その国の歴史や国民性を反映する料理。今や世界中で愛され、現地ならではのメニューまで誕生している中華料理の裏側には、どんなストーリーがあるのだろうか?その歴史を紐解いてみよう。
SNS普及を背景に、こだわりを追求した個人経営レストランが増える
2000年代はあらゆる意味で「中国が近くなった」時代と言える。インターネットの普及で、中国各地の料理や食材に関する情報が入手しやすくなった。こういった情報をもとに、個人で中国へ赴き、現地の食文化を学ぶ料理人も増え、本場中国にも負けるとも劣らない中華料理が国内でも提供されはじめる。2010年代には、さらにアレンジが加わった小規模の中華料理店が多数誕生。アワビ、フカヒレ、ナマコといった中国の高級食材を、中華料理の枠にとらわれず提供するカウンタースタイルの店や、名店出身のシェフの料理を肩肘張らずいただける、ネオビストロ風の店舗が増えていった。そうした新しいスタイルが確立される中、メディアでは昔ながらの「町中華」にも注目が集まる。町中華とは、1960年代以降に誕生した、地元に根ざした中華料理店のこと。特徴としては、入り口の暖簾やショーケースなど、昔ながらのスタイルを貫いているところがあげられる。今になって町中華が注目されている理由は、どこか懐かしい佇まい、チャーハンや餃子などの変わらないメニューと味わい、リーズナブルな価格設定、跡継ぎがおらず次第に数を減らしつつある希少性などにある。このことから現代の中華料理は、新しいものと変わらないもの、二つの方向性があることがわかる。
当時の日本
2000年前後
山西省より「刀削麺(とうしょうめん )」が伝わる
200種類ほどの麺があり「麺食のふるさと」と呼ばれる山西省より、刀削麺が日本に伝わる。生地を特殊な包丁を切り落とす料理法や、もちもちとした麺の独特な食感が話題に。
中国茶が日本でブームに
台湾や香港の中国茶の一流店の支店が東京にできるなど、中国茶への注目が日本で高まった。凍頂烏龍茶、龍井茶などのブランド中国茶も知られるように。1997年には、中国・台湾茶に対する理解を深めるために「日本中国茶協会」が発足し、中国政府公認の資格制度が設けられた。
2000年代前半~
中国現地に行きやすくなる
中国への個人旅行が身近になり、料理人が現地の味を体験しに旅行に行くことが増えた。また、現地の料理店での修業や研修もしやすくなった。
2000年代
池袋にチャイナタウンが誕生
日本語学校や豊富なアルバイト先、さらには家賃の安いアパートもあることから、池袋駅北口に多くの中国人が暮らすようになる。それに伴い中国人向けの中華料理店も増加。チャイナタウン化が進む。2015年には豊島区で暮らす中国人の数が1万2千人を超える。
2000年代~
アジアンスイーツが話題に
アジアのスイーツ、とくに台湾や香港のスイーツがテレビや雑誌などで多く紹介され、マンゴープリン、タピオカココナッツミルク、エッグタルトなどが人気を呼んだ。
2010年前半~
高級食材を扱ったクリエイティブな小規模の中華料理店が増える
アワビ、フカヒレ、ナマコといった中華料理の高級食材を、カウンタースタイルで楽しめる(新富町「フルタ」、銀座「レンゲ」など)、これまでにない小規模料理店が増える。
2010年代後半~
ネオビストロ風の中華料理店がオープン
名店出身のシェフの料理を肩肘張らずいただける、ネオビストロ風の店舗(南青山「ミモザ」、代々木上原「マツシマ」、清澄白河「O2」、飯田橋「ジュウバー」など)が増える。
昔懐かしい「町中華」がメディアで話題に
昭和の頃から地域にねざす、昔ながらの「町中華」が雑誌やテレビで取り上げられるようになる。はじめは昭和の時代を生きた5、60代が懐かしさを感じ再訪するパターンが多かったが、最近では若い世代も「レトロ感」や「新鮮さ」を感じて、訪れるケースも多いようだ。
2017年
ミシュランでラーメン店が星を獲得
「ミシュラン・ガイド東京2017」で、はじめて2店舗のラーメン店が一ツ星を獲得する。また翌年には3店舗のラーメン店が星を獲得。クオリティの高いラーメンがますます人気となる。
