1984年に貿易の仕事で来日した、エンツォ・マスッロさん。当初は東京勤務だったが、91年に関西担当になり、98年には大阪で自店をオープンした。なぜ大阪?との問いに「イタリアみたいな町だから、気に入りました」と、エンツォさん。「特に南イタリアの明るくて陽気な雰囲気に似ています。東京にはナポリ料理は似合わないかも」
ナポリに生まれ育った生粋のナポリっ子・エンツォさんは、レストランでの勤務経験がない。ただ、子供の頃から料理が趣味で、休日には母親の代わりに「今日は僕が作るよ」と、食事を用意していたという。「生まれてからずっと食べてきた料理だから、習わなくても大丈夫。僕の料理は母の味、母のレシピです。仕事という感覚もあんまりないね」。
そうして独学でリストランテを成功させたエンツォさんは、なんとピッツァまで独学で習得する。2009年にいきなり窯を買い、試行錯誤の末に、自分の味を作り上げた。
エンツォさんは「僕はピッツァにとてもうるさい」と自認する。「うるさすぎて、ナポリでもピッツァを食べません。だっておいしくないかもしれないでしょ?(笑)。だから自分でやるなら完璧にしたかった」。
モッツァレラはイタリアから直輸入、トマトソースはトマト缶と塩のみ。生地の発酵に12時間もかけるパポッキオのピッツァは、数量限定だ。「イーストを増やして発酵時間を短くすればたくさん焼けるけど、それじゃおいしくない。納得できる味を出すには、この量しか作れません」。
陽気なエンツォさんの、職人らしい頑固さが垣間見えるこだわりだ。
もちろん、ピッツァ窯を造る前からの、こだわりのナポリ料理は健在だ。クリームソースのパスタや、北イタリア料理をリクエストされても「それはナポリにない」と断る。
「すでに、アレンジの時代は終わってます。みんな慣れているから、そのまま食べても十分においしい。だいたい何百年も前から作ってる料理、アレンジするのは失礼です」
盛り付けや店内の雰囲気も、イタリアそのまま。前菜はどっさり盛り付け、パスタはナポリっ子が好きなパッケリなどをラインナップする。「イタリアンは中華料理と一緒です」とエンツォさん。
「このパッケリみたいに、ダイナミックでシンプル。誰でも作れそうでしょ?でもとても難しい」
気取らない料理を楽しく食べるのが本物のイタリアンなのだ。なるほど、それなら確かに大阪向きだ、と答えると、エンツォさんは「そのとおり!」笑顔で答えてくれた。
パスクァーレ
トマトソースとシラスのピッツァ「ビアンケッティ」に、エンツォさんの父親パスクァーレさんが好きだった、ムール貝とアサリをたっぷりのせた。ナポリにはある料理。父親が亡くなった4年前から販売を始めた。直径 30cm。
Enzo Masullo
1958年イタリア・ナポリ出身。84年に貿易の仕事で東京を訪れ、91年より大阪の担当となる。 98年「パポッキオ(現・福島本店)」を開店し、 2009年に店舗拡大とともに窯を設置してピッツァを開始。2012年9月大阪・南船場に「パポッキオ ピッツェリア・バール」をオープン。兵庫県芦屋市在住。
藤田アキ=取材、文 竹中稔彦=撮影
本記事は雑誌料理王国2015年2月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2015年2月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。