1984年から3年間、主人の仕事の関係でアメリカで暮らした。当時のノートを開くと次から次へ、旅先で出会った面白いパンのスケッチとメモを見つけられる。
クランペットはイングリッシュマフィンよりぐっと小さく、気泡が上面いっぱいにある薄い形。以前から本で読んで一度味わってみたいと思っていたこのパンは、朝食を食べに訪れたヴァーモント州のカフェで偶然味わうことができた。グリドルの上にのせてきつね色に焼き、カリッとしたところにバターをたっぷりしみこませてサーヴされたクランペットは、中身はちょっとダンプリング風の湿度があって、もちっとしたコシがなかなか味わい深い。コンビーフハッシュとアメ リカンコーヒーとクランペットで、なんだか映画の中に入りこんだかのようだった。ニューハンプシャー州の「ポリーズパンケーキパーラー」は、パンケーキのおいしいお店として知られていたので旅先のヴァーモント州から車を数時間走らせた。パンケーキ・サンプラーというメニューは、3インチのを2枚、普通の粉、全粒粉、そば粉、コーンミールなどから選んで注文し、メープルシロップやメープルクリームなどを、好みで添えて食べる。手際よく焼き上げたパンケーキの極上のきつね色がとても魅力的だった。
ヴァーモント州のインの朝食のホットケーキもちょっと厚めにふっくら焼けていて、地元産のメープルシロップがとてもよく合っていた。ニューイングランド地方で食べるパンケーキやマフィンはNYやニュージャージーのものより、塩味が控えめで、ふんわり優しい風味で食べ飽きない印象だった。ベーキングパウダーやベーキングソーダを配合するので、えぐ味を出さないようにバターミルクやサワーミルクを使うレシピが多くみられる。
ボストンのポップオーバーは、クラストがパリッとした、シュウ皮みたいな軽いパン。名物のクラムチャウダーを注文すると給仕の人が各テーブルを廻ってサーヴしてくれる。シンプルなパンだけに、焼きたての熱いうちにお客さまにサーヴするお店の心意気が鍵なのかもしれない。アメリカではお客さまをいかに楽しませるか、喜ばせるかに工夫を惜しまない。そういうホスピタリティーのレベルが当時からとても高いと感じていた。このポップオーバー、軽やかで香ばしくて朝食にもぴったりではないだろうか。
マンハッタンのエチオピア料理店で、仔羊のスパイシーな煮込みや豆の辛いペーストなどを包んで食べる、白っぽいふんわりした大きなクレープ状のパンも、ほんの少し酸味があって一度味わうとやみつきになるタイプだった。このインジェラというパンは、低温で長時間発酵させて作るので、控えめながら奥深い粉の風味が格別なのだ。アメリカで出会って、また味わいたいパンのナンバーワンかもしれない。季節の野菜を生かした朝食のメニューにインジェラを添えてあったら、ものすごく惹かれる。
バワリー地区のジューイッシュのベーカリーで買った、じゃがいもコロッケのフィリングをパン生地で包んで焼いたようなクニッシュも、家庭的ないい味だったし、サンフランシスコサワードウ・ブレッドの酸味の利き方も粋だった。アメリカで出会った懐かしくておいしいパンはまだまだたくさんあって、紹介しきれないのでこの辺りで…。
東京では最近、静かな住宅地に一軒、また一軒と、小さくて個性的なベーカリーが増えている。焼いてからちょうどいいおいしい時にベーカリーカフェで味わい、お気に入りを見つけたら、リピートして買う。パンに出会う楽しみはつきない。
「ツオップ」では2 階にカフェをオープンした翌年、2004 年から朝食をスタート。パンの盛り合わせを出すだけでなく、栄養バランスのいい、しっかりおなかを満たすメニューを提供している。卵料理(3 種から選択)とスープが付いた「しっかり」、トーストとドリンクの「かるく」、デニッシュとフレンチトーストの「甘く」、同店オリジナルのFixing(ペーストやジャム)とともにパンを味わう「パン屋」、そして全14 品からなる「ゆっくり」と、腹具合に合わせて5 種の朝食セットを用意。「しっかり」「パン屋」「ゆっくり」朝食には、10 種類以上の焼きたてパンの盛り合わせが付く。
松野玲子=文 幸田森=写真
本記事は雑誌料理王国2012年9月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2012年9月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。