今回からシリーズで、美食地質学という切り口から、神戸大学名誉教授で、ジオリブ研究所の巽好幸先生にお話を伺う。
長年、地球の進化を研究してきた巽先生が専門とする地質学の観点から日本列島のダイナミックな変動を眺めると、この地で和食文化が育まれたかの謎が紐解ける。このような取り組みを通して、日本、ひいては私たちが暮らす地球そのものの豊かさを紹介してゆくために、今年設立されたのがジオリブ研究所だ。
「実は、4つのプレートが地中深くで重なり合う『変動帯』に位置する日本は、世界の中でも地震や火山噴火のような自然災害が多い国。でも、それはデメリットだけでなく、私たちが豊かな日本の食を享受できている理由でもあるのです」
巽先生は、身近な食を通して、日本の土地の豊かさを知り、同時に災害の多い日本で、十分な対策をすることの重要さも同時に学んでもらえれば、と考えているそうだ。
では、日本の独自性とはなんだろう。
「地球の成り立ちの中で日本は特殊で、プレートが沈み込む「沈み込み帯」と呼ばれる地域です。同じような場所は、インドネシア、フィリピン、アメリカ西海岸などが挙げられます。いずれも地震の多い地域ですね。日本では特にプレートが多く重なって押し合うため、急峻な山が生まれます。これが、日本の出汁の文化と、深く関わっているのです」
急峻な山々は標高差からくる寒暖の差を生み出し、元々アジアモンスーンの影響で雨が多く、山あいでは雪が降るなど、多様な気候特性を持つ。
それだけではなく、日本は中緯度帯で、国土が縦に長いため、北は亜寒帯から南は亜熱帯まで、多様な気候がある。海に目を向けると、寒流の親潮と暖流の黒潮が流れるため、魚の種類が多い。日本近海は海底も多様。プレートが沈みこむ日本海溝は、エベレストの高さと同じくらいの深さの約8000メートル。この深さから列島まで急な坂が続いている。地下のプレート運動により、潮の流れが早く、しっかりと身のしまった魚が食べられるという魅力もあるという。
お話をお聞きしたのは、京都の中でも、豊かな湧き水で知られる下鴨神社。折しも、名水に足を浸して無病息災を祈る、御手洗祭りの最中だった。会場から少し離れた場所にある、豊かな水が湧き出る池に案内していただく。地中200〜300メートルから湧き出すひんやりと冷たい天然水は、近隣の料亭が汲みに来ているのだとか。
京都盆地の下には琵琶湖ほどの大きさの地下水があり、昆布出汁にぴったりの良質の軟水が取れる。この軟水が、日本の出汁文化に大きく影響しているという。
「日本は軟水で、ヨーロッパは多くが硬水ということは知られていますね。そもそも硬水が生まれるのは、川や地下水が流れるうちに、石灰岩などが由来の土の中のミネラルがゆっくりと溶け込んでいくから。日本は山が急峻で、ミネラルが溶ける時間がなく、軟水になるのです」。と巽先生。
縄文時代の遺跡を研究すると、日本では魚は煮て食べていたにもかかわらず、ナウマンゾウ、猪、鹿などの肉は、煮ないで焼いて食べていたようだ。その理由を、巽先生はこう推察する。
「硬水はカルシウムとマグネシウムが多く、肉を煮た時に、カルシウムが肉の血液と結びついて灰汁になります。その灰汁を取り除けば、生臭みのないスープが取れるようになる。おそらく、軟水である日本の水で獣の肉を煮ると、臭くておいしくなく、昆布を煮たら美味しかった。それが、日本の出汁文化の始まりではないか」。
逆に、硬水で昆布の出汁を取ろうとすると、硬水のカルシウムと昆布の中のアルギン酸が結合して膜を作り、中のグルタミン酸をうまく出せないため、おいしい昆布出汁が出ないのだという。
こうして、日本の地形が生み出した軟水による必然的な結果として、出汁が生まれた。よく言われる、関西の昆布文化、関東の鰹節文化も、これで説明がつくという。
