1980年代の日本で「チーズ」と聞けば、スーパーマーケットブランドの大量生産のチーズを思い浮かべる人がほとんどだった。そんな時代に本間るみ子さんは、ヨーロッパの農家で作られる伝統的なチーズに憧れ、ひとりで輸入・販売を始めた。
大手のチーズ商社に勤務していた本間さんは、書籍を通して、ヨーロッパ各地に農家が手作りする伝統的なチーズがあることを知り、その魅力に取りつかれた。そして、個々のチーズに秘められたストーリーに強く魅かれたという。
「カマンベールは、フランス革命から逃れてカマンベール村にやってきた司祭が、彼をかくまった農婦・マリー・アレルに、その製法を教えたのが始まりと伝えられています。またブリ・ド・モーには、ルイ16世がギロチンにかけられる前に所望したというエピソードも残っています」
こうした激動の時代に生きた人々との密接なつながりや歴史をもつチーズに、深いロマンを感じたのだ。
そして商社退社後、1986年に、チーズの輸入・販売会社「フェルミエ(フランス語で農家を意味する)」を立ち上げた。
「フランスでは『ひとつの村にひとつのチーズ』と言われるほど、多種多様なチーズがありますが、その背景にあるのは国土の多様さ。西に大西洋、南に地中海、内陸部には山岳地帯とその間に広がる平野、そして4つの大河。地域によって自然環境がまったく異なるので、地域ごとに個性的なチーズが生まれたのです」
ヨーロッパには、伝統的製法を保護し、地域の気候・風土が生む独自性や品質を保証する制度がある(1935年にワインの不正を防ぐため、フランスでAOC〈原産地統制呼称、原産地呼称統制とも〉法が成立。戦後、チーズにも適用された。そして1992年、EU統合でAOCを基準にしたAOP〈英語:PDO〉が導入され、1996年より施行)。これらはチーズ文化を守る上で大切な役割を果たしている。
「その一方、PDOの基準を満たすことを考えない、新しい製法のチーズも、ヨーロッパで重要な位置を占めていると思います」
たとえば、近年人気の、お酒に漬け込んだチーズだ。ヴェネトの発泡性白ワイン「プロセッコ」に漬けた「ウブリアーコ・セッコ」や、ピエモンテの赤ワイン「バローロ」のしぼりかすに漬け込んだ「オッチェリ・アル・バローロ」などがそうだ。
また、2000年、世紀が変わるのと同時に、チーズの世界にも大きな変化がもたらされた。
「EUの衛生基準が大きく変わりました。それをクリアするためには、アトリエを新築しなければならない農家も多かったし、それができずに廃業してしまった農家もありました。伝統を守りつつ、新しい基準を満たす方法も取り入れることができた生産者が生き残ったのです」
また、フランスでMOF(フランス国家最高職人)にフロマジェ部門が設立されたのも、「アルチザン」としての称号がチーズ職人に対して用いられるようなったのも2000年のこと。チーズの芸術性、文化的側面に、より目が向けられるようになったのだ。
そして近年の傾向としては、世界的な健康志向を反映し、ヨーロッパでも全体的にチーズの塩分が控えめになりつつあるという。
こうした時代の流れも感じつつ、長年チーズに関わってきた本間さん。変わらずに貫いているのは、あくまでも作り手の顔の見えるチーズにこだわる姿勢だ。「そこに、チーズの本質があると思うから」と語る。「チーズの伝統と歴史を作ってきたのは作り手のパッションだと思います。素晴らしい作り手が愛情をこめて作ったチーズを、できるだけ多くの人に食べてもらい、その思いを届ける、それが私の仕事です」
フェルミエ 愛宕店
fermier
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瀬戸由美子=取材、文 依田佳子=撮影
本記事は雑誌料理王国第250号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第250号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。