトだ。16世紀にヨーロッパに渡ったトマトは最初観賞用で、毒があるといわれていたが、食用として徐々に受け入れられていった。なかでもトマトに寛容だったのが、ナポリの人々だった。トマトのない時代、乾麺は30分から2時間ほどかけてブロードでゆで、チーズやスパイスで調味して食べられていたが、一部の人だけの口に入る高級品だった。庶民に広がるにしたがい、ゆで時間は短くなっていった。17世紀初頭のナポリ出身のシェフ、ジョヴァンニ・デル・トゥルコは乾麺のコシについて初めて記録を残し、「マッケローニは、あまりゆですぎない方がよい。さらに、冷水をかけると引き締まる」としている。18世紀には、長くゆですぎない乾麺がパスタ・ヴェルデ(若々しいパスタ)と呼ばれ主流になった。これがアルデンテの原型だ。ナポリでは、アルデンテでゆでた乾麺と、トマトソースの組み合わせが一世を風靡する。

Ⅲ パスタ産業の台頭

19世紀初頭まで、ナポリは乾麺製造の中心地だった。やがてその製造方法が各地に伝わると、天日干しに頼らない乾燥システムが試みられるようになった。エミリア=ロマーニャ州では1877年ピエトロ・バリラがバリラ社を創業、続いてアブルッツォ州では1886年カヴァリエーレ・デル・ラヴォーロ・フィリッポ・ディ・チェコがディ・チェコ社を創業。1889年ディ・チェコ社は、パスタの低温乾燥械を発明した。こうして、現在のイタリアを代表する大手パスタメーカーは、いずれも19世紀後半に誕生した。当時、一日あたりのパスタの製造量は約4クインタル(400kg)だったが、1910年には一日あたり約80クインタル(8t)と生産量が拡大する。1930年代には完全オートメーション化が進み、生地の練り工程から押し出し工程まで一貫作業が可能になった。なかでも、バリラ社の高温乾燥方式は、パスタの生産量を飛躍的に高めた。いっぽう、かつての天日乾燥は衛生面を理由に、全面的に禁止になる。こうして乾麺の中心は、グラニャーノの空から大手メーカーの工場へと移った。

第二次世界大戦後、パスタ産業はイタリアの輸出産業として大きく成長を遂げた。

Ⅳ 職人系パスタの再評価

乾麺の産業化に伴い、グラニャーノはすっかり精彩を失い、この地域の小さなパスタ工房は消えていった。しかし、加速する工業化に対抗して、昔の職人技術が生きた乾燥パスタを、復活させる動きが1990年代あたりから盛んになる。天日乾燥は依然禁止だったが、極力天日乾燥に近い環境にこだわり、手作業の多い小さなパスタ工房からは職人芸術のようなパスタが生まれ、美食家たちの舌を喜ばせるようになった。

たとえばグラニャーノのパスタ工房のひとつファエッラ社は、静置式乾燥でパスタを低温長時間乾燥させる。この間にパスタが熟成し、独特の粉の風味が出る。水も付近のラッラーリ山の清流にこだわるが、これは川の水に含まれる優良な微生物がパスタの旨味を引き出すからという。同様に、個性あるパスタを作ってきた小・中規模メーカーの復活劇が起こる。ブロンズダイスによる押し出し、地元の清流、低温長時間乾燥と、伝統的製法を前面に押し出し、現代人の情緒に訴えるコミュニケーションが成功した。パスタは17世紀にアートになり、19世紀に工業製品になったといわれる。21世紀、乾麺パスタ・セッカ は芸術と工業技術が共存共栄する時代を迎えた。

19世紀のパスタ・カタログ。すでに、バラエティに富んだショートパスタが存在した。

柴田香織=文・構成 上原ゆう子、中庭愉生=写真

本記事は雑誌料理王国2009年11月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2009年11月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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