「銀座のお客さまに合った店づくり」、それが長い間支持されている理由ではないかと、オーナーの樋田敏郎さんは語る。「たとえばもし客単価3万5000円なんていう設定でこの席数の店としていたなら、とっくにつぶれていたでしょう。経営的な部分とどういう店にするかというのにはバランスがあります。うちの場合は、老舗でもなければ全国に名前が知られているわけでもない」。そんなこともあり、昼は5000円から、夜も1万円からという控えめな価格設定となった。
オーナーの樋田さんは、脱サラしてホテル経営にかかわったのち、1997年、銀座に和食とワインの店「leとよだ」を開いた。和食とワインという組み合わせが新鮮で、ランチが2000円台とリーズナブルということもあって、多くのメディアに取り上げられ、行列の絶えない店として大人気だった。しかしその後、02年に近隣に丸ビルなどができて和風ダイニングが増えてくると、人気に陰りが見えてきた。そこで、今度は本格的な割烹をと、03年に同じ銀座で場所を変えて開いたのが、「銀座とよだ」だ。
戦略的な価格設定というだけでなく、当時からの常連の存在も価格を抑える要因となった。それが奏効し、接待に使う人々やマダムからの支持を受けた。銀座で接待というと非常に高級な店というイメージがあるが、現実的には「1人5万円の予算で、そのうちクラブで3万5000円程度使うことになるから、料理屋は1万5000円までで抑えなければいけません。お酒代を除けば、コース人1万円という設定がちょうどいい」と。さらに女性客についても「昼5000円ならばマダム層も月に一度、あるいは四季に一度程度、無理なく来ていただけます。それにある程度以上の年齢層の方はあまり店を浮気されません」と価格設定の妙を語る。
評価が高いもうひとつのポイントはサービスだ。これにはスタッフのモチベーションを高く留める経営者の姿勢がある。「季節ごとに皆で『あさば』や『俵屋旅館』などといった一流旅館に泊まり、機会があれば料亭などに食事にも出かけます。この店についても、ある程度の時期になれば岡本料理長に名義を譲ろうと思っています。私たちの間には信頼関係ができている。以前は私が店に出ることもありましたが、今は基本的に料理長と若女将に任せています」。そういった態度や心づかいがスタッフの意識を上げ、つねに高いレベルのサービスを維持するベースとなっているのだろう。オープンからこれまでの8年間、スタッフの顔ぶれもほとんど変わっていない。
料理長の岡本圭一さんも「つねにお客さまが主役なのでこの店にはBGMもない。お客さまに語りかけることがBGMだと思っています。忙しくてもしっかりとご挨拶をするという基本。そして、築地で見つけたいい食材の話などで距離を縮める」。そんなお客第一のサービス姿勢と料理長の腕によって、常連は7〜8割を占める。オープン以来8年間、昼夜1回転しかとらない予約はいつもほぼ満席で、月商も1000万円をキープする。
使う人、働く人の双方に配慮し、成功した好例がこの「銀座とよだ」といえるだろう。
酸味を生かしたトマトや食感が印象的なコンニャク、だしのジュレがひと皿に。「ニシン茄子」はその名の通り、ニシンとナスを炊いたもの。京都では昔、魚と言えば乾物しかなかったため、ニシンがよく料理に使われた。そこに季節のナス。キンキンに冷やして提供する。
料理はともに夜の1万円のコースから。江戸時代から上方で女性の好きな素材をいい表した炊き合わせである「イモタコナンキン」、蓮の葉にのせて、涼しげな盛り付けに。タコは煮からめて、イモや南京(カボチャ)は甘く味付けた。
岡本圭一さん
岡本圭一料理長は、1966年岡山県生まれ。和歌山のホテル川久、六本木「山の井」料理長を経て、「とよだ」開店とともに料理長に。若女将の岳野めぐみさんも開店以来のスタッフで、フランスの大使館で勤務の経験も。
text : Dai Matsuo /photo : Yuu Nakaniwa
本記事は雑誌料理王国2011年8月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2011年8月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。