2010年代後半(現在)~
少数民族料理店が注目を集める
中国の少数民族が暮らす地域で料理を学ぶ日本人が増えたことから、日本でも少数民族料理が食せるようになる。珍しい発酵技術やスパイスを使用した料理にファンが増加中。
当時の欧米
2000年代~
中華料理がフードコートの定番料理となる
アメリカではチャイナタウン以外にも、中華料理のレストラン増えていく。ショッピングモールのフードコートには、必ずと言っていいほど中華料理がある状態に。
2000年代後半
ベトナム系の移民が中華料理店を継ぎ、中華とベトナム料理が一緒に提供される店が増える
1975年に終結したベトナム戦争によるインドシナ難民の子どもたちが、2000年代になって働き口を探し、後継者がいない中華料理を継ぐケースが増える。ベトナム料理のフォーと餃子などが一緒に並ぶことも。
2010年代~
アメリカで、テイクアウトサービスが普及
テイクアウトサービスが人気を集める。その代表格である「パンダ・エクスプレス」は 、2013年に、アメリカ47州と海外合わせて、1,600店舗にまで店舗数を伸ばし、世界最大の中国料理チェーンに成長した。テイクアウトの定番は「チャーハン」や「焼きそば」など。
2012年
フランスのパリで「GYOZA BAR」が オープン
日本人シェフが「ワインに合う餃子」をコンセプトとした「GYOZA BAR」をフランス・パリにてオープン。ラー油を使わず、醤油とレモン汁を混ぜ合わせるなど、新しいスタイルが話題を呼んでいる。
2010年代後半~
ヨーロッパでは、フュージョン料理やベジタリアン向けの店舗が増える
ヨーロッパでは、中華料理と東南アジア(シンガポール、マレーシア)料理とのフュージョン、ベジタリアン向けの店も増えている。中でも「ワックレストラン」と呼ばれる、主菜と主食、ソースを選び、中華鍋で炒める形式の店が人気を博しており、新華僑を中心にヨーロッパ各地に広がっている。
2010年代後半~
中華風ハンバーガー「バオ」専門店がイギリスで人気
バオとは肉まんのような生地に肉や野菜などを挟んだ、中国・台湾風のハンバーガー。具材の豊富さや軽食としてのちょうど良さ、見た目のかわいらしさなどから、ロンドンを中心に人気を博している。現地の食の好みに合わせて、ジャム入りや、スイーツバオなどもある。
スマートフォンやSNSが普及する2000年代になると、小規模な個人店が人気に。これまでになかったクリエイティブな店舗とともに、昔懐かしい「町中華」にも関心が集まる。海外では、GYOZA BARやラーメンスタンドといった、日本発の中華料理が注目を浴びる。
また海外では、日本に伝播し、食へのこだわりが強い日本人によってアレンジされた中華料理が人気だ。パリやベルリンなど、ヨーロッパの都市を中心に、GYOZA BARやラーメンスタンドがオープンし、注目を集めている。2010年代の後半には、インスタグラムなどSNS向けのメニューも誕生。中華版ハンバーガーともいえる「BAO(包:バオ)」の専門店が多数ロンドンにオープン。肉まんのようにもちもちした生地に、フライドチキンや豚肉のコンフィなどを包んで食べる料理で、若者を中心に人気が高い。また、現地で人気上昇中の東南アジア料理とのフュージョンメニューや、ベジタリアン向けの様々なレシピも多数作られ、世界のあらゆる場所で「新しい中華料理」が生まれつつある。
参考文献
『専門料理(2016年5月号)』
『中国料理の50年1966~2015 』 (柴田書店)
『中華料理進化論(著:徐航明)』(イースト・プレス)
『新・中華街(著:山下清海)』(講談社選書メチエ)
text 立岡美佐子(エフェクト) 協力 柴田泉、山下清海(立正大学地球環境科学部地理学科教授)
本記事は雑誌料理王国2019年12月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2019年12月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。