色に味はない――。多くの人がそう思っているだろう。しかし、海外では「色に味がある」という研究でいくつかの結果も出ている。それによると、どうやら「おいしい色」は、本当にあるようなのだ。
京都大学で知覚心理学の研究をする山本洋紀先生は、哲学者ウィトゲンシュタインの「白黒の料理はまずそうに見える」という言葉を引き合いに、「色とおいしさと脳・心理」について2017年度から研究を始めている。
それでは、いったい脳のどこで視覚処理が行われているのだろうか。「モノの視覚認知は、後頭部付近にある『後後部下側』の領域で最初に処理されています」と、山本先生はいう。
京都で地元の食材に向き合い、京都らしいイタリア料理で人を呼ぶ「チェンチ」の坂本健さんとともに山本先生を訪ね、「おいしい色」について聞いた。
私たちが見ている「色」は、たとえば四角や丸、硬い、やわらかいといった形や質のように、私たちの外の世界に実在しているものではないそうだ。色は、モノそのものがもつものではなく、極端にいえば、モノの表面に光が反射することで得られる知覚情報だという。色や表面の質感は、たとえば痛みの感覚と同じように、脳が感覚情報を処理した結果、はじめて生まれるのだ。つまり、色は、脳で感じているのだ。
それでは、いったい脳のどこで視覚処理が行われているのだろうか。「モノの視覚認知は、後頭部付近にある『後後部下側』の領域で最初に処理されています」と、山本先生はいう。
ここには、色や質感、形、人の顔、場所などに反応する部分があり、とくに色は、この領域の中の紡錘状回と呼ばれる部分で情報処理されている、と山本先生。
「下の図の脳は、僕の脳なんですが、色がついている部分が視覚情報を処理する領域です。なかでも、赤い部分で色を処理しているようです」
さらにこの近くには、記憶や空間学習能力に関わる脳の器官「海馬」があり、記憶と視覚には、何らかの関わりがあるのだろうとされている。「一方で注意してほしいのは、ここではあくまで、色や形などの情報だけを処理しているということです。たとえば、 『 きれい! 』 や 『 美しい! 』 という感情は、こことは違う部分の脳が処理しているんです」
「きれい」や「美しい」といった快・不快の感情を「情動」というが、これには「おいしい」や「楽しい」も含まれる。色や形の認知とは異なる「情動」が、脳のどこで処理されているかについては、後で説明しよう。
絵の具などの色(色材)の三原色の見え方 モノの色は、そのモノの表面が、光の三原色である赤、緑、青のうち、何を吸収するかによって決まる。たとえば青を吸収するモノなら、反射した緑と赤の光が混ざって黄に見える(右端の図)。モノそのものが色を持っているわけではないのだ。
物体認知をつかさどる「後頭葉後部下側」 左の図は、山本先生の右脳の底部を下から見たMRI画像。現在の技術では、30分程度で立体映像を撮ることができる。視覚認知は、図に色をつけた後頭葉の後部が処理している。なかでも、赤くなった部分が、色を認識する部分だ。
「好きな色は何色ですか?」と聞かれて、あなたはどう答えるだろうか。
武蔵野美術大学名誉教授の千々岩英彰さんの研究によると、世界カ国、約5500人の学生を対象に色彩調査したところ、およそ7割が「青が好き」と、答えたという。
「人間の色覚は、青と黄、赤と緑がセットで、それぞれ別々の視神経を通じて脳に伝わっています。このうち、青と黄の方が古くからあるシステムで、赤と緑は人類が進化をする過程で獲得したものです」と山本先生は説明する。
人類の祖先にあたる類人猿のうち、地上で暮らすゴリラなどは、人間と同じように4色を認識することができる。ところが、木の上で暮らすオランウータンなどは、青と黄しか見えていない。木から降りて、地上で暮らそうとした進化の過程で、木の実や若芽などを見分けるために、色覚が進化したという説がある。
人間が青を好む理由も、木の上で暮らしていた頃から知っていた色だからかもしれない。
たとえば「★」と「○」のような形に「キキ」と「ボウバ」どちらかの呼び名を付けるか? と聞くと、多くの人が「★」には「キキ」、「○」には「ボウバ」と答えるという。つまり、「形には音がある」ともいえるのだ。こうした、本来は関係のないもの同士の間に、何らかの対応があることを「感覚間協応」と呼ぶ。
それでは、形と音の関係のように、色と味にも感覚間協応があるのだろうか。オックスフォード大学では、この研究を30 年近く続けている。
