グアルティエーロ・マルケージは30年前、1985年にイタリア史上初のミシュラン三ツ星を獲得。「現代イタリア料理の神さま」とも呼ばれる。85歳。1970年代後半から、従来の伝統的なイタリア料理に新風を吹き込み「、ヌオーヴァ・クチーナ・イタリアーナ(新イタリア料理)」の旗手として活躍。1993年には、ミラノの東70㎞にあるエルブスコに移り、2008年にはミシュランの星を返上。世界のレストラン界に衝撃を与えた。現在はミラノ・スカラ座内にイルマルケジーノ(現マルケージ)をオープン。市内にマルケージアカデミーを開校して、後進の育成にも励む。
──マルケージさんは、イタリア料理を洗練させ、イタリア料理に革命を起こした偉大なシェフ。お目にかかれて光栄です。「神さま」と呼ばれているマエストロに単刀直入にうかがいますが、イタリア料理とは何?イタリア料理のアイデンティティは何だとお考えでしょうか?
(笑)私がイタリア料理のアイデンティティです。私が現在のイタリア料理のスタイルを作ったんです。
──マエストロが最初に考案されて、今では一般的になったイタリア料理もたくさんありますよね。
まずイタリア料理には、伝統的なイタリア料理と、昔からのレシピを守りながら、それを新しい表現、現代的に表現した料理があります。ただ、昔からの伝統的な料理というのも、今も食べ続けられています。現代的といえば、じつはイタリアではなくて、日本で作られているイタリア料理は、世界最高に素晴らしいイタリア料理だ、と私は信じています。
──それはなぜですか?
「本物の、真の料理とは何か。それは形ではなく、形から来るものである」ということです。どういう事かと言うと、まず素材が第一であるという意味です。日本人は素晴らしい素材を使い、その素材を大切にする事を知っている。だから世界最高だと言ったんです。
──真のイタリア料理の真髄は食材にある?
他の料理というのは、せっかくの素材にいろいろと上からかぶせてしまったり、解体して別の物にしてしまいます。でも、日本人は素材に対する敬意を持っています。これが大きいことなんです。私はその、非常に根底にある部分に対して、日本に、共通してあるものを感じています。
──日本とイタリアには、食材に対する敬意があるということですね。
そう、私もイタリア人として、同じように素材に敬意をはらい、素材を大切にする料理を作っています。
──マルケージさんは30歳代半ばになって、本物の料理を学びたいと、パリのルドワイヤンやディジョンのル・シャポールージュ、ロアンヌのトロワグロで修行されました。フランスで経験を重ね、「料理の何かがわかった。そろそろ次の段階へ行こうと思った」、とおっしゃっています。「料理の何か」というのは、「素材への敬意」ということでしょうか?
ちょっと違います。トロワグロが最も私に影響を与えました。トロワグロにいた時に理解したことがあった。シンプルであることのむずかしさ、素材の活かし方、そういうことはトロワグロで学びました。当時、トロワグロにはジャンさんとピエールさん兄弟がおりましたが、ジャンさんは57歳で亡くなった。
──トロワグロ兄弟はフェルナン・ポワンの弟子で、当時のフランスは、いわゆる軽い料理を作ろうというヌーベル・キュイジーヌ全盛の時代だった。そこで、フランス料理を習われたんですよね?
確かに私がいたのはフランスにあったレストランです。そういう意味ではフランス料理といえるかもしれないけれど、彼らが作っていた料理は、フランス料理をはるかに超えたものでした。もちろん、それをベースにして、私が作り出したのはイタリア料理です。
──本質を理解し、体得したから?
たとえば火の加減と鍋の温度の調整をしっかり覚えると、料理を失敗する事はむしろ難しくなる。ハンガリーで生まれニューヨークで亡くなった指揮者ベーラ・バルトークは、「即興するには、その事柄への知識が求められる」と言っています。失敗しないようになるには、その事柄を存分に知らないといけない。
──技術を含めて、「その事柄」をトロワグロで会得なさったんですね。
その時に非常に大事な技術を学んだので、それを駆使するイタリア料理を創出すことができた。それが現在の私のイタリア料理です。ただし、私には私のスタイルがある。パウル・クレーは「私が私のスタイルである」と言っていますが、私も同じ言葉を使いたいと思います。
──あえてうかがいますが、マルケージさんのイタリア料理とフランス料理との境目は何なのですか?
