富山県西部に広がる散居村に昨年10月オープンした「楽土庵」は自然と人々の暮らしが一体となって育んできた、この地域の「土徳」を体感できるアートホテルだ。地域と共に旅人を癒やし、楽しませ、さらに地域も再生させるそのスタンスが、注目されている。
田植えが終わったばかりの水鏡のような田園風景に、黒瓦の屋敷が点在している。富山県西部にある砺波(となみ)平野に広がる、日本最大級の散居村(さんきょそん)。散居村とは、家と家が離れて散在する集落の形態のこと。伝統的な家屋「アズマダチ」が、カイニョ(屋敷林)に囲まれ、その周囲には水田が広がる。500年の年月をかけて作られ、受け継がれてきた景観には、そこで営まれてきた人々の暮らしが息づいてきた。
「500年かけて作り上げてきた景観や営みを、なくしてよいものか」。そんな思いから始まり、散居村に新たな価値を見いだし、受け継いでいくためにオープンしたのが「楽土庵」だ。三方を水田に囲まれた築200年のアズマダチをリノベーションした、1日3組限定のアートホテル。工芸や民藝、現代アートを館内に設え、3つの客室は、それぞれ紙・絹・土という古来の自然素材を使ったスモール・ラグジュ
アリーな空間。そこは「富山の土徳(どとく)」を体感する場所なのだという。「土徳とは、人と自然が共に作り上げてきた、その土地が醸し出す品格のようなものです。散居村は、水管理がしやすいように田んぼの真ん中に家があります。その周りのカイニョは、平野を吹き抜ける風よけになり、その枝は薪となり、灰は肥料や消雪剤として使われました。風よけの高い木の下には、花木や果樹、その下には薬草や食用の草を植え、人だけではなく、鳥や虫も命を繋げる小さな里山が形成される。サスティブナルな暮らしが、ここではずっと前から営まれてきたのです。また、水と木々があるので、生物多様性が保たれていますし、都市部に比べて地表面が13℃低いというデータもあります。優れたエコシステムでもあるんです」と、プロデューサーの林口砂里さんは語る。
とはいうものの、近年の生活様式の変化は散居村も例外ではない。「だからこそ、未来に繋いでいく責任がある」と、林口さん。そのために楽土庵では3つの取り組みを掲げている。
一つ目は『宿泊料金の2%を散居村保全活動の基金にする』こと。その基金は、屋敷林の手入れを担うボランティアや、剪定枝を木質バイオマス発電に利用する活動に寄付される。宿泊客も、散居村保全にひと役買うことができるのだ。
二つ目は『散居村の魅力や課題が体感できるアクティビティの実施』。その一例として林口さんが挙げるのは、夕食前や朝食後にスタッフと一緒に周辺を散歩する、散居村ウォーク。
「豊かな水が水田に流れ込み、道端には季節の花が植えられ、砺波平野に5500体あるという石仏は、どれも手入れされ大切にされています。少し歩くだけで、住む人たちが当たり前のように暮らしに美意識を持ち、豊かに暮らしていることがわかるんです。旅の方に『綺麗ですね』『素晴らしい』と言われることは、地元の人の誇りもに繋がります」。宿泊客が富山の土徳を体感し癒やされることで、同時に
地域の再生に寄与するという「リジェネラティブ(再生)ツーリズム」を進めているそうだ。
また、地元の伝統的な素麺「大門(おおかど)素麺」を作る体験や、客室に使われている絹の工房を訪ねるなど、生産者を巡るツアーも実施。なかでも“富山湾の宝石”と呼ばれる白えび漁を体験するツアーでは、漁師達のサスティブナルな取り組みも、人々に伝えている。
楽土庵から車で20分。白えび漁の拠点・新湊漁港では、資源保護のため、毎日半分ずつの船が漁に出て、獲った白えびは全員で分けるプール制を取り入れている。その漁を知ってもらうための情報発信を目的に、漁師3人が発起人になり令和2年「白えび倶楽部」が発足。漁の体験ツアーも開始した。獲れたての白えびは透明で、昔は「べっこうえび」と呼んでいたそう。その獲れたてが食べられる漁師の特権を、ツアー参加者も味わえるのだ。
