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江戸時代から現代まで!甘いものの流行はこう作られた

神田の老舗汁粉屋「竹むら」のあんみつ。レシピは昭和5年の創業時のまま。古き良き時代の味が今も楽しめる。

団子や餅、饅頭、羊かんなど、洋菓子に対して和菓子と呼ばれる甘いもの、それに汁粉やかき氷、あんみつといった甘味処の定番はどのようにして生まれ、人々に親しまれていったのだろうか。まず歴史を概観し、さらに主な甘味の成り立ちに焦点を当てる。昔ながらの味わいには、日本文化が凝縮されていることを知ろう。

江戸時代の砂糖の普及が和菓子の世界を広げた

和菓子は世界的に見ると特異な性格を持っている。穀物の粉、豆類、寒天、砂糖など植物性の材料だけで作られており、卵や乳製品など動物性の材料は、わずかな例外を除き用いられない。その甘味の諧調の多様さと造形・色彩の美しさ、そしてそれらが一体となって醸し出す豊かな季節感は、よその国の菓子には見られない独特のものだ。

菓子とは本来、果物を意味する言葉だったように、古代の人々は天然の果実から甘味を摂取した。やがて穀物を加工し、餅や団子が作られるようになるとともに、甘葛(あまづら)というツタの汁を煮詰めたシロップで、それらに甘味を加えるようになる。

鎌倉〜室町時代に禅が伝えられると、同時に喫茶の風習が広まり、中国に留学した禅僧が羊かんや饅頭といった点心をもたらした。とはいえ、輸入され始めて間もない砂糖は当時、極めて貴重な品であり、羊かん、饅頭ともに砂糖を使ったものと使わないものが作られ、砂糖入りはとくに砂糖羊かん、砂糖饅頭と呼ばれた。

戦国〜安土桃山時代には、ポルトガル人やスペイン人の貿易商人から、カステラや金平糖といった南蛮菓子が伝来。まだまだ貴重品だった砂糖を多用するものが多く、日本人はその濃厚甘美な味に魅了された。

江戸時代に入り、徳川幕府のもと社会経済が安定、砂糖の輸入量が増えると、日本の菓子は目を見張る発展を遂げる。天和3(1683)年、江戸日本橋の「菓子司桔梗屋河内」では、172種の菓子を作って販売していた。室町時代全期でも種ほどの菓子名しか見られないことを思うと、これは驚異的な数だ。

 京都では花鳥風月にちなむ美しい意匠の京菓子が生まれ、江戸をはじめ各地で商売をする「京下り」の菓子屋が増える。高級な白砂糖を使った雅びな京菓子は、大名や公家、富裕な町人層によって、儀式や茶会、贈答に使われた。一方、庶民は寺社門前や盛り場で売られる餅や団子を楽しんでいた。

 参勤交代によって街道が整備され、宿場町や名所に名物菓子が生まれたことも注目される。東海道を例にとれば、駿河の安倍川餅、草津の乳母が餅などだ。また街中では、飴売りやところてん売りなど、さまざまな振り売りが、呼び声やいでたちもさまざまに商売し、人気を集めた。

 寛政年間(1789~1801年)には砂糖の国内生産が本格化。ほぼ現在の和菓子の顔ぶれが出揃い、実質的な完成に達した。

 では次に明治以降の人気甘味を含め、主な和菓子の由来を見てみよう。

東都名所高輪廿六夜待遊之図
高輪の海岸沿いには、夕涼みの人出を当て込み、団子や汁粉の屋台が出現。歌川広重『東都名所高輪廿六夜待遊之図』より。

素朴で原初的な団子は全国各地に名物あり

団子は串刺しのものだけではない。穀物の粉をこねて丸めたものなら何でも団子になってしまうわけで、煮ても焼いてもよく、菓子としてはもっとも素朴で原初的なものといえる。

 おそらく団子は、ごく自然に全国各地で作られるようになったのだろう。お供えやおやつに家庭で手作りされるだけでなく、寺社の門前や街道筋の茶屋、街中の屋台で売られるなど、いつも身近な存在だった。

江戸時代には、永代(えいたい)団子、お亀団子、菖蒲(あやめ)団子など名物の団子も多かった。街道筋で珍しい団子といえば、駿河で売られた(とお)団子が有名だ。十粒ずつ杓子ですくって茶店で出すものがあるほか、厄除け用に数珠つなぎにしたものもあった。  行事に関わるものでは、みたらし団子が代表的。京都下鴨神社の御手洗(みたらし)祭で神前に供えたのち持ち帰り、醤油につけて食べる習わしがあった。これが甘い醤油だれをかけた団子に変わり、広まったようである。このほか彼岸団子、花見団子、月見団子などの名が挙がるだろう。素材別には粟団子、ごま団子、白玉団子、桃太郎でおなじみのきび団子、ヨモギ入りの草団子など実にさまざまだ。

人気沸騰の煉り羊かん。文豪たちもその魅力を綴る

菓子なのに、なぜ羊の字が使われているのか。本来、羊かんは中国において、文字通り羊の肉の汁物のことだった。中国に留学した禅僧により、点心のひとつとして日本に伝えられるのは鎌倉~室町時代のこと。禅僧は肉食を禁じられていたので、小豆などを素材とする植物性のものが考案された。

 当時は羊かんといえば、小豆に小麦粉や葛粉を混ぜる蒸し羊かんのことだったが、江戸の寛政年間には、あんと寒天液を混ぜて流し固める煉り羊かんが生まれ、絶大な人気を博した。