言葉で表現するのは難しいですね。もちろん技術的なこともありますが、まず素材のセレクト。そして、その素材の魅力をどのようにして最大限に引き出すか、やり方に違いがある。技術が非常に高いものになると、それは芸術になります。
──イタリア料理だとか、フランス料理だとかとカテゴライズされたものではないものをトロワグロから得て、私が私のスタイルである、という領域に到達したわけですね。
そうですね。私の料理は芸術だ、と私は信じています。なぜかということは、私の料理の写真をご覧になればわかると思います。
──これはお米とサフランと金箔で描かれているリゾットですね。
これがシンボルなんです。これは私が編み出した料理で、私はシンプルに「米、サフラン、金」と呼んでいます。これが私の料理です。
──なぜ金箔だったんでしょう?
もともとミラノ風リゾットはサフランだけを使っていました。私が金箔を足すようになった。それは、私のリゾットの解釈だからです。まず美的でしょ? 美しい。ゴージャスにもなります。料理というのは、そういった視覚で楽しむ面も大きい。料理は科学です。けれどそれを芸術にするのはシェフの解釈と腕です。
──「米、サフラン、金」が誕生した時に、伝統的な料理がモダンイタリアンに昇華されたと言っても良いんでしょうか?
そうです。イタリア料理を変えました。変えたというよりは、進化させたという方が正しいかもしれない。
料理は記憶です。皆さんそうだと思いますが、ほんとうにおいしいものを食べたり、美しい料理を見た時に、それが記憶に残る。だから料理人の仕事というのは、いかに美しい、記憶に残る料理を作るかということ。
──絵画の概念を変えたピカソも、色彩の画家クレーも、基本的なデッサンがとても上手でした。絵画の基礎を人並み以上に習得していました。
技術がなければ何も生み出すことはできない。これは音楽家にとっても画家にとっても、料理人にとっても同じです。まずは技術を学ぶこと。それを習得した上で、その人がどのように表現するかということです。まずは非常に優秀な技術者であること。そこからいかにその先へ飛んでいくことができるか。技術を持っていない人は、飛び立つことができない。アーティストと呼ばれる人は、半端ではない基本的な技術を持っている。それがなければただの遊びで終わってしまう。それに深く広い知識が加わって、即興を可能にする。
──料理人に不可欠の要素とは?
まず、料理人は調理をする人であること。調理をするためには素材を知っていなければいけない。そうでないと素材が台無しになってしまう。よく私が比較するのが懐石料理。世界中で日本人だけが唯一、素材を活かしたテイスティングができる。懐石料理には季節、旬の素材、色の取り合わせ、盛り付けの方法、すべての技術と知識が詰まっている。
──次に大切なことは?
組み合わせをする人であること。例えばラビオリは中に詰め物をしなくてはならない。何を組み合わせるか、素材の組み合わせは非常に重要。調理人は素材のことをよく知った上で、それぞれの素材の魅力を最大限に引き出す方法で調理をすることを知っていなくてはならない。
──3番目は?
最後は芸術家であること。つまりその2つの指揮をとることです。
──ところで、尊敬する人の言葉をノートに書いていらっしゃるんですね。
今3冊ある。ここにトゥールーズ=ロートレックの一文があります。芸術は正確であること、そして謙虚であること。これは芸術、料理の世界での成功の秘訣であると言っています。ひらめきの個性を大切に、伝統に対する敬意をもつこと。この言葉を、日本の皆さまに贈ります。
Gualtiero Marchesi
1930年ミラノに生まれ、両親が経営する『メルカートホテル』で初めてキッチンに立つ。17歳の時にエンジニア系の専門学校を辞めてスイスのサンモリッツのホテル学校に。35歳でトロワグロで修行。77年ミラノで自分の店をオープン。85年にはイタリア史上初の三つ星を獲得。ヌオーヴァ・クチーナ・イタリアーナ(新イタリア料理)のムーブメントを起こした。 93年にミラノを離れてエルブスコに移り、ミシュランの星を返上した。現在はスカラ座脇にイルマルケジーノを営業。
民輪めぐみ=インタビュー・構成 木村金太=撮影 食のジャポニスム委員会/結城摂子、山田美知世=取材協力
本記事は雑誌料理王国第253号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第253号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。