下の図を見てほしい。この5色に、「甘味」「酸味」「苦味」「塩味」「旨味」の五味を当てはめると、多くの人は、この図と同じペアを作るという。これは、ピーマンの緑=苦い、レモンの黄色=すっぱいという特定の食べ物に関連しているものではない。私たちは、実際に味わう前から、脳で色と味を感じているのだ。
「料理を見て『おいしそう』と感じるのは、この色の法則が大きいんですね。逆に、この法則を外すような、予想を裏切る味に出会うと、人は不快に感じる。でもその一方で、その裏切りが、新しい体験として驚きや楽しさを感じてもらえることにもなります」と、坂本さん。そこに「おいしい色」のヒントがあるようだ。
「色に味があるのか?」という疑問について、もうひとつ興味深い研究がある。横浜国立大学大学院環境報研究院の岡嶋克典さんが、マグロの握り寿司を食べる際に、VRゴーグルを着けてマグロをサーモンに変換させたところ、マグロなのにサーモンの味や香りがしたというのだ。「サーモンを見て食べると、脳の味覚部分が記憶に左右されて、味や香りに変化が出てしまったのです」「食材についての思い込みは、店でもよくありますね」と坂本さん。「たとえば料理に、カボチャのような甘い食材を使うのを好まない方がいらっしゃいます。ご年配の男性に多いのですが、そのかわり、同じ素材のカボチャでも、プリンやスポンジケーキなら大丈夫だとおっしゃる。五味とは関係なく、お菓子と認識できれば『好き』という感情が現れているわけです」
それでは、この曖昧ともいえる「味」は、どのように脳で処理されているのだろうか。
「じつは、味覚に関する脳の領域がどこなのか、まだ研究が進んでおらず、わからないことが多いのです。そのうえで、まず整理しておきたいのは、味には『酸っぱい』や『甘い』などの五味の認知と、『おいしい』『まずい』という感情がある。そして、その2つのプロセスを、脳では別々に処理しているということです」
最近の研究では、五味の認知は、脳の内側にある島皮質とよばれる部分の後部(後頭部側)で処理され、「おいしい」という快の情動は、島皮質の前部(額側)や、目の奥の方にある眼がん窩か 前ぜん頭とう皮ひ 質しつで処理されていることがわかりはじめている。
「この『快の情動』については、認知よりも先に起こるとされています。つまり『甘い→おいしい』ではなく『おいしい→甘い』という順番で脳が反応するのです。私たちは、おいしさを理屈で考えてしまいがちですが、脳では五味より先においしいを感じている。おいしいは、論理的な思考ではなく無意識のもので、言葉でとらえることができないもの。心理学では、好きか嫌いかに理屈はないといわれており、『おいしい』もそれと同じで、説明できない感情なのです」
オーストリア出身の哲学者ウィトゲンシュタインは、著作「色彩について」で次のように語っている。(白黒の)映画のなかでは、(白黒)写真と同じように、顔や髪の毛が灰色に見えることはない、それらはまったく実物とかわらぬ印象を与える。だがそれに対して皿に盛られた食べ物は(白黒の)映画のなかではしばしば灰色に見え、それゆえまずそうに見える。
「ウィトゲンシュタインが言うように、色が食べ物のおいしさに関係するなら、『おいしい』と反応する脳部分が、食べ物の色だけに、同じように反応するのではないか」。そう考えた山本先生は、次のような実験を行った。
料理とキッチン用品のカラー画像を、それぞれ8点ずつ16点用意。さらに、この画像のモノクロ版も合わせた合計32点の画像をランダムに画面に流し、それを見た人の脳の反応をMRIで観察した。すると、カラーの料理を見たときにだけ強く反応する脳の部分があることがわかった。それは、山本先生の予想通り「おいしい」に反応したのと同じ、眼窩前頭皮質や島皮質前部だった。
「とくに眼窩前頭皮質は前頭葉の一部で、人類の進化の過程で発達しました。ここでは色のほか、記憶や香りなど多くの情報を処理しています。おそらく、味(五味)のレベルでは同じでも、美しい色や過去の記憶などの刺激を受けることで、私たちは『おいしい』と感じるようです」
実験の被験者は、まだ2人だけで、今後さらに多くの実験結果を集めていく必要があるが、山本先生は「脳科学的にみても、食べ物の色が、快の情動(おいしい)に関連があることは確かなようです」と言う。
卵を使わずイカスミを練り込んだ黒いパスタ。白い剣先イカは横に3枚にスライスしてから細切りにすることで細胞をつぶし、甘味を引き出した。ラディッシュと黒ダイコンの辛み、そして卵の黄身が絡むことで全体がまとまる。そして、最後に塩味としてカラスミを削った。
