時代を超えて愛され続ける名匠のスペシャリテがある。
日本のフランス料理界を切り開いた「レストラン パッション」のオーナーシェフ アンドレ・パッションさんのスペシャリテは「カルカッソンヌ風カスレ」。
ナラの木が赤々と燃える暖炉。暖炉の上部に帆立貝の飾りがついていますね。そう、帆立貝はキリストの十二使徒の一人ヤコブを表わしています。ヤコブはスペインの守護聖人で、その遺体が9世紀に現在のサンティアゴ・デ・コンポステールで発見されたと伝わります。以来、人々は、フランスからピレネー山脈を経由してスペイン北部をひたすら西へ、聖地サンティアゴ・デ・コンポステールを目指して1500キロの道を巡礼しました。暖炉はこの道筋にあったフランスの修道院で1690年から使われていたものです。
それから320年以上を経た現在、巡礼者たちを暖めた暖炉は、ここ東京・代官山の「レストランパッション」の「調理器具」になって、カスレを温めたり、肉を焼き上げたりしています。今、私が作るカスレと同じようなものを、かつての巡礼者も味わったかもしれない……そんな風に想いをめぐらせながら暖炉にマキをくべると、私はとても幸せな気持ちに浸れます。
カスレはフランス南部オック地方の伝統料理で、白インゲン豆、ソーセージ、鴨、豚などを素材にしています。私の「カルカッソンヌ風カスレ」には、私の全人生がつまっているといっても過言ではありません。
あれは16歳の頃だと思います。私はフランス南部の都市カルカッソンヌの学校に通っていました。家に帰る途中、何とも言えない料理の良い香りが漂ってきました。そこは「マルセル・エメリックのレストラン」。カスレの店でした。とっさに私は店に入り、この店の料理人になることに決めていました。料理人なら失業することもないだろう。世界を旅する職業だ。そんな思いが、この道に入る決め手になりましたが、実際にはカスレの香りに引き寄せられたというのが本当なんです。
「カスレの神様」と呼ばれていた私の師、エメリックさんのところで4年間修業。以来、私はレシピを変えていません。豚のスネ肉を塩漬けしたアイスバインと豚足で1日かけて出汁をとることから始まり、じっくり2日はかけます。材料は白インゲン豆、鴨のコンフィ、豚肉の各種部位、トゥールーズソーセージなど。出汁で材料を煮込んだ後に、200℃のオーブンで焼く。それをまたオーブンで温めます。白インゲン豆は、日本のものだと柔らか過ぎて適さない。南フランスのタルブ産に限ります。
私は69歳になり、二人の息子は、私の片腕としてこの道で活躍しています。5人の孫にも恵まれています。人生は、素晴らしい。
26歳で大阪万博の「レストラン・デュ・カナダ」のシェフとして来日した当時は、老後を日本で送り、日本でカスレを広めることになるとは、夢にも思いませんでした。女性の力は凄い。私は大阪万博のあのお祭り騒ぎのような興奮の中で日本の女性と恋をしました。彼女の美しさと優しさに支えられてきたからこそ、今の私がいるのだと思います。
そして、1回の仕込みで20人分のカスレを作り、これを1個5人分のサイズのカセロール(土鍋)に分けます。この作業を数回、私が一人で行い、皆様にサーブします。
皿につけあわせや飾りをつけないのは「料理のおいしさとは別だと思うから」と大宮さん。メニューの9割を1000円以下にして、シンプルに「おいしい」を追求している。
レストラン パッション
東京都渋谷区猿楽町29-18 ヒルサイドテラスB1
03-3476-5025
● 11:30~14:00LO、18:00~22:00LO
● 不定休
www.pachon.co.jp
長瀬広子=取材、文 依田佳子=撮影
本記事は雑誌料理王国第232号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第232号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。