食の未来が見えるウェブマガジン

発酵の可能性を探る[前編]発酵はなぜおいしさを生むのか

発酵はなぜおいしさを生むのか

醤油、味噌、納豆、清酒・・・・・・。
日本特有の食品の多くは、発酵によって生み出される。
和食の基礎とも言える発酵食品のおいしさは、どこから生まれるのか。その秘密に迫る。

教えてくれた方
明治大学 教授 農学博士 中島春紫さん
「微生物がタンパク質を分解。アミノ酸などの旨味成分を遊離、生成するため、おいしさが生まれるのです」

明治大学 教授 農学博士 中島春紫さん
Harushi Nakajima
1960年東京都生まれ。89年東京大学大学院農学研究科博士課程修了。東京工業大学助手、東京大学大学院農学生命科学研究科助教授、明治大学農学部助教授を経て、07年より同教授。研究対象は麹菌のタンパク質。著書に『微生物の科学』(日刊工業新聞社)、『日本の伝統 発酵の科学』(講談社)がある。

そもそも 発酵の役割とは何か

主な発酵微生物の機能と特徴

発酵はなぜおいしさを生むのか 明治大学 教授 農学博士 中島春紫さん
出典:『日本の伝統 発酵の科学 微生物が生み出す「旨さ」の秘密』(中島春紫著、講談社)

発酵食品は、微生物の作用により製造された食品です。そもそも発酵とは「微生物が嫌気的に有機物を分解してエネルギーを得る反応」のこと。嫌気的とは酸素を使わないという意味です。反対に、酸素を使いエネルギーを得る反応は科学的には「呼吸」と呼びます。ただ、酸素を必要とする微生物(好気性菌)も多く、これに当てはまる麹菌や酢酸菌を使う反応も一般には発酵と呼ばれます。

 発酵は、食料を保存するために生まれた技術と考えられています。食料を長時間放置すると、食中毒の原因となる雑菌(腐敗菌)の繁殖により、腐敗が進みます。そこで発酵微生物の登場。発酵食品の製造現場では乳酸菌の出番が非常に多いですが、乳酸菌はpH(酸性・塩基性の度合い)を下げる役割を担います。中性付近のpHを好む雑菌に対し、乳酸菌は大量の乳酸を生成しpHを低下させるため、結果的に雑菌が死に、保存が利くようになるのです。

 また肉の熟成も発酵技術のひとつ。熟成中、肉の中で何が起きているかというと、微生物が自分に必要な栄養素を得るためにタンパク質を分解し、アミノ酸を遊離。このアミノ酸が旨味のもとになるわけです。

 発酵食品の代表である醤油、味噌、納豆などの原料となる大豆のタンパク質はやや難分解性で消化に時間がかかります。消化が悪いと吸収できる栄養価が下がりますが、煮豆にしたところで半分以下しか消化できない。しかしここに麹菌や納豆菌を加えると、大豆が持つ難分解性タンパク質を分解してくれるので、消化吸収しやすくなるとともに、栄養価も高まります。微生物は旨味と栄養を高めてくれる、優秀な生物なのです。

発酵、3つの機能
・食品のpHを低下させることにより、雑菌の繁殖を抑え、食品の保存性を向上させる
・食品の旨味を引き出す
・難分解性タンパク質を分解し消化吸収を向上。栄養価も高める

日本の国菌 麹菌とはどんな菌か

麹菌を使った発酵食品の代表「醤油」と「味噌」

醤油の製造法(本醸造方式)

出典:『日本の伝統 発酵の科学 微生物が生み出す「旨さ」の秘密』(中島春紫著、講談社)

味噌の製造法

出典:『日本の伝統 発酵の科学 微生物が生み出す「旨さ」の秘密』(中島春紫著、講談社)

料理の基本である「さしすせそ」の調味料のうち4つは発酵食品であることから見ても、日本は独自の発酵文化を築いてきたといえます。さらに醤油、味噌、日本酒、みりんはすべて「麹菌」と呼ばれるカビで発酵させたもの。つまり麹菌こそが、和食の基盤だといえるでしょう。