三つ目は『散居村の米や野菜、地元の伝統産業や工芸作家の器などを使用する』こと。レストランで使う食材はもちろん、器やカトラリーは、地元の蔵に眠っていた九谷焼や漆器、工芸作家が手がけたもの。中にはガラス瓶をアップサイクルしたものもある。アメニティは、土地に自生する黒文字や檜、立山杉をブレンドしたオリジナル。薬売りの歴史を誇る富山の製薬会社と共に作ったそうだ。
楽土庵のレストラン「イル クリマ」は、イタリアン。シェフの伊藤雄大さんはこの土地の食材と出会い、食文化に触れながら、独創的なコース料理を提供している。必ず作るひと皿が「よごし」だ。根菜などの葉を味噌で和えた砺波の家庭料理で、家ごとに味や作り方が違う。伊藤シェフは砺波でこれを食べ、「地元の人が愛しているものを自分の料理で表現したい」と考えたそうだ。文化庁の「100年フード」にも選ばれている郷土料理だが、伊藤シェフのよごしは、味噌を使わない。「味噌と醤油は、日本が誇る本当に優れた調味料です。それだけに、その味に引っ張られてしまう」と。
味噌の代わりに味をまとめるものをと考えたのが、カポナータのアイスクリーム。この日の「よごし」は、大根菜と白菜をニンニクオイルと地元のイカ魚醤で炒め、イカのスライスを入れたものに、スモークしたメジマグロ、野蒜(のびる)、カポナータのアイスクリーム、昆布だしのムースをのせた。シェフが育てたハーブや店で乾燥させたブラックオリーブパウダー、パセリオイルで仕上げている。
見た目は、家庭料理の「よごし」とは全くの別物。地元の人も最初は驚くが、食べるとなんとなく納得するそうだ。採れた野菜を大切に、美味しく食べるというスピリッツが共通しているからだろう。昆布を使うのも富山の食文化だ。
「よごしは、各家庭それぞれの味があります。イタリア料理も同じ。お母さんのトマトソースだってそれぞれですから。イタリア料理は、その地域ごとの郷土料理の集合体。だから、砺波の食材を使って郷土料理を再現するのは、僕にとって自然なことです」という伊藤シェフ。
リゾットには富山の酒米「雄山錦」を使っている。通常、日本では流通の関係で地元の酒米を直接仕入れることは難しいのだが、この地域は地元のJAが取りまとめているため、入手できるそうだ。「酒米は、削ることを前提にしているので芯白が大きくて、リゾットに向いているんです」と、伊藤シェフ。氷見(ひみ)の鯛と筍を使ったリゾットには、岩海苔と木の芽オイルが。海も山も豊かなこの地ならではの味わいを、しっかりとした歯ごたえの酒米が引き立てる。ペアリングでは、もちろん雄山錦で醸した地酒を合わせるそうだ。
「地元の人達や工芸作家さん、生産者の皆さんのいろいろな思いを受け止めて伝えることが、ここで料理をする意味だと思っています」
集落の景観や料理を通じて、単なる観光ではなく、土地の価値に共感し訪れる人が増えること。住んでいる人が、土地の美しさや豊かさに改めて誇りを持つこと。楽土庵は、双方の価値観を掘り起こし繋ぐことで、散居村に新しい風を起こしている。
株式会社水と匠
代表取締役・プロデューサー 林口砂里(左)
富山県出身。東京外国語大学中在学中に留学先のロンドンで現代美術に出会い、東京デザインセンター等での勤務・起業を経て、2012年にUターン。地域のものづくり・まちづくり振興に取り組み、2019年より現職。
il clima(イル クリマ)
シェフ 伊藤雄大(右)
大阪府出身。大阪あべの辻調理師専門学校卒業後、講師として同校に勤め2010年フランス校に出向し「ル・カステラス」で、2015年にイタリアに出向し「レ・カランドレ」で修業。「イル クリマ」開業に伴い富山に移住。
text: Takako Tsuguma photo: Naoki Mizuno