【羊と日本人~最終回~】 ブームから文化としての固定へ


株式会社場創総合研究所代表取締役。羊好きの消費者団体羊齧協会主席。羊を常食とする地域で育ち、中国留学時にイスラム系民族の居住区に住んでいたことなどから、20代前半まで羊は世界の常識と思ってそだつ。本業は「人を集める事」企画から集客、交渉や紹介など。公的団体の仕事から、個人までできる事なら何でもやるスタンス。最近は四川フェスの運営団体麻辣連盟の幹事長も兼務。監修書籍に「東京ラムストーリー(実業之日本社)」「家庭で作るおいしい羊肉料理(講談社)」がある。

過去の記事はこちらから!

第一回:羊はどこから来たのか?
   (https://cuisine-kingdom.com/colum-sheep1/
第二回:明治維新富国強兵と羊
   (https://cuisine-kingdom.com/colum-sheep2/
第三回:羊毛から食肉への移行そして輸入自由化へ。
   (https://cuisine-kingdom.com/colum-sheep3/
第四回:羊ブームはかつてあったのか?今は第三次ブーム?
   (https://cuisine-kingdom.com/colum-sheep4/

■前回は・・・

前回は、3回の羊肉ブームについてお話しさせていただきました。今回はまさに今皆さんが体験している第三次ブームについてと、その後について詳しく解説してみます。今回で最終回となります。

第三次ブームのその後 日本での文化としての定着

個人的に、第三次ブームは既に過ぎ「文化として固定化」の時期に今入っていると感じています。ブームとは一過性のもの。第三次ブームは終結せず、固定化へと進んで行くのです。メディアは2020年の前後に「第三次ブームが!」と特集しておりましたが、既に遅く第三次ブームは数年前からいわれていることです。まあ、わかり易さから私も使いますが、ここ数年「羊肉がブーム」との記事が出続けている状態です。ブームではないと記事化しないらしいので、あまり「もうブームは終わり固定化の時代だ」とは言いにくいのが本音ですが。

さて、何を持って文化として固定化しはじめたか? というと「家庭に入り込む」「素材として抵抗がなくなる」ということではないでしょうか。ここでいう文化はこんな感じの軽い認識です。具体的な事例を項目に分けて説明したいと思います。

■羊レシピ本が登場

2019年に2冊の本が出ました。
『羊料理世界のレシピ135品と焼く技術、さばく技術、解体』(柴田書店)
『家庭で作るおいしい羊肉料理』(講談社)

ここ10年で羊のレシピ本は出版されていません。それは、羊肉が一般的な食材ではないからです。つまり2019年に2冊出たということは、家庭や店で羊料理を作るという基盤ができたということでもあります。

■首都圏の主なスーパーでの取り扱い開始

以前まで、スーパーで売っている羊肉といえば冷凍のロール肉でした。しかし、今は首都圏展開の多くのスーパーで羊肉の取り扱いがあります。つまり、消費者の間で需要があるからそうなっているわけで、伊達や酔狂で量販店は取り扱っているわけではありません。この流れは2017年のイオンリテールの「第4の肉「ラム肉」売場を2~3倍に拡大」リリースから加速した気がしています。

■雑誌で2本特集が同時に組まれる。

料理王国では巻頭特集。エル・グルメではセカンド扱いですが特集と、同じ月に2つの雑誌が羊特集を組みました。これは2年前のdancyuで羊肉が特集されたのに続く快挙かと思います。以前は羊の特集はめったになかったのですが、ここ最近は特集になったり記事になったりすることが増えてきました。

■サイゼリヤでラム肉が爆発的人気

2019年末より話題を席巻したサイゼリヤのラム肉。全国的に販売されたアロスティチーニ(羊串)が売れすぎて品切れが続出し、材料の羊肉も枯渇し販売中止になるという事象が起こりました。何がすごいかと言うと低価格帯のチェーン店で羊肉が受け入れられたことです。これは一部の羊好きが集っただけでは到底不可能なことで、一般の方たちが羊肉をチョイスし、美味いと思い拡散していった結果です。

