料理界にも“日本代表”がいる。世界最高峰のコンクール「ボキューズ・ドール2027」への挑戦が京都で幕開け


「料理界のオリンピック」と称されるボキューズ・ドール。2027年大会に挑むチームジャパンが去る6月、京都のHOTEL THE MITSUI KYOTOでお披露目された。代表の浅野哲也さんを最強の布陣が支え、史上最多メダリストである『ゼラニウム』(デンマーク)のラスムス・コフォードさんも駆けつけた。

史上最強の布陣が京都に集結

「料理界のオリンピック」と称されるボキューズ・ドール国際料理コンクール。1987年の第1回大会以降、2年に1度フランス・リヨンで開かれる世界最高峰のフランス料理コンクールだ。

日本は初回から参戦してきたが、最高位は2013年大会の3位。2016年には一般社団法人ボキューズ・ドール ジャパンが発足し、バックアップする体制を模索してきた。かつては歴代の出場選手がコーチを務めて指導に当たってきたが、2023年からは星付きレストランの料理人や、他の世界的コンクールで実績を残した料理人も参画。

例えば今年の選手をバックアップする布陣には、元『セザン』のダニエル・カルバートさんやル・テタンジェ国際料理賞コンクールをかつて制した『ジョエル・ロブション』エグゼクティブシェフの関谷健一朗さんが名を連ねる。

ボキューズ・ドール2027日本代表の浅野哲也さんは1982年兵庫県生まれ。リーガロイヤルホテル大阪を経て2008年に渡仏。ホテルオークラ アムステルダムや『レストラン ドルーアン』を経てオテル・プラザ・アテネでアラン・デュカス氏に師事。フォーシーズンズホテル『ジョルジュ・サンク』、オテル・リッツ・パリ『レスパドン』統括副料理長を務める。2019年12月に帰国し現職。

去る6月25日、『HOTEL THE MITSUI KYOTO』(京都市中京区)において2027年大会に挑むチームジャパンのメディア向けお披露目会と交流会が開かれた。

代表は同ホテルのレストラン『都季/TOKI』の料理長・浅野哲也さん。オランダやフランスの名店で研鑽を積み、日本人として初めて『オテル・リッツ・パリ』メインダイニングの統括副料理長を務めた実力者だ。コミ・ド・ラン(アシスタント)を務めるのは、社内コンペティションで選ばれた同ホテルの笹岡悠斗さん、20歳。コーチにはボキューズ・ドール2015年・2019年大会で活躍した神戸・三宮『アントル・ヌー』オーナーシェフの髙山英紀さんが就き、アドバイザーとして先の関谷さんやダニエル・カルバートさんが名を連ねる。そして特別ゲストには、ボキューズ・ドール銅・銀・金すべてのメダルを持つ大会史上最多メダリスト、デンマーク『ゼラニウム』のラスムス・コフォードさんが登場。初来日を果たし、チームへの助言を行った。

「浅野さんは、今の日本で勝てる可能性がある第一人者。これ以上ないメンバーで戦いに挑む」と語るのは、今年から一般社団法人ボキューズ・ドール ジャパン理事長に就いた辻芳樹さん。体制への自信をのぞかせる一方「まだ数千万円の資金が必要」と協賛を呼びかけた。7月12日からはクラウドファンディングも始まっている(URLは一番下記に)。

異例の4年計画による入念な準備

浅野さんは2027年1月の本選に向け、4年前から準備してきた。

というのも、これまでは大会の2年前に国内選考を行って代表を決めていたが、2023年の国内予選では試験的に2大会分の代表を選出。2025年代表の貝沼竜弥さんと、2027年代表の浅野さんが同時に決まったのだ。そのため、浅野さんは貝沼さんのサポートチームに加わり、前回大会をつぶさに見てきた。「2年では技術は大きく変わらないが、4年あれば精神的な地盤固めができる。前回のケーススタディを分析し、糧にできるのでは」と辻理事長。長期計画は着実に実を結び始めている。

今回、浅野さんをバックアップする強力な役割分担も明確だ。「コンクールには特殊な戦い方、ノウハウがあります。どう時間を短縮し、いい結果を得るか。そこでコンクール経験者である私たちが協力できる」と関谷さん。カルバートさんは「審査員は世界中から集まります。日本人以外の人間が何を楽しむか、その経験と外国人ならではの視点を持ち込みたい」と国際的な目線を担う。

世界一の先に。挑戦しにくい日本の現実

質疑では「優勝は日本の料理界にとってどんな意味を持つのか」との問いも投げられた。

浅野さんが挙げたのは、フランスの地方で結果を出したシェフが、旅の目的地となるレストランを地域とともに育ててきた例だ。「一つのコンクールの結果を、どうレストランに、どうゲストの体験に、次を目指す人材につなげるか。フランス料理業界、ホテル、地域全体を盛り上げるきっかけにしたいです」。

