中国の「醤」をルーツとしながら、その後、日本独自の製法でさまざまな種類の醤油が全国各地に育っていった。各地のご当地醤油とともに、醤油を生かした郷土料理を紹介する。
日本のみならず、今や欧米諸国のレストランのシェフたちにも重宝される日本の「醤油」。そのルーツは古代中国の塩漬け発酵食品「醤(ジャン)」にあるという説がある。醤には動物性の魚醤(うおびしお)、肉醤油(ししびしお)、植物性の穀醤(こくびしお)、草醤(くさびしお)があるが、醤油はその中でも穀醤が原型とみられている。
中国の醤が日本にいつ頃伝わったのかは定かではないが、大宝元(701)年に制定された法律書『大宝律令』の記述によると、宮中に醤を司る「醤院(ひしおつかさ)」があり、大豆を原料とする味噌に似た醤がこの時期すでに造られていたという記述がある。これが平安時代には液体に近い醤となり、貴族たちは魚やキジ、アワビなどを塩と酢、そしてこの醤で食べていたとか。
そんな醤が現在の「醤油」として誕生したのは、信州の禅僧覚心(かくしん)が、建長6(1254)年に中国の宋から持ち帰った径山寺(きんざんじ)味噌を紀州の湯浅の村人に伝えたのがきっかけ。その味噌を造る際、木桶の底にたまった汁がおいしいことに気づき、現在の「溜まり醤油」のもとになった。
濃口醤油
日本で80%以上の生産量。蒸した大豆とほぼ同量の炒った小麦を混合し、麹菌を加えて食塩水と一緒に仕込んで発酵。熟成すると「もろみ」ができ、これを搾ると生醤油になる。生醤油を加熱してオリを引くと濃口醤油になる。
再仕込み醤油
山口県柳井市名産の醤油で、山陰、九州地方でも生産。生醤油に、再び麹を入れて仕込むことからこの名がついた。濃口醤油のおよそ倍量の材料と時間をかけて造られ、色、味、香りとも濃厚。別名「甘露醤油」とも呼ばれる。
淡口醤油
発祥は兵庫県たつの市。醤油の全生産量の約15%を占める。色は薄いが実際は濃口醤油より約1%塩分が高め。小麦の炒り具合を調節して、醤油に色をつけいよう工夫する。野菜料理や吸い物など、料理を繊細な色に仕上げる。
白醤油
愛知県碧南地方発祥で、現在は千葉県、群馬県などが主産地。麹の主原料として大豆よりも小麦が多く使われ、濃口醤油とは反対に小麦を蒸して、大豆を炒ってもろみを造る。色は淡口醤油よりも淡い琥珀色。麹の香りと甘味が特徴。
溜まり醤油
日本の醤油の元祖というべき醤油で、おもに中部地方で造られる。麹の原料を大豆のみ、もしくは小麦は少量のみ加えて仕込む。大豆タンパクからくる味が濃厚で色も黒くとろみがあるが、加熱すると赤い色がきれいに出る。
こうして産声を上げた醤油は天正年間(1580)には、「玉井醤」が本格的に味噌・醤油業を始めた。その後、紀州で造られた醤油は関東に渡り、江戸時代初期の頃は「下り醤油」として珍重していたが、江戸の人口が急増したことから江戸っ子好みに改良した「濃口醤油」が誕生することになった。そして、醤油の原料となる大豆と小麦が育つ関東平野に位置する現在の千葉県銚子市や野田市が醤油産業の一大中心地となっていった。
また江戸時代には、長崎の出島からオランダに向けて12樽の醤油が船積みされ、その後、醤油はヨーロッパに伝わっていったという。伊万里焼の「コンプラ」という瓶に詰められ、ソースの味付けとして各国で珍重されていたとか。美食家であるルイ14世が醤油をたいへん好み、宮廷料理の隠し味として愛用したという言い伝えも残されている。
現在、日本では濃口醤油のほか、おもに愛知県で溜まり醤油や白醤油、関西で淡口醤油、山口県で再仕込み醤油、九州では少し甘口の醤油などが造られる。
石狩川伏流水を使用し日高昆布の旨味を抽出
石狩川伏流水を仕込み水に使用し、北海道日高昆布の旨味を釜ゆで製法によって抽出。本醸造醤油に昆布だしをブレンドしただし醤油。つけ、かけ醤油や煮物、鍋物で昆布のエキスが引き立つ。塩分は9%で控えめ。
