幼い頃から料理番組を観るのが好きで、料理人に憧れていた。「ですから、高校を卒業したら就職して料理の修業を始めようと思っていました。でも、親から専門学校で料理のことをきちんと学んだほうがよいと言われ、服部栄養専門学校の調理師科に入学したんです」と「常盤鮨」三代目の林ノ内勇樹さんは言う。服部栄養専門学校を選んだのは、当時、服部幸應校長がよく料理番組に出ていて、名
前を知っていたからだ。「せっかく料理学校へ進むなら、こんな有名な人が校長を務める学校で勉強してみたいと思ったんです」
同期には、さまざまな人がいた。社命で料理を勉強しに来ている人、脱サラして料理人になるために入学した人、中国から来た留学生……。「年齢も国籍も経歴も違う。でも、『料理人になる』という目的は同じ。それまでは憧れみたいなものが強かったのですが、自分と同じ目標に向かっている仲間たちと一緒に勉強をしているうちに、『料理人になる』という意志が固まりました」
日本料理を志向していたため、卒業後は5年間、割烹料理の店で修業をした。「でも、厨房のなかで黙々と料理をつくるのが、どうも性に合わなくて……。僕は人と話したり、接客したりするのが好きなので、やっぱり鮨職人が向いているのかな、と思い、『鮨 水谷』の門を叩きました」
父親とともにつけ場に立つ林ノ内さん。今は仕入れから仕込みまで、すべて林ノ内さんに任されている。師匠ゆずりの流線形の握りが美しい。
「鮨 水谷」と言えば、2007年に『ミシュランガイド東京』が創刊されたとき、「すきやばし次郎」とともに鮨屋として初の三ツ星に輝いた名店。林ノ内さんは、師である水谷八郎さんの立ち居振る舞いから料理に対する姿勢、調理の仕方、味まで、盗めるものは何でも盗んだ、と話す。「水谷さんは厳しい方だったので、弟子入りしてもみんな3年くらいで辞めてしまうんです。でも、僕は相性がよかったのだと思います。7年間、かわいがっていただきました」
その後、林ノ内さんは父親が経営する「常盤鮨」に戻り、3年前に店舗を改装。「常盤鮨」三代目としてスタートをきった。「あまたある鮨屋のなかにあって、他店と比べても仕方がないと思うんです。そりゃ、予約が取れない繁盛店をうらやましく思うこともありますよ。でも、そんなことをしていても何も始まりません。僕は僕で、できることをコツコツとやり、お客さまの満足度を上げていくことを心がけています。そんな自分の仕事や人間性を気に入ってくださって、常連さんが一人でも増えてくれれば、嬉しいですね。まずはここで、商売を確立したいと思っています」
寿司職人の息子に生まれたけれど、服部栄養専門学校に入るまで、包丁もろくに使ったことはなかった、と笑う。「かつらむきの実技試験で手を切って、試験に落ちたこともあった。高校を卒業してすぐに入学した僕らは結構やんちゃだったんですけれど、先生たちはそんな僕らを温かく見守ってくれて、今考えてみれば本当にありがたかったですね」
料理人は、「おいしい」と言ってもらえたら、素直に嬉しい。「この仕事についてよかった、と思います。料理人は料理で人を感動させることができるし、幸せな気分にもさせられる。可能性は無限大です。やりがいもあり、面白い仕事です」と、林ノ内さんは後輩たちにエールをおくる。
ゆくゆくは師匠がそうだったように、僕も東京で店を持ちたい、と林ノ内さん。
激戦が続く鮨業界。林ノ内勇樹さんの挑戦は、まだ始まったばかりだ。
先代で父親でもある節夫さん(左端) と母親のマサエさんとともに店の入口に立つ林ノ内さん。両親をはじめ多くの人たちに支えられて、三代目としての責務をまっとうする。
米酢を使ったシャリは酢が利いたきりっとした味わいで、ネタとの相性も抜群。昼の「おまかせ握り」は8000円~、夜の「おまかせ握りとおつまみ」は17000円~。季節ごとに旬の肴も取りそろえている。
1981年、横浜生まれ。2000年、服部栄養専門学校調理師本科(昼)を卒業。和食料理店を経て、「鮨 水谷」で7年間修業し、2015年に「常盤鮨」に入る。2017年に全面改装してリニューアルオープン。三代目として手腕を振るう。
常盤鮨
神奈川県横浜市中区常盤町4-44
TEL 045-681-2065
12:00 ~ 14:00、17:00 ~ 22:30
不定休、日曜予約営業
text 山内章子 photo 服部貴
本記事は雑誌料理王国314号(2021年2月号)の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は314号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。