辻理事長もまた「フランス料理は一つのツールに過ぎません。各国の料理人が自国の食材を表現するコンクール。日本の食材を生かす表現者として世界一を目指すこと自体が、日本の職人の技術の底力を示すと考えています」と話した。

「6か月かけて、1日限りのレストランをオープンするイメージ」と現在地を表現するのは高山コーチ。「世界のトップシェフが集まり競い合う舞台で、中途半端では上位に食い込めない。課題は山ほどあるが、一つずつ丁寧に消していくことが一番の近道」と冷静に見据える。

とはいえ、常連国との差は小さくない。「チームづくり、スケジュール管理、資金繰りなど、ヨーロッパの常連国には国をあげたサポートとコンクール自体の知名度があり、その差を痛感した」と前回大会を振り返る浅野さん。日本では選手が本業を休んで大会に集中する必要があり、店の運営から練習、資金集めまで、チームが背負うプロジェクトマネジメントの負荷は高い。

「勝てる実力を持つ料理人が、国内予選に参戦していない。時間をかけるリスクを考えれば、参戦をためらうのも無理はない」と関谷さんも続ける。自身も挑戦を考えた時期があったと明かした上での言葉だけに、重みがある。才能があっても、資金がなければ挑戦できない。店を休めないから、世界一を目指せない。挑戦が本人と店の経済的リスクになっている現実こそ、日本の最大の課題だ。だからこそ「挑戦と同時に、このコンクールをもっと多くの人に知ってほしい」と浅野さんは言葉に力を込める。

デンマークが示す未来図

交流会では、コフォードさんが乾杯の挨拶に立った。

「私は日本の料理と歴史からインスピレーションを受けてきました。それは、私たちが歴史と伝統への敬意という、同じ価値観を共有しているからだと思います。それは食にまで貫かれています。日本にはボキューズ・ドールで輝く大きなポテンシャルがあります。世界中があなた方の料理からインスピレーションを受けているのだから。楽な道ではないが、必要な土台はすべて揃っています」とエールを送った。

歓談の場でも、報道陣の質問に率直に答えたコフォードさん。初挑戦した2005年は「スポンサーはごくわずかで、銀行から融資を受けて資金をつくり、賞金は次の挑戦に注ぎ込みました。お金のためにやったことは一度もありません。自分の技術を磨くため、そしてデンマークの食文化のための挑戦でした」。

政府がバックアップに動いたのは金メダル獲得後だという。「金額は大きくなく、支援の中心はいまもスポンサー」としながら、優勝の波及効果をこう表現する。「デンマークは日本のように食で名を知られた国ではありませんでした。それをボキューズ・ドールが変えました。いまではデンマークを訪れる旅行者の3人に1人が、食を目的にやって来る。水面に広がるいくつもの波紋が、大きなうねりをつくるように変化してきました」。

現在のデンマークでは、スポンサーの資金により大会の数か月前からコミ・ド・ランやサポートスタッフに給与が支払われ、選手は本業を離れて準備に専念できるという。挑戦を個人の犠牲にしない仕組み。それが、銅・銀・金と続く強さの土台を成す。

チームジャパンへの助言も明快だ。「表彰台を視界の先に置きながら、強い土台を築くこと。優れた候補者が時間をかけて力を発揮し続けることが、結果につながります。一朝一夕に手に入るものではない。優れた鮨職人になるために時間を注ぐのと同じではないでしょうか」。三つのメダルを重ねた自身の歩みは「山頂へは、ゆっくり一歩ずつ登りました。長いプロセスだった。料理人としてだけでなく、人間として成長していく道のりでした」と静かに振り返った。

談笑する浅野哲也さんとラスムス・コフォードさん。

デンマークの歩みが示すのは、挑戦を支える仕組みがあれば料理人は輝き、その光が国の食文化全体を照らすという事実だ。

一方で日本では、才能ある料理人が経済的リスクを恐れず手を挙げられる環境はまだ道半ばにある。行政の支援を待つだけではなく、挑戦の価値を伝え、選手を知り、応援する輪を広げていくこと。この現実を社会に伝え、問い続けることも重要だ。

2027年1月のリヨン。4年をかけた挑戦の行方に注目したい。そしてこの挑戦を知ること、伝えること。その一つひとつが、次の挑戦者を生む波紋になるに違いない。

クラウドファンディング「世界最高峰の料理大会へ。浅野シェフ、日本代表の挑戦を応援しよう!」
https://camp-fire.jp/projects/954517/view

text: Ryoko Sato

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