浜作の料理 マッキー牧元


日本で最初の板前割烹、「浜作」。昭和2年に森川 栄さんが祇園で創業し、今は3代目の森川裕之さんが暖簾を守ります。この連載は、そんな浜作に「タベアルキスト」マッキー牧元さんが食事に訪れ、思索を巡らせた記録。至ってシンプル、それでいて心も技も尽くされ、かつ日本料理の芯を外さない浜作の料理の真髄を、月に一度伝えます。今回は3月下旬の献立です。

僕が京都で「浜作」に通うのは、日本人の精神を守っていくという、強い意思を感じるからである。
営々と紡がれてきた先人たちの知恵、日本の食材を生かす叡智に対する、責任を感じるからである。

三島由紀夫は書いている。
「我々は遠い遠い祖先から受け継いできた文化の集積の最後の結果であり、これこそ自分であるという気持ちで以って、全身に自分の歴史と伝統が籠っているという気持ちを持たなければ、今日の仕事に完全な成熟というものを信じられないではないだろうか」。

「料理は出来立てに限る」。

そう、「浜作」主人公、森川裕之さんは言われた。
当たり前に聞こえる言葉だが、実践するのは難しい。
「初代のおじいちゃんはよう言うてました。淹れたコーヒーをそ
のまま置いておいて、客に出す時に温め直す喫茶店はないやろ。どんな料理も、出来立てで出さなあかん」。

先付けの稚鮎料理からして、出来立てだった。
16時に届いた稚鮎を、17時ごろから白焼きにして、梅干しと醤油、千鳥酢を入れた地で煮て、17時半に揃ったお客さんに出す。「稚鮎の紅梅煮」である。
このように、どの料理も作りたてなのであった。
そうしなくては、出せない味がある。

その一つが、「筍の木の芽和え」だろう。

この時期、様々な店で出され、幾度もいただいた。
しかし「浜作」の「木の芽和え」は、異なる。
大方は、茹で置きした筍を切り、イカと和え、作っておいた木の芽味噌と合わせて出す。
あるいは事前にあえておいて、冷蔵庫で保管し、盛り付けて出す。

「浜作」のやり方は、こうである
茹でたての筍を、柔らかい部分だけを素早く切り、同時に木の芽味噌を作り、筍と合わせて、盛り付ける。
イカも同時に切られ、筍の木の芽和えの脇に添えて、盛る。
目の前で作られるのを見ていると、熱い筍と木の芽が出会った瞬間、客席に木の芽の香りが漂ってくる。
その瞬間、ああ早く食べたいと、胸が疼く。
料理が置かれると、木の芽の爽やかな香りが立ち上って、顔を包む。

香りに目を細めながら筍を噛むと、茹でたてしか生まれない、淡い甘みとじれったい香りが口を満たす。
イカを食べれば、むちっとした歯応えを感じ、筍の食感と対をなす。
これこそが木の芽和えであり、この料理が多くの人々を魅了してきた理由であろう。

先代までは、熱い筍とイカを合わせるとイカが汗をかくため、さっとゆがいたものを合わせていたという。
だがそれでは、生イカの食感が生かせない。
森川さんは、混ぜ合わせず、脇に添えればいいではないかと考えて、今の形になったという。

「うちは特別変わった料理は、お出ししてません」。
そう森川さんは言われるが、先人たちの知恵と、出来立てを出すという心根を守りつつ、新たな工夫を凝らした料理がここにある。
それは今の時代「特別な」どこにもない料理なのであった。

浜作 3月23日の献立

稚鮎の紅梅煮
本文参照

蛤の霞蒸し
固まるか固まらないかの極で固まっている卵地の硬さと蛤の出汁旨みが共鳴する。卵地の緩さが蛤の食感を生かし、蛤の食感が、また卵地のゆるさをいかす。豊かさに満ちながら、はかなく消えていく。それこそが春。

海老しんじょ椀
椀種は、海老しんじょ、椀ツマは、サヤエンドウとヨリウド、吸口は木の芽である。
しんじょは、目の前で活きエビを刻み、鱧のすり身と合わせる
出汁に落とし、とったばかりのつゆとあわせる。
しんじょを食むと、ふわりとほどけ、その中でエビが弾む。
自らの命を鼓舞するかのように爆ぜては、おつゆのうまみに沈んでいく。
やがてしんじょもつゆも無くなり、別れを告げようとするが、まろやかな余韻が、舌の両端と喉奥に漂っている。
もしこの世に、真の豊かさを与えてくれる料理があるとするならば、それは「浜作」のお椀である。

鯛と赤貝のお造り
赤貝は、昆布の味がする。
そして鯛はもちもちとして、上品な甘みが滲み出る。

筍木芽あえ
本文参照

三品
蕨と菜花の黒金あえ
黒ごまあえ
ウニ、シロウオのアラレ揚げ。衣はかたもちを焼いてほぐして。

ぐじの若狭焼き 干しわかめ、みぞれ仕立
身は焼かれ、頭は出汁をとる。
頭だけでとられた出汁を器に張り、焼いた身をそっと沈める。
身は熱々の出汁に入ってほどよい火加減になるよう、精妙に計算されて焼かれていた。
口に運べば品がよく、どこかじれったい甘みが広がって、胸を焦がす。
皮の凛々しい芳ばしさと対を成す、身のまろやかな味わいが、心を溶かす。

焼き穴子とうすい豆の卵とじ
これもどれもが同時進行で最後に合わせて盛り付ける。
炊きたてのうすい豆と「穴子は冷めたら匂い出る」と森川さんが言われる、焼きたての穴子を合わせ卵で閉じる。

もろこの揚げ浸し
塗りのお盆に、粉を叩いたモロコが並べられる。
その用意の美しさを見るところからこの料理は始まっているのではないか。
「浜作」の厨房の中には無粋なものはない。
調理に使う出汁やお酒、醤油などを入れている器も作家ものであるし、弟子が差し出すあしらいを入れたものも、立派な皿を使う。
タッパーやアルミバットなど無粋なものは一切ない。
そしてモロコに歯を立てると、小骨がカリと音を立てて弾ける。
その痛快さに心で微笑みながら、か弱気に肉体に秘めたほのかな甘みを楽しむ。

鰻ときゅうりの酢の物
鰻と胡瓜が素晴らしい。
薄く薄く切られた胡瓜に、青臭さは微塵もなく、余計な水分は抜けきって、パリパリと前歯の間で音を立てる。
この胡瓜の溌剌があってこそ、鰻の豊かな柔らかさがひき立つのである。
そして今までの料理の味を酸味で切り、ご飯へと気持ちを向かわせる酢の物、控えたうまさの良さを知る。

筍ご飯
いつもは白ご飯だが、この時期は筍ご飯が用意される。
土窯の蓋を開け、金絵巻がほどこされたお櫃へご飯を移す。
筍とうすい豆の香りが交差し、そこへ米の甘い香りが漂って、胸の内に春への感謝が宿る。
止め椀は、あえて具を入れてない白味噌椀。

水菓子
りんごと苺。同寸に切ったりんごと苺を合わせたもの。
これがコンポートにしてしまうと、日本料理の域を飛び出てしまう。

photo, text マッキー牧元

3,000記事以上 会員限定記事が読み放題 無料会員登録

SNSでフォローする