料理と調味料の祖神に奉納する特別限定醸造醤油
千葉県南房総市にある高家(たかべ)神社は、日本で唯一の料理と調味料の祖神「髙倍神」を祀る社。この神社で11月23日に行われる新穀感謝祭に奉納するため、年に一度だけ特別限定醸造。旨味のある深い味、芳醇な香りが特徴。
とろりと濃厚な風味が香り立つ溜まり醤油
厳選した大豆と塩と水を使って、昔ながらの製法で約2年間杉桶で熟成。非加熱で生の風味を生かした。仕込みの水の量が一般的な醤油の約半分で、とろりとした濃厚な味わいが特徴。料理にまろやかなコクを与える。
大豆の代わりに小麦を使った琥珀色の白醤油
ミネラル豊富な天然水と愛知県産小麦、伊豆大島の海塩「海の精」を使って無添加で醸造した白醤油。愛知県豊田町の足助仕込蔵の木樽で3カ月間熟成。琥珀色で甘い香りがあり、色を生かした料理や卵料理などに向く。
芳醇なもろみの風味を生かした生醤油
丸大豆(脱脂していない大豆)を使ってじっくりねかせた天然醸造のもろみの風味を生かして、非加熱で製造。料理に使うとその香りのよさとまろやかな味わいが楽しめる。パリの三ツ星店「アストランス」御用達の醤油。
日本料理の色や味を引き立てる淡口醤油
瀬戸内海に面し、南北に揖保川が流れる兵庫県播磨平野の醤油の名産地、龍野。醤油造りに適した鉄分が少ない軟水と国産大豆、国産小麦を100%使用し天然醸造。淡い色合いで、関西の日本料理店でも重宝されている。
小豆島で造られた無添加の自然な味わい
温暖な気候風土の瀬戸内海に浮かぶ小豆島で、約60年の歴史を持つ蔵元。丸大豆、丸小麦を麹にして添加物を使用せず、昔ながらの製法で長期熟成。旨味成分の多いまろやかな味わいの濃口醤油。刺身やかけ醤油に合う。
別名「甘露醤油」とも呼ばれる再仕込み醤油
仕込み水の代わりに醤油を使って、新たに醸造した再仕込み醤油。調味料、保存料など加えず2年間かけてじっくり醸造。塩味は比較的控えめで、香りと甘味が自慢。コクと旨味を利用して隠し味に使う料理人も多い。
ほのかな甘味のある本醸造丸大豆醤油
時間を惜しまず熟成した、丸大豆特有の芳醇な香りやほのかな甘味を持つ特級・無添加本醸造の濃口醤油。濃厚な味付けの豚肉料理や魚の煮物などで醤油の旨味を発揮する。
濃口、淡口、再仕込み醤油など、上記で紹介したさまざまな香りや味わいを持つご当地醤油を生かした各地の郷土料理を紹介する。
北海道から九州にかけて日本各地に伝わる郷土料理を見わたしてみると、実に醤油を使った料理が多い。醤油があるからこそ、日本の郷土料理がさまざまな形で発展したといえよう。料理をするうえで、醤油が果たす役割は無限大である。
まずその「香り」。醤油には300種類以上の香り成分が含まれているという。バラ、リンゴ、バニラ、コーヒーなど・・・。この香りはもろみの熟成中、麹菌などの発酵によって生まれるもの。ある時は魚の臭み消しとなり、また加熱すると香ばしい香りで食欲を刺激する。
そして「味」では、醤油は多くの旨味成分を含む。大豆や小麦のタンパク質が分解されてできる、約種類のアミノ酸がこの旨味のもとだ。これ以外にも塩味、甘味、酸味、苦味があり、この5つの味が融合することで、醤油が味の調和を図ってくれる。酸味成分の有機酸は塩味を和らげ、ほかの物質の酸やアルカリ度を安定させる働きを持っている。
醤油の香りや味は、気候風土や製法によって微妙な違いが生まれる。それは、ワインで「テロワール」を語るのと同じこと。日本各地の醤油の個性を探り、実際に使って楽しめるのは、日本人ならではの特権だろう。
イカの本場、北海道函館地方の郷土料理で、函館本線森駅の人気駅弁としても有名。腹ワタを取り除いたイカの胴の中に餅米を詰め、醤油を使った甘辛いタレで煮る。昆布醤油を使うとより旨味が増す。
