すし屋の門を初めてたたいてから50年以上もの間、すしを握り続ける銀座「すきやばし次郎」の主、小野二郎さん。彼が求め続けるすしとは、職人の姿とは。二郎さんが「もっとも信頼していて話しやすい」と名をあげる料理評論家、山本益博さんが、その言葉を聞き出す連載。ジャンルを超えてすべての料理人に伝えたい。
早いもので、ミシュランで三ツ星をいただいてからもう1年。次のミシュランがどうだこうだ、と言われる時期になりました。「ミシュランなんてフランスの人たちが勝手に騒いでいるもんだろ」なんて高を括っていましたが、とんでもない。発表があったその日は人くらいの記者たちが押し掛けて来たので記者会見を開く羽目になるわ、電話は鳴りっぱなしだわ、街を歩くと「あっ、二郎さんだ」と言われるわ、店の前で写真だけを撮って帰る人たちがいるわで、もう、何がなんだか(笑)。もちろん、今はさすがに落ち着きを取り戻していますけれど。
「次郎」の暖簾を掲げて40年以上の間、ただひたすらまじめに仕事を続けて来たことで星をいただけたのでしょうが、僭越ながら、今「次郎」はひとつの完成形を迎えたと思っていて、そのことに対する評価だとも思っています。とくにここ25年間は伝統的な江戸前ずしに対する大改革だったといえるでしょう。2升炊きが一般的だったシャリのごはんをお客さまに合わせて少量ずつ炊く、コースのようにお任せをご用意する、まぐろからではなく白身から出すなど改革の具体的なことはこの連載でお話ししてきた通りです。
今まで通りのことをやっていれば楽なのに、どうしてこう、いろいろやってしまうんですかねぇ(笑)。やはり、おいしいものが大好きだから、というところに尽きるんでしょうか。昔から食べ歩きは好きですよ。今でも、フランス料理店や天ぷら、そば屋など気に入った店にはよく足を運んでいますから。すし屋だからといってすし屋ばかりに通っても、なんの刺激にもなりません。すしとはまた違ったおいしい世界に触れる。すると、今満足しているすしでも「もっとおいしくなるんじゃないか」と思えてくる。そう思い始めたらとことん試してみます。ひと肌のタコや車海老、燻したカツオ、蒸しアワビ、イクラの醤油漬けなどは何度も何度も試作しながら独自に生み出したやり方です。納得ゆくまであきらめない執念深さは、我ながら料理人に向いていたな、と思います。
ミシュランで評価されるようになると、外国からのお客さまもぐんと増えました。そこで思うのは、彼らのすしの食べ方が本当にきれいになったということです。知らないから異国の文化をあらかじめ勉強して来られるのでしょう。逆に日本人のほうが駄目だと思うことがあります。箸の持ち方が下手だったり、ぺちゃくちゃしゃべってばかりですしをずっと放置していたり、ネタの部分だけをはがして食べたり。自国の食文化なのに恥ずかしいことです。カウンターにいると、お客さまの「人となり」がとてもよく見えるもんです。
それにしても、やはり一流といわれるシェフたちは見る目が違います。基本的には魚とごはん、そして塩、酢、醤油といった素材のみで構成するシンプルなすしの世界を、「どうしてこんなに味に奥行きが出るのか」と、食い入るように見つめています。煮切りを塗っているのを見て「違う魚なのに、どうして同じソースを使うのか」と、聞いてきたシェフもいて「なるほど、そういう見方もあるのか」と、感心したことがあります。それこそがすしのおもしろさなんだと思います。同じようでいて、同じではない。ソースが同じでもシャリに「ひと肌」という温度があり、合わせる魚も微妙に温度が変わっている。それだけで、味が広がっていくことを「エル・ブリ」のフェラン・アドリアさんは見抜かれていました。「アルページュ」のアラン・パッサールさんは海苔巻きを食べて、海苔の香りとシャリの酢加減とのバランスを興味深く感じておられました。そういえば、「イル・カランドリーノ」のマッシミリアーノ・アライモさんは、うちのすしのコースをヒントにパスタでコースを作ったそうです。あたしも料理界に少しは貢献しているでしょう(笑)。
この一年のもっとも大きなニュースといえば、ミシュランの三ツ星。店の前には大勢の報道陣が集まった。
「ミシュラン効果」により電話予約がひっきりなしにかかっても、予約帳は使い慣れたものを使用。昼2回転、夜2回転するように時間を調整する。
フランス料理界の重鎮、ジョエル・ロブションとは年来の付き合い。「天才的な味覚・嗅覚を持っている方」とは二郎さんの弁。ロブションの言葉に刺激を受け、ロブションもまた二郎さんに影響を受けている。
あわび。最近、良質のものが手に入りにくくなったが、アワビもそのなかのひとつ。トリ貝や赤貝を含め、これからなくなるのではないかと二郎さんが懸念している寿司だねだ。
すしに塗られる煮切り。醤油に酒を加え、沸騰したら火を入れてアルコール分を飛ばして作る。白身やマグロ、小肌、アジなど味や食感が異なるのに同じ”ソース“を使うことに、驚きを隠せない外国のシェフたちは多かった。
伝説のフランス料理人である 故アラン・シャペルが唸ったという特大の車海老。ゆがきたてをむき、温かいまま握る。ひと口では食べられないため半分に切るのだが、最近、海老を置く向きを変えた。
山本益博 監修、管洋志 撮影
本記事は雑誌料理王国第168号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第168号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。