ヨーロッパでは肉の長期熟成が古くから習慣化されているという。さらに近年、アメリカからは、「ドライエージング」なる熟成法も伝わってきた。赤身牛肉をおいしくヘルシーに食べるための熟成法は、衰え知らずの健康ブームにのったのだ。
日本の熟成肉の先駆的存在として、「中勢以」が東京・世田谷区田園調布にオープンしたのは、2008年。「中勢以」の肉は、今ではすっかりブランド化したが、当時の日本では、表面にカビが生えた牛肉をショーケースに展示して、販売することには無理があった。この頃「中勢以」に勝算はあったのだろうか。「8週間熟成させた肉を食べた時、素直に『旨い!』と思いました。日本人はやわらかな霜降りを好みますから、最初は抵抗があるだろう思いましたが、食べたら共感してもらえると、手応えは感じていました」。こう語るのは社長の出浦陽一郎さんだ。「食」の専門家ではなかったが、20代の頃から、休みともなれば京都の料亭まで足繁く通うほどのコアな食通。「ベンツ何台分も食べちゃったね」と友人にからかわれる、自分のその舌を信じたのである。
「中勢以」の熟成肉の評判は、すぐに料理人や食通に伝わり、さらに精肉店のイメージも変えた。店内のショーケースには、部位ごとに分けられた肉が杉の白木の上に整然と並んでいたのである。それは、これまで見たこともないほどに美しい精肉店だった。
「私のことを仕掛け人のように思っている人もいるようですが、肉のおいしさを追求したら、『中勢以』という形になったというのが真意です。牛肉を扱う人は、必ず熟成期間を設けて、食べ頃を見計らって販売しているはずです。それは私も同じで、『中勢以』にとって一番おいしいと感じられる熟成期間が2カ月だったのです」
「ラムシン」「シンシン」「クリ」など、聞いたこともない部位が味わえるのも「中勢以」の魅力だ。こうした部位が揃うのは、内臓を取り除いた牛を1頭丸ごと枝肉熟成しているからで、温度0度、湿度100パーセント近くに設定された熟成庫の高さは、およそ5メートルもある。
出浦さんは今年1月、文京区小石川に2店舗目の「中勢以」をオープンさせた。田園調布と同じく熟成肉専門の店だが、販売スペースである「中勢以北店」の奥が「中勢以 内店」というレストランになっている。人気の熟成肉をシェフの技によって、よりおいしく食べてもらおうというのが、この店のコンセプトだ。「現在、牛肉は但馬牛、豚肉は南の島豚を熟成していますが、今後、魅力的な食材があれば、熟成の幅を広げていきたい」と語る出浦さん。各国の料理が日本に流入して繊細にアレンジされてきたように、ドライエージングの世界もまた、洗練され、進化していくことだろう。
ラムシン
モモに当たる「ラムイチ」という肉の1部分で、肉の味わいや香りが強い。比較的やわらかな食感で、ステーキやローストビーフなどに向く部位。
上村久留美=取材、文 大野利洋=撮影
本記事は雑誌料理王国2014年1月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 2014年1月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。