坂本さんは、山本先生の話を聞いた後、「チェンチ」のキッチンに入り、「色」と「おいしさ」をテーマにした新メニューに挑んだ。最初のひと皿はパスタ。白と黒のモノクロームの世界に黄と赤、緑の食材の色が浮かび上がる。「人類は、モノクロームの世界から段階を経てカラーの世界へ進化したというお話から、人類の色覚の進化をひとつの皿で表現してみました」と坂本さん。イカスミを練り込んだ手打ちパスタと、細く切った剣先イカで演出したモノクロの舞台に、カラスミや卵の黄身、クレソンやラディッシュ、黒ダイコンの色を落ち着いた配色でまとめている。
次の小さなココットに入った煮込みは、豚バラ、コカブ、昆布出汁、七味だけで味をまとめたシンプルなひと皿。坂本さんは、取材の直前に南米ペルーを訪問しており、そこで食べたスープが、この料理の原風景にあるという。「水と塩と素材の味だけ。これもまた、色も味もモノクロームの世界ですね」。そしてこの後、坂本さんの料理は、次の皿でプリミティブな世界から、現代へと向かう。
1975年、京都府生まれ。大学卒業後、
イタリア料理の道へ。京都「イル・パッ
パラルド」に3年半勤めた後、同店の
シェフを務めていた笹島保弘氏の独立
に付き従い、2002年に「イル・ギオッ
トーネ」へ。9年間、料理長を務めた後、14年に独立した。
アンコールペッパー 仔豚のロースは皮を焼いて香りを。モモはジューシーにロースト。コカブには、炊いた玄米を60℃で5日間置き、酵素の力でやわらかさも栄養価も高まった玄米、魚醤とともに
醗酵させた米麹、スダチとカンボジアの塩漬け生コショウの"酢橘胡椒"、黒米と合わせた。ソースは仔豚の出汁と黒ニンニク。
一転、真っ白な皿に盛り付けられたのは、煮込みと同じ食材の豚とカブ。七味の代わりにカンボジアの塩漬け生コショウを使ったが、スパイスという点では前の皿と構成は同じ。「仔豚は皮面を焼いて香りをつけたり、異なる部位を使ったりしています。米麹と魚醤を醗酵させたものや、旨味と食感を与えた酵素玄米、仔豚の出汁を加えた黒ニンニクのソースなど、旨味も重ねています」と坂本さん。この料理を山本先生は、「坂本さんは同系色の素材をまとめてグルーピングしていらっしゃる。料理写真をモノクロにしてみるとわかるのですが(右写真参照)、根菜の緑を豚肉と一緒に盛り付けることで、明るさの境界があいまいになり一体感が生まれています」と分析。「無理にアクセントをつけたり、皿の端や全体に料理を散らして盛り付けるのは好きではありません。皿の中心にひとまとめにして盛り付けることを考えています」と坂本さん。
京都に生まれて、ずっと京都で料理人として仕事をしてきました。そんな僕にとって、京都の色といえば鴨川です。鴨川沿いの道を通って店に来ているので、毎日見ています。11月になると、紅葉も始まって川岸は赤っぽく染まっています。空気が澄んでくるので、遠くの山の色合いも視界に入ってくる。春には桜。それが過ぎると新緑の葉が生い茂って道幅が狭くなったように感じます。そして夏になると、川の水かさが減って、川底の苔が見えるので緑っぽくなる一方で、空は青く明るい。苔は台風がくると流されてしまうので、秋には川の水がきれいに映るんです。
食材も、自然の色を大切にしたいと思っています。たとえば、春のタケノコや山菜の時期は鮮やかな緑のイメージだと思いますが、灰汁をとると淡い緑になる。僕は、それでいいと思っています。それが季節の色。過度な色止めもしません。だから、派手な色合いの盛り付けは得意ではありません(笑)。料理全体のトーンは抑えた色合いだと思います。
10月に料理人仲間と南米ペルーに10日間ほど行ってきました。現地で食べた料理で印象的だったのは、水と肉や魚、塩だけで炊いたスープでした。そこには、ポツンとピクルスが浮かんでいます。この酸味がものすごい味の変化を生んでいました。ガストロノミー的に旨味を重ねたスープの中では感じられない、単一の旨味の中だからこその化け方。山本先生のお話を聞いて、まず思い浮かんだのがこの体験でした。多色の世界では気づかない、小さな味の力を表現したい。それが豚とカブラの煮込みに浮かべた七味です。
一方で、最後の皿は、豚肉とカブ、スパイスという構成は同じにしながら、より複雑に手を入れて色の要素も多くしました。それでも、皿の上ではそれを感じさせないように盛り付けました。食べてみると、一つひとつが味として意味合いを成している。普段、僕がチェンチでやっていることを表現できたと思います。
江六前一郎=取材、文 村川荘兵衛=撮影 text by Ichiro Erokumae photos by Shohee Murakawa