魏禧之さんは、横浜の中華街生まれ。幼い頃から中国料理に囲まれて育った。縁あって京都で開業した21年前、お茶屋の女将さんたちから浴びせられた辛辣な言葉が、その後の転機となった。
「こんな味の濃い、香辛料の強い中華はあかん。和食を勉強しよし」
はっきり指摘する気風にも圧倒されたが、今までやってきたことが通用しない衝撃は更に大きかった。魏さんは奮起し、日本料理を研究し始め、「水」と「出汁」に行き着いた。「関東の人間にとって、京都の味は薄い。薄いのに何故かおいしい。謎を解く鍵は水にあったんです」
京都には今も井戸水を使う飲食店がいくらでもある。地下の軟水は昆布のポテンシャルを最大限まで引き出す。魏さんの料理に足りなかったのは、軟水を使いこなす技だった。
もちろん中国料理においても”湯“は味の要だ。魏さんはこれまで以上に湯を重視し、使い慣れた乾物から更なる旨味を引き出すことに注力していく。
「私が子どもの頃は、清湯が味の基礎でした。金華ハムなんて日本にはなかったし。何でも手に入る現代だからこそ、湯を見直したんです」
今では清湯に始まり、毛湯、白湯、上湯、頂湯……あらゆる湯を使い分ける。素材を足し、調味料で整える。長年磨いてきた腕に多彩な湯が加わった。いつしか”煮込みの魏”と称されるまでになったのだ。
魏さんはまた、素材についても京の風土を重んじてきた。種撒きから農作業に加わり、自ら収穫した無農薬野菜はその象徴だ。開店当初に京野菜の扱いを学び、今もこの店の料理長は毎朝農園に行く。野菜の旬を知り、時季に合わせた使い方で彩る中国料理には、「京都」の心が自然に息づいているのだ。
昨年から、コースにはじめて椀物を加えてみた。塗り椀に、中国料理のスープとは異なる澄んだ湯を張る。椀種と吸い口がのぞく様は日本料理そのものだが、ひと口含むと乾物の豊かな滋味がいっぱいに広がる。
伊勢海老にカラスミをまぶした皿も、旨味の軸は湯。揚げたエビに湯を絡めて、味をぐんと底上げする。添えるのは旬の菊芋。アボカドとキャビアをアクセントに、どこにもない料理を作り上げた。とはいえ、古典を疎かにするわけではない。「中国料理ほど奥深い料理はないし、こんなに湯を使い分ける料理もない。技法も食材も調味料も多く、鍋ひとつで何でも作れる。こんなに面倒くさい料理も他にないですね(笑)」
本格的な広東料理を知るからこそ、麻婆豆腐も担々麺も自信をもってアラカルトで提供する。祖父が作っていた焼きビーフンは、まかないで作る。若い世代に伝えるべき技法は、余さず教えるのが「僕らの世代の義務」と考えるからだ。
確かな技法と飽くことのない知的好奇心。それらがひとつとなった料理こそが、魏さんの真骨頂である。
創作中華 一之船入
京都市中京区河原町通二条下ル一之船入町537-50
075-256-1271
● 11:30~13:30LO、17:30~21:00LO
● 日休(月曜祝日の場合は翌火休)
● コース 昼3500円、6000円
● 60席
http://ichinohunairi.com/
藤田アキ=取材、文 成田直茂=撮影
本記事は雑誌料理王国第273号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第273号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。