【コラム】「調理」と「調味」


作り手ではなく、食べ手側の「おいしさ」を尊重する。これが日本人シェフの今後の課題だと思う。

シェフパティシエ 成田一世さん

「お菓子作りに大事なものは何だと思いますか?」

ジョエル・ロブション氏やピエール・エルメ氏など、グランシェフの名を冠した店で働いた経験があり、シェフパティシエと呼ばれるようになって約20年も経つからだろうか、こんな質問を受けるようになった。お菓子作りに欠かせないものとしてレシピを挙げるパティシエは多く、私もレシピは大切だと思うが、ただし、レシピさえあれば十分というわけではない。なぜならレシピは材料や分量の羅列であり、分量には湿度と材料による微調整が必要だから。何より、1枚のレシピからは、何通りものプロセスが考えられる──。

ここで言う「プロセス」とは、お菓子が完成するまでの過程、つまり「調理」。これに対して、「調味」は、プロセスで使う小麦粉や砂糖などの材料のほか、焼き目をつけて味を変化させることなども含む。

よく、「成田さんの説明通りに作ったのに、同じようになりませんでした」と言う人がいるが、それは私と同じプロセスを踏まないからで、たとえ私と同じ分量で調味しても、少しでもプロセスが異なると同じお菓子にはならない。話を聞いたり、レシピを見たぐらいでは再現できないのが当たり前で、だからレシピを公開する必要がないと思っている。

日本人のパティシエは、レシピより、もっとプロセスにこだわるべきではないかと感じている。「料理は化学」(成田流には〝調理は化学〟)と言われるが、まさにその通りで、調理を追求して、「こうすればこうなる」ということを理論的に確立しないと、本当のおいしさには到達しないのではないか──。だから私は、相手が私のプロセスを理解するまではレシピを教えないことにしている。たとえるならレシピは問題の「答」で、プロセスは「解き方」。答だけを知っていても、解き方がわからなければ意味がないように、レシピだけを教えられても、結局、イメージしたお菓子を完成させることはできないからだ。

私がフランスのピエール・エルメ氏などのグランシェフの店で働いたのは、帰国してそのキャリアを自慢したかったからでも、彼の味を日本で再現するためでもない。多くの美食家が絶賛する味が、「どういうプロセスを経て誕生したのか」、それが知りたかったのだ。そのプロセスを何度も繰り返して体得すれば、自分が生み出したい味を自在に表現できるようになるはずだ。

たとえば、「生地にどのくらいの小麦粉を入れたら、どんなふうに焼けるのか」「粉の種類によって結果はどう異なるのか」「サクサクの食感にするには?」「しっとり焼き上げるには?」。調理が化学である以上、そのプロセスから導き出される答は必ずひとつに絞られると考えた。

プロセスには、当然、調味も関わってくる。カステラを焼く場合、砂糖を増やすと甘くてフワフワした仕上がりになり、減らすと甘味の少ないビスケットのような食感に近づく。では、甘味が少なくてフワフワとしたカステラはできないかといえば、調味とプロセスを把握していればそれも可能で、いろいろなタイプのカステラを作ることができる。ただし、それには小麦粉や水、砂糖や塩、卵など、その国で市販されているあらゆる調味に関するものを入手し、その組み合わせを変えながら、何万何千という途方もない回数のプロセスを検証していかなければならない。カステラに限らず、私のレシピに書かれている「答」は、すべてこのように膨大な回数のプロセスから導き出されたものだ。

こうした姿勢や考え方は、ロブション氏のレストランで働いた時にも役立った。ロブション氏の指示の出し方は、「もっと軽く」とか「もっと重く」という具合で、最終的な結果しか言わない。プロセスを何度もやり直し、要求通りに仕上げるのは並大抵のことではなかったが、さまざまなプロセスを何度も試すことで、答とプロセスの関係がつかめ、そのバリエーションも増えていった。

調理とその結果を書きとめてチャートにしたり、店のスタッフと試作を重ねたり、プロセスを理解するための取り組みは、現在も続けている。時には、「自分が旨いと思うもの、有名店や人気店のものを集めてこい!」とスタッフに呼びかけ、同類のお菓子やパンを集めさせ、それらを食べ比べてみることもある。たとえば、クロワッサンひとつとっても、サクサク、バリバリの食感のものや、ふんわりとして甘いもの、バターが染み出たものなど、いろんなタイプがある。

その違いはどんな調理や調味の違いに起因するかを考え、また、人気のタイプがどういったプロセスを踏んでいるかについても分析。ここから、今のお客様の嗜好を知ることもある。これまでスタッフとはいろいろなプロセスを共有し、それによって実力をつけてきた人も多い。

だが、たとえ多くのプロセスをマスターしても、すぐに「おいしい」とは言ってもらえないかもしれない。「おいしい」と言わせるには、お客様の好みを分析して、そのための調理と調味を決める必要がある。

多少時間がかかっても、それはやり通す価値があると私は思う。というのも、最近は、海外で活躍する日本人シェフが目立ち、「将来は海外に店を持ちたい」と抱負を語る料理人も増えてきたからだ。そういう人たちには特に「お客様の要望に合わせたお菓子が作れるようになれば、どんな国に行っても困らない。その国の人々の好みに合った〝おいしいもの〟が作れるようになる」と伝えたい。おいしいものを提供することは、日本で独立しても成功の条件に変わりはないし、大勢がおいしいと思うお菓子を作り出すことができれば、それは大きな市場にもつながっている。

では、「おいしいもの」とは、一体どんなものなのか。少なくとも私の考える「おいしさ」は、作り手ではなく、食べる側にとっての「おいしさ」だと強調しておきたい。日本人シェフの中には、自分の知る調味や調理の範囲で、自分にとって「おいしいもの」を提供している人が少なくないように思う。だが、フランス人シェフたちは違う。プロセスを幾度も繰り返して理論を確立し、そこから食べ手の好みに合わせた新しいおいしさを生み出すことに余念がない。

あなたが提供する「おいしさ」を今一度、振り返ってみてほしい。それは、あらゆるプロセスを経ているだろうか。そして食べ手の好みをきちんと分析し、反映しているだろうか──。もし、あなたがプロセスの重要性に気付き、膨大な数のプロセスをも厭わないと覚悟を決めたら、あなたの料理の世界は確実に変わるはずだ。

1999年、「エノテカ・ピンキオーリ」の厨房で。仕事場で写真を撮ることはほとんどなかったが、この日が「エノテカ・ピンキオーリ」で働く最終日であったため、スタッフと記念撮影をした。

KAZUTOSHI NARITA
1967年、青森県生まれ。高校時代はスキー部とボート部で活躍するスポーツ少年だったが、卒業後はシェフパティシエの道へ。99年に渡仏。一ツ星店「ステラ・マリス」、三ツ星店「エノテカ・ピンキオーリ」「ピエール・エルメ・パリ」などの名店で腕を磨く。NYの「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」時代の2007年に、パンとデザート部門でBest of New York に選ばれる。17年には、「アジアのベストレストラン50」の「アジアのベストパティシエ賞」を獲得。現在、「エスキス」「アジル」「エスキスサンク」のシェフパティシエとして活躍中。

本記事は雑誌料理王国2017年9月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2017年9月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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