日本有数のイワシの水揚げ量を誇る千葉県銚子漁港を中心とする九十九里浜。新鮮なイワシを千葉県特産の濃口醤油や砂糖、酒、ショウガで甘辛く煮含める。イワシなど脂分の多い青魚には濃口醤油が合う。
中部地方の山間部に伝わる餅で、炊いたうるち米をつぶして串に刺し、醤油や味噌をベースにしたたれを塗って焼いたもの。山の神様に捧げる「御幣」の形に似ているからその名がついたという説がある。
名古屋名物の平打ちうどん。その昔、紀州の人が製麺方法を教えたことから「きしゅう」の名が「きしめん」に転じたとか。名産の白醤油を使った白だしのきしめんは、ほのかに甘く繊細な味に仕上がる。
加賀に伝わる郷土料理「治部」の鍋仕立て。朝鮮出兵の際、岡部治部右衛門という人物が持ち帰った鴨料理という説がある。鴨に小麦粉をまぶしてとろみをつけ、すき焼き風醤油味で野菜とともに煮る。
明石名産の生タコを淡口醤油味のだしで煮て、その煮汁でごはんを炊く。明石ではイラストのようにタコ壺に入った駅弁もある。また同じくタコを使った明石焼きのだしにも、薄味の淡口醤油は欠かせない。
讃岐の常備食として伝わる家庭料理。地元特産の干し空豆を炒り、砂糖や唐辛子を加えた醤油だれに漬けて味を含ませる。一般的な煮豆と違って歯応えがあり、醤油の香ばしい風味を味わうことができる。
長崎の卓袱料理を代表する一品。中国・浙江省の豚の角煮「東坡肉」が原型とされ、中国北宋代の詩人、蘇東坡が好んだことから名づけられた。脂抜きした豚の三枚肉を濃口醤油を使って八角など加えて煮込む。
用明天皇の寵愛を受けた般若姫が都に向かう途中、山口県大畠瀬戸で嵐に遭い帰らぬ人に・・・。そんな伝説に由来。柳井名産の再仕込み醤油で味付けした瀬戸貝の炊き込みごはんと自然薯蕎麦の取り合わせ。
Q.醤油はなぜ黒いの?
A.実際は赤みがかった透明な褐色。アミノ酸と糖分を混合して加熱した時に生じるメイラード反応から濃い褐色となる。
Q.天然醸造って何?
A.大豆と小麦を麹菌など微生物の力だけで発酵、熟成、醸造した本醸造のうち、醸造を促進するための酵素や添加物を使用しない醤油。
Q.丸大豆醤油の「丸大豆」とは?
A. 「丸大豆」はそままの大豆。大豆から油成分を取り除いた「脱脂大豆」を使う場合もある。前者を使うとまろやかに、後者はキレ味が出るという
Q.開封後はどれくらいで 使い切ればいいの?
A.一度、栓を開けた醤油は酸化が進み、品質が落ちるためできるだけ早めに使い切るほうがよい。栓を開けたら冷蔵庫で保存するのもおいしさを保つコツ。
Q.「淡口醤油」「薄口醤油」は どちらが正しいの?
A.醤油業界では「淡口」と書くのが一般的。「色が薄く、塩分も薄い」という誤解を与えかねないため。実際は濃口醤油よりも塩分が多い。
Q.原材料に「アミノ酸液」と 書いてある醤油は?
A.醤油の一般的な醸造方法「本醸造方式」以外の「混合醸造方式」「混合方式」は、アミノ酸液などを使用し、独特の香りや旨味を出す場合がある。
本記事は雑誌料理王国第208号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第208号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。
〈参考文献・ホームページ〉『至宝の調味料1 醤油』(アスペクト)、『しょうゆが香る郷土料理』(日本醤油協会)、『味噌・醤油入門』(日本食糧新聞社)、しょうゆ情報センター www.soysauce.or.jp
沖村かなみ・文/構成 伏木 博・写真 伊藤尚彦・イラスト
text & construction:Kanami Okimura photo:Hiroshi Fushiki / illustration:Naohiko Ito