千葉県北部にある八街市は、都市近郊型の農業地帯である。特産品の落花生をはじめ、スイカ、ニンジン、ダイコン、ジャガイモ、サトイモなどの生産量は国内トップクラス。いたるところに田畑が広がり、農場、農園が点在。そんな中にあって「エコファーム・アサノ」は、とびきり異彩を放つ存在である。
そこにないものだからこそ、自分が作る。その店のスタッフのひとりだと思うからこそ意見を交わす。超一流のシェフたちが圧倒的信頼を寄せる髭の名人が語ったこれからの“草”=ハーブ。
オーナーの浅野悦男さんは、飲食業界で知らない人はいないといわれるほどの有名人。既成の概念にとらわれない自由な発想と独学で研究を続けた土壌管理を貫き、食のプロを唸らせる食材作りを実践しており、現在、取引するレストランは100店舗以上に上る。
そして、その評判は国内だけにとどまらない。アラン・パッサール、ピエール・ガニェール、レネ・レゼピなど、世界に名を馳せる一流シェフたちもこぞってこの地を訪れているのだ。彼らとは野菜づくりやレストランのあり方、料理について語り合い、大いに共感し合ったという。
家業の農園を継いで50余年。「人と同じことをやるのは面白くない」と、日本でまだ誰も作ったことのない野菜作りに次々トライしてきた。二十数年前、ルッコラやチコリーなど、当時日本になかった西洋野菜の生産にいち早く取り組んだのも浅野さんだ。ハーブに関しても、日本ではまだ目にすることの少ない、珍しい品種を数多く手がけている。さらには、たとえばバジルなら一般的に使われる葉ではなく蕾にフィーチャーしたり、オクラの種をハーブとして使うことを考えてみたり、ユニークな視点で向き合うことを忘れない。「あまのじゃくなだけ」と笑うが、その好奇心、飽くなきチャレンジ精神が、日本の食文化に多大な貢献を果たしてきたのは間違いないだろう。にもかかわらず、自身に言わせれば「まだまだ素人」。「この道50年といったところで、つまり、たった50回しか作っていないんだから。わからないことだらけだよ」と言葉を継いだ。
「畑にあるものはすべて草。野菜だろうとハーブだろうと、勝手に生えている野草のようなもの」というのが浅野さんの考えだ。従って、基本は「何もしない」。なぜなら草は手をかけなくても勝手に育つものだから。種を蒔いた後は、ほぼ“ほったらかし”である。また草に栄養は不要と、肥料の類も一切使わない。なまじ栄養があるとあくが出るなどして味が落ちるだけ。やることといえば、作物が健やかに育つ環境を整えるだけだという。
「環境づくりに重要なのはミネラルである」と力説する浅野さん。ミネラルは野菜やハーブの味を濃くし、豊かな甘味、旨味を引き出してくれる源。エコファーム・アサノでは、牡蠣殻、鶏卵、海洋深層水などを用いてミネラル分を補っている。ヨーロッパが原産の品種を育てる際には、現地の土に近づけるよう、カルシウム、ミネラルを調節する。
実際に畑を回りながら、さまざまなハーブをその場で葉をちぎって食べさせてもらったが、どれも味がしっかりしていて甘味があり、香りも強い。「手をかけなければ育たないようなものは、結局おいしくない」という浅野さんの持論を見事なまでに証明している。
ハーブの種類も実に豊富で、なおかつ珍しいものが多い。上記で紹介しているもの以外にも、ヨーロッパではおなじみながら日本では見かけることの少ない品種のハーブも多々。自身で情報収集して新しい品種にチャレンジするほか、外国人シェフがお土産に種を持ってきてくれたりすることもあるとか。
最近感じるのは、これまで料理の脇役というイメージが強かったハーブだが、使い方次第で料理全体が変わることに気付いたシェフたちが増え、ハーブの捉え方が変わってきているということ。ゆえに「そろそろ日本から発信するハーブが出てきてもいい。シソやショウガはすでに定番として知られていて誰も驚かないだろうから、新しいハーブをね」と言いながら満開の花を咲かせているダイコンの前で立ち止まり、花をちぎって手渡してくれた。口に含むとダイコンおろしの味がする。「魚料理にも肉料理にも合うよ。花だけなく種鞘も使い方を考えたら面白いと思うんだ」。そして「ダイコンの花を咲かせてしまうのは、農家として恥ずかしいことと言われるけれど、そんな固定観念はナンセンス。ダイコンの一生の中でめぐり合えるこの時季だけのものと考えれば、とても貴重だし、使わない手はない」と続けた。
料理に対して自分が手を出すわけではないが、シェフたちと一緒に皿を作っていく感覚が浅野さんにはある。「だからまずは畑に来て、見て、食べて、調理してみてほしい。うちの畑から、もう料理は始まっているんだよ」
そんな想いを形にしたのが、畑の一角にあるテストキッチンだ。「Chef’s Kitchen」と名付けたこのキッチンは、浅野さんが作る野菜やハーブを使いたいと訪れたシェフたちが、畑で採ってきた食材をその場で調理できるようにと作った設備。これまでこの場所で数々の想像を超えた料理が生まれてきた。
「うちの作物を求めて来るのなら、作りたい料理のイメージがあるはず。それに合うかどうかを試してみるというのは当然のこと」。その上で価値を認めてもらえたら契約成立。あくまで主導権はシェフの側にある。とはいえ「自分だけのイメージ、つまりはオリジナリティを持つ人でないと私が作るものは使えないと思う」という言葉を繙けば、作物の方がシェフを選ぶともいえるだろう。
「まぁ、変わっているとはよくいわれるね。でも、みんなに認めてもらおうとは思っていないから。100人いたらその内の1人に認めてもらえれば充分なんだ」
乾麻里子=取材、文 Ryu Itsuki=撮影
本記事は雑誌料理王国第264号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第264号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。