日本以外の東アジア・東南アジア諸国では、粉にした生の穀物に水を加えて固めた「餅麹」を室に入れ、自然にカビ菌を増殖させるのが一般的です。この餅麹は、紹興酒や白酒などになります。餅麹の主要菌は、クモノスカビという生育の早い微生物。日本とは異なる菌が使われます。

一方日本では、麦や米などの穀物を蒸してからバラバラに広げた状態で麹菌を繁殖させる「バラ麹」が主流です。先に述べたとおり麹菌は好気性菌のため、十分な通気を作るのにバラバラに広げる必要があるのです。また生育が遅いカビなので、雑菌の繁殖を防ぐために蒸して殺菌した穀物に、純粋培養した麹菌を接種しなければなりません。この麹菌は事実上日本にしか存在せず、日本人が飼いならした菌です。2006年には日本醸造学会において、日本の国菌に認定されています。

上図で発酵食品を代表する「醤油」と「味噌」の醸造法を紹介しましたが、麹菌が活動するのは種麹を入れてから食塩水(食塩・種水)を加えるまでの間のみ。実は醸造の過程では、麹菌に胞子をつくらせないことが重要です。胞子が形成されると強いエグみが出るため、菌糸が伸びて胞子形成が始まる直前に塩水で死滅させ、麹菌が生成した酵素だけを熟成に働かせるわけです。麹菌はわずかな間だけ育成し、その後は死滅させられるかわいそうな生物でもあるのです。

旨味の素 発酵と味覚の関係性

5つの基本味と辛味・渋味の正体

出典:『日本の伝統 発酵の科学 微生物が生み出す「旨さ」の秘密』(中島春紫著、講談社)

鰹節(本枯節)の製造法

出典:『日本の伝統 発酵の科学 微生物が生み出す「旨さ」の秘密』(中島春紫著、講談社)

発酵とおいしさを語るうえで、味覚についても少し触れておきましょう。
味覚は甘味、酸味、塩味、苦味に旨味を加えた5つが基本味です。上図で示したとおり、甘味はエネルギー源の味など、それぞれに生理的意義があります。
旨味とは昆布だしに含まれるグルタミン酸ナトリウム、カツオだしのイノシン酸、シイタケのだしのグアニル酸の3つからなり、これらは和食の基本だし。ちなみに少量のイノシン酸もしくはグアニル酸を混合すると、グルタミン酸の旨味が最大で10倍程度に増強されることがわかっています。昆布とカツオの合わせだしがおいしい理由がわかりますね。

カツオだしのもとである本枯節は、発酵食品です。本枯節はカツオを乾燥させた荒節の表面に、純粋培養した鰹節カビ(アスペルギルス・グラウカスなど)の胞子を噴霧し、室の中で繁殖させてつくります。カツオは75%以上がタンパク質ですから、これが分解されることで、イノシン酸やアミノ酸などの豊富な旨味成分が生まれるわけです。

実はタンパク質にはほとんど味がありません。タンパク質の分子は非常に大きく、人間の舌にある受容体にはまらないため味を感知できないのです。このタンパク質を分解し、旨味成分を産生するのが発酵。これが「発酵=おいしい」理由のひとつなのです。

発酵食品の歴史は古く、その原理はサイエンスのほうが後追いです。たとえば石川県の郷土料理である「フグの卵巣のぬか漬け」。毒のある卵巣をぬか漬けにすることで毒が抜けきる理由は、未だ解明されていません。こうした先人の知恵や、発見するまでの挑戦に敬意を表したいですね。

旨味、3つの特徴
・主な旨味成分グルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸などがある
・旨味成分の組み合わせによって旨味が増すことも
・味のンパク質が発酵により分解されることで、旨味成分が産生される


虻川実花=取材・文 林 輝彦=撮影
text by Mika Abukawa photos by Teruhiko Hayashi


SNSでフォローする