 従来の蒸し羊かんにはないきめ細やかさが受けたのか、菓子製法書『菓子話船橋』で有名な深川の「船橋屋」では、一日に千棹も売れたとか。

 日持ちがよいことから贈答にも好まれ、羊かんの主流は今やすっかり煉り羊かんだ。その魅力について、夏目漱石は『草枕』で「一個の美術品」にたとえ、谷崎潤一郎は『陰翳礼讃』で「瞑想的」と記し、それぞれの思いを綴っている。

1 目黒不動前の粟餅屋。恋川春町『金々先生栄花夢』より。
2 江戸名物、米(よね)饅頭の振り売り。柳亭種彦『用捨箱』より。
3 氷水屋の店先。明治11年「東京絵入新聞」より。
4 羊かんの販売で名高い深川「船橋屋」の店頭風景。その繁盛ぶりが偲ばれる。江戸時代の菓子製法書『菓子話船橋』より。
5「梅園」支店開業の広告。明治44年「都新聞」より。

くず餅の筆頭といえば亀戸天神の「船橋屋」

くず餅と聞けば、関西の人は葛粉を使った餅をイメージするだろう。しかしここで話題にしたいのは、小麦でんぷんを発酵精製し、蒸したくず餅のこと。主に関東で出回っており、昔から有名なのは、亀戸天神近くに店を構える「船橋屋」のそれだ。文化2(1805)年に売り出して以来、参詣客に親しまれてきた。

 でん粉といってもただならぬもので、地下天然水を使用して、でんぷん質をカ月ほど乳酸発酵させるとか。独特の風味や弾力は、長年にわたる技術の賜物だろう。

 このほか関東では、川崎大師や池上本門寺周辺のくず餅もよく知られる。材料の配合や製法により、店の個性は異なるが、きな粉と黒蜜をかけて食べるのはどこでも同じだ。

多彩な呼び名を持つ汁粉は江戸を代表する甘味

 店売りや屋台のほか、天秤棒に荷箱を吊るした振り売りが町内を巡るなど、汁粉は江戸を代表する甘味だった。小豆あんの汁に砂糖を加え煮て、切り餅や白玉、栗などを適宜あしらう。こしあんを御膳汁粉、つぶあんを小倉汁粉、つぶしあんを田舎汁粉と呼ぶ。関西では、つぶあんやつぶしあんの汁粉をぜんざいと言う。振り売りの呼び声は「お正月やァ(餅入りの意)おしるこゥ」。行灯に正月屋と書く汁粉屋が多かったことから、正月屋とも呼ばれた。

 明治以降は店売りが主流になり、振り売りは廃れていく。今に残る汁粉屋の老舗には、浅草の「梅園」や神田の「竹むら」がある。

神田の老舗汁粉屋「竹むら」のあんみつ。レシピは昭和5年の創業時のまま。古き良き時代の味が今も楽しめる。
神田の老舗汁粉屋「竹むら」のあんみつ。レシピは昭和5年の創業時のまま。古き良き時代の味が今も楽しめる。photo:Gaku Yamaya

かき氷は明治2年、横浜・馬車道から広まった

 「削り()甘葛(あまづら)入れて」と清少納言の『枕草子』に記述があるように、日本には平安時代から、氷室に保存した天然氷を刃物で削り、ツタの甘い樹液をかけたかき氷があった。しかし当時、氷は大変貴重なものであり、ごく限られた平安貴族しか味わえなかったに違いない。

かき氷が庶民にも広まったのは、明治初期。それまではアメリカから半年がかりで高価なボストン氷を輸入していたが、函館五稜郭の天然氷、函館氷が蒸気船で横浜へ出荷されるようになり、明治2(1869)年、馬車道に氷水屋が開業したのが始まりだ。明治中期には製氷機、昭和初期には氷削機が登場し、一般的な食べ物となっていった。

今や甘味の定番中の定番、みつ豆とあんみつ

 赤エンドウ豆に蜜をかけたみつ豆は、江戸時代末期より屋台で売られていた。これにパインなど缶詰の果物やサイコロ状の寒天、求肥などをのせて明治(1903)年に大々的に売り出したのが、浅草の「舟和」だ。同店は大正時代になると、「みつ豆ホール」と名付けた西洋風喫茶で、洒落た銀のボウルに盛って提供。ますます人気を呼んだ。

 そんなみつ豆にあんをのせ、昭和5(1930)年にあんみつとして売り出したのは「銀座若松」。今や甘味処の永遠のベストセラーとして、フレッシュフルーツやアイスクリーム、杏をのせるなど、店ごとのバリエーションは無数にある。

 甘味は生きていくための主食ではないものの、生活に潤いを与えてくれる、なくてはならない嗜好品だ。なおかつその存在は、日本の歴史・文化・伝統の上に成り立っている。小さな甘味の中には、いわば日本文化が凝縮されているのだ。今再び、昔ながらの甘味を見直してみたい。 

<参考文献>
『江戸の料理と食生活』原田信男編(小学館)『菓子の文化誌』赤井達郎著(河原書店)
『図説 和菓子の今昔』青木直己著(淡交社)『事典 和菓子の世界』中山圭子著(岩波書店)『東京 五つ星の甘味処』岸 朝子選(東京書籍)


松田亜希子・文/構成
text & construction : Akiko Matsuda

本記事は雑誌料理王国第208号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第208号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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