イタリア料理界の巨匠グァルティエロ・マルケージのパスタ・DNA


1960年代から70年代にかけてフランスに沸いたヌーヴェル·キュイジーヌ(新フランス料理)の波はそのまま70年代後半からヌオーヴァ·クチーナとしてイタリアを席捲した。その中心にいた人物がグアルティエロ·マルケージである。
イタリアの食を代表するパスタも、伝統や郷土と一線を画す、新しいスタイルを次々に提案した。2017年に惜しくも世を去ったが多くの料理人たちがマルケージの遺志を継ぎ、彼らなりの時代、個性を盛り込んだパスタを表現している。
今、マルケージチルドレンたちが描くパスタとは?

マルケージを囲む弟子たち。 それぞれ有名シェフになり、自分の店を開いてミシュランの星を持つ成功を収めている。 右端手前は修業時代の「アクアパッツァ」の日髙良実さん。


1980年 冷製スパゲッティのサラダ、 キャヴィアとチャイブ添え
この当時までラグジュアリーなレストランで乾麺を使うことや、冷製のパスタをサービスすることはタブーとされていたが、このひと皿で料理界の ルールを変えた。日本で食べた冷やし中華にインスピレーションを受けたといわれている。

1982年 オープンラヴィオロ
家庭料理伝統のラヴィオロをパスタ生地で包まず、 片方は卵、もう片方はホウレン草を練り込んだ生地でソテーしたホタテ貝を挟んだ。パスタと具を別々に調理することでこれまでの概念を覆した。

Gualtiero Marchesi
グァルティエロ・マルケージ

ヌオーヴァ・クチーナ・イタリアーナ(新イタリア料理)の旗手。17歳 で両親が営む「メルカート・ホテル」で厨房に立ち、パリ「ルドワイヤ ン」、ロアンヌの「トロワグロ」などで修業。帰国後は次々に斬新な料 理を発表し、イタリアで初めて3ツ星を獲得。EUで大きなシェフ団体 のひとつ「ユーロトック」の創立者のひとり。イタリア料理界に遺した 影響ははかり知れず、日本からも多くの料理人が師事した。

text 山田美知世(Michiyo Yamada)
ミラノ在住38年。ファッションや料理に関する情報を発信し続ける。 マルケージとの交流も深い。

本記事は雑誌料理王国2020年8・9月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2020年8・9月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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