「関東の水は、ヨーロッパほどではありませんが、関西に比べるとやや硬度の高い中硬水。ですので、関西の水と比べると、昆布の旨味が出づらい。だからこそ、鰹節が主役の出汁となっていったのでしょう」
関東平野は日本で一番広い平野で、利根川などがゆったりと流れる。このせいで平野の水は地盤中の成分を溶かし込むのでやや硬度が高くなるのだ。
急峻な山地の日本は基本的に軟水の国なのだが、一部には中硬水〜硬水もある。
水の硬度に大きな影響を与えるのは、石灰岩。例えば、パリは、石灰岩の砂地の上にある都市で、水の硬度が高い。実は日本にも、あまり多くはないものの部分的に、石灰岩の地域がある。その石灰岩は一体どこからやってきたのか。
「1億年位前に、タヒチにあったサンゴ礁が、プレートの移動で日本にやってきたと言われています。日本はプレートが沈み込む地域のため、プレートの上に乗っていたサンゴ礁が剥がれて、沈み込み帯の上を中心に、地表に残っていったと考えられています」
日本の石灰岩は、サンゴ礁がそのまま岩になったために、純度が高く、実は日本で使われている石灰は、ほぼ100%国産でまかなわれているという。
こうして、飛び地のように存在する石灰岩は、日本の地方食文化にも影響を与えていると言う。
「例えば、豆腐に「堅豆腐」と呼ばれるものがあるのを、ご存知ですか?固豆腐文化の地域は、硬水の地域は、不思議なほど重なっています。例えば、富山県、石川県、岐阜県にまたがる白山・五箇山地域、宮崎県椎原村、熊本県五木村は、いずれも石灰岩がある地域です。沖縄の『島豆腐』もそう。沖縄はサンゴ礁の島ですから」。
通常の豆腐が、大豆を水にひたしてから茹で、絞った豆乳ににがりを加えて作るのに対し、堅豆腐は、大豆を水にひたして、生のまま絞ったものを煮てにがりを加えることが多い。元々カルシウムが多い水で大豆を煮てしまうと、熱でカルシウムと大豆のタンパク質との結合が進み、非常に固い豆腐となってしまうから、なのだという。
「灘の宮水と言われる名水は、元々中硬水。実は、ここの水は大量に貝殻を含んだ海岸の地下を流れてくるため、硬度が高いのです」ミネラルは酵母菌の餌となるため、発酵が進みやすい。さらに、日本の石の30〜40%が花崗岩で、カルシウムやマグネシウムは多くないものの、麹菌や酵母菌が好むリンやカリウムが特に多く、逆に麹菌の働きを妨げる鉄分は少ない。
こうして、必然的に生まれてきたのが日本酒で、さらに、この花崗岩は、火山大国である日本だからこそのものだという。
「日本の高い山トップ10のうち、6つが火山。火山の下には、たくさんのマグマだまりがあり、花崗岩は比重が軽いため、そのマグマだまりの中から出てきて固まります。おいしい日本酒が生まれるのも、火山があるからこそなんですよ」
多くのプレートがせめぎ合う、世界でも特殊な地下構造から、独自の食文化を築きあげてきた日本。一方で、地震や火山噴火などのリスクと背中合わせの国で、私たちは暮らしてきた。長年、そのリスクを研究してきた巽先生は、「そんな背景を知った上で日本料理をいただくと、より一層ありがたみが増し、味わい深く感じられる」という。この取材がご縁で、筆者はジオリブ研究所のガストロノミー分野の主任研究員とさせていただくことになり、今後も巽先生と共に、日本各地を旅しつつ、日本の食の恵をご紹介していく。
取材・文= 仲山今日子
仲山今日子
ワールド・レストラン・アワーズ審査員。元テレビ山梨、テレビ神奈川ニュースキャスター。シンガポール在住時、国営ラジオ局でDJとして勤務。世界約50ヶ国を訪ね、取材した飲食店や食文化について日本・シンガポール・イタリアなどの新聞・雑誌に執筆中。