取材中に長谷川さんが何度も口にした言葉がある。それは、「僕ら日本人は、日本料理に対して難しく考えすぎる」というものだ。日本料理はこうあるべきという固定観念にとらわれすぎて、日本人自ら敷居を高くしている。もう少しハードルを下げれば、日本料理のよさを広げられるのにもったいないと。こう考えているからこそ、長谷川さんの中には、ねばならぬといったルールがない。
「生きのいい鯛が手に入った時、普通に考えれば刺し身ですが、僕は揚げてしまうかもしれません。それは王道ではないし、調理法の選択を誤っているかもしれませんが、僕はやってみなくてはわからないという考えです。たとえ失敗したとしても。だって失敗から生まれることだってあるでしょう?それに失敗だってくり返せば、やりつくしますよ」と笑う。さらに、こんな印象的な言葉を口にした。
「昔のやり方だけをやっていても、先には進めない。そこに未来はありません。僕は先に進みたいから、やりたいことをやるだけ。今のやり方が、未来には伝統になっているかもしれませんよね。今確立されている伝統的な日本料理も、当時は最先端だったかもしれないのですから」
長谷川さんが「日本料理をそんなに難しく考えすぎなくていい」と言うわけのひとつは、「日本人である僕が作るものは、たとえフォワグラを使おうとも、それは自然と日本料理になる」と思うからだ。「外国の人がわさびや柚子を使っても、それは日本料理ではなく、どこか違うという感じがしますよね。それと同じです」と語る。この言葉には、「だから、ルールに縛られないで好きにやればいい」というメッセージが込められていると感じる。
今回の取材で何度も登場したキーワードがもうひとつある。それは「相手に歩み寄る」だ。
「日本料理のよさを伝えるためには、相手の土俵に上がることが大切だと思います。何も知らない人に大学の勉強をいきなり教えても、わかるわけがありません。リンゴが2個あって1個食べたら残りは1個になるという、ごくごく簡単なところから始めなくては。そうしないと、勉強が嫌いになってしまいます。日本料理だってこれと同じです。これをする人があまりいないから、ぼくがやっているし、やりたいんです」
たとえば、外国人は白飯や魚の皮を嫌う。それを「わかっていない」と否定して、「日本料理はこういうものだ」と突き付けるのではなく、それならばどうすればいいのかを考える。これが長谷川流というわけだ。
けれど、長谷川さんは決して、外国人だから、日本人だからという分け方をしているわけではない。目の前にいる「その人」としてとらえ、対応している。これこそが、相手の土俵に上がること、言い換えれば、相手に歩み寄ること。すなわち、「おもてなし」だと長谷川さんは考えている。
「おもてなしは相手の気持ちを考えて実行することです。『ありがとう』という言葉や喜ぶ姿を見て、うれしい気持ちになる。これができるのが、日本料理ではないでしょうか」
最後に、自身の店のあり方について尋ねた。
「僕よりもおいしい料理を作る人はたくさんいますし、そもそも、おいしいやまずいといった感覚は、個人的なものですよね。でも、うれしいとか楽しいという記憶はみんな共通の感情だと思うんです。だから、僕はそれを担当したい。世界一楽しい店でありたい。また来たいと言ってもらえるような」
この、うれしいや楽しいという感情は、相手がどんなことを望み、何に対して喜ぶのか、相手のことを思って行動することによって生まれるものだ。これもまた「おもてなし」なのである。
傳 DEN
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荒巻洋子=取材、文林輝彦=撮影
本記事は雑誌料理王国第272号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第272号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。