店を閉めたから今がある「地中海食堂 オリーヴァ」萩原雅彦さん 16年10月号


惜しまれつつも閉店を経験し、しかし新たに店をオープンさせたシェフがいる。
そのヒストリーを聞き、開業のヒントを探る。

突然の閉店、そして再びの開業

2001年に東京・東麻布に誕生するや否や、前衛的イタリアンとして注目を浴び、絶賛された「カメレオン」。以来9年間、オーナーシェフ萩原雅彦さんはひたすら第一線を走り続けた。2010年に店をクローズすると聞いた時には、皆、あっけにとられた。予約を取るのも困難な人気店で、メディアに引っ張りだこだったのにも関わらず、突如、店じまいしてしまったのだから。

その後、萩原さんは「ワイアードカフェ」などの人気カフェブランドを展開する「カフェ・カンパニー」でプロデュース業に専念。当時の萩原さんは、「カメレオン」時代の緊張感のあるオーラとは一転、リラックスした雰囲気を醸し出していた。そして2015年春、学芸大学駅前に開いた「地中海食堂 オリーヴァ」で再びオーナーシェフ業を始める。傍らで、フードプロデュース業を続ける現在は、また新たな雰囲気をまとっている。この15年間にまさにカメレオンのように変化している萩原さんだが、「カメレオン」を閉めたのは何故だったのか? プロデュース業だけにとどまらず再び店を開いた理由や、都心から住宅街へ移り、イタリア料理から地中海料理へとジャンルを変えた動機とは?

人気店「カメレオン」の誕生、そして閉める勇気

東麻布の「カメレオン」は、2000年代の伝説的な店だ。プリフィクスが主流だった時代に、メニューは9500円のおまかせコース1本とし、12〜13品すべてを月替わりで提供。そのどれもが意外性のある食