そして、添付のスパイスが好評で家でそのスパイスを再現し羊串を作りInstagramにUPするような流れにもなりました。菊池が所属する羊齧協会が推薦している羊専用スパイス羊名人もこの流れに合わせて販売数を伸ばしたようです。つまり「マニアック食材」から「普通の食材」として羊肉が受け入れられた瞬間で、この後様々な業種が羊肉に注目し始めた大きなきっかけになり、一気に一般化し食文化の一つとしての定着が進むか!と期待された時でしたが、コロナ騒動が起こり停滞してしまいました……。

▲家庭向け羊肉調味料「羊名人(https://80c.jp/restaurant/20141102-315.html)」

このように、日本の羊肉は「もともと日本になかった」ということもありその他の食材と違い国の都合や企業の都合などに振り回され続けてきました。そして、羊が本格的に飼われ始めた明治初期から150年近くたち、団体の都合で振り回されていた羊肉が、羊好きな人達の力で家庭に入りはじめたことは非常に感慨深いです。

新型コロナウイルス感染症対策の問題で一旦足踏みとなりますが、羊肉取扱店もテイクアウトメニューの開発や通販の取り扱いをはじめるなど、生き残りをかけた努力を重ねています。復活の機運は徐々に出てきまして、この状態にもかかわらず、羊肉を取り扱うお店の開店が相次いでいます。また、メニューに羊肉を取り入れるお店もどんどん誕生し始めています。長い年月をかけてここまで日本に根付いた羊肉。コロナ明けとともに復活できることを望んでやみません。

■あとがき

全5回にわたり書かせていただきました「羊と日本」シリーズですがこちらで終了となります。いろいろ書きましたが最初にお伝えした通り、私が触れてきた多くの情報をまとめたものであり、認識の間違い等もあると思いますので、あくまでコラムとしてお読みいただければ幸いです。今後、日本人と羊の関係はどうなっていくのか??これからの歴史はわれらみんなで体験していきましょう。

■巻末付録 近代の羊肉の動き 年表

  • 1868 明治維新以降 明治政府は「綿羊飼養奨励」政策
  • 1894-95 日清戦争
  • 1904-05 日露戦
  • 1908 月寒種牧場に於いて綿羊の飼養を始める 政府「綿羊100万頭計画」:熊本・北条・友部・月寒・滝川の5ヶ所に種羊牧場開設
  • 1914-18 第一次大戦
  • 1922 政府が羊肉商に補助金交付
  • 1924 東京・福岡・熊本・札幌の4食肉商を「指定食肉商」に
  • 1929 世界恐慌勃発により計画中止
  • 1928~29 農林省が全国で羊肉料理講習会を開催
  • 1930 満州事変
  • 1936 日豪紛争*により豪州からの輸入停止 政府は満州での羊毛増産図る
  • 1939 羊毛供出割り当開始
  • 1941-45 第2次世界大戦
  • 1950 朝鮮戦争による羊毛需要の綿羊飼養熱低下
  • 1957 食肉加工品の原料として使用 需要は10万頭/年に増加
  • 1960 ジンギスカンとしての需要が始まる 国産羊肉生産量が過去最高の2,712トンを記録
  • 1962 羊毛の輸入自由化により 綿羊の飼養頭数は減少
  • 1977 この頃から使用目的が羊毛生産から羊肉生産に転化

提供:東洋肉店(URL:http://www.29notoyo.co.jp/

※参考資料など※

国立歴史民俗博物館研究部民族研究系の川村清志先生の公演時の小冊子、畜産技術協会のHP(http://jlta.lin.gr.jp/)また、魚柄仁之助さんの「刺し身とジンギスカン: 捏造と熱望の日本食」、MLA豪州食肉家畜生産者事業団(http://aussielamb.jp/)、ジンギスカン応援隊(http://hokkaido-jingisukan.com/)綿羊会館が以前に出し、担当者さんから頂いたた資料、Wikipediの羊の項目、探検コム(https://tanken.com/)さん、を参考にしています。その他、各輸入商社さんや大使館などが出しているパンフレット情報などが参考になっています。古典解釈は小笠原強(専修大学文学部助教)先生にご協力いただきました。また、東洋肉店(http://www.29notoyo.co.jp/)さん初め多くの方に内容を確認いただきました。その他、羊飼いさんから聞いた話、羊仲間たちからの知識、どっかで読んだ知識などがまとまっています。羊に関わる皆様の知識を素人まとめさせてもらいました。皆さまありがとうございました!


文:菊池 一弘 写真:株式会社 中華・高橋  校正とイラスト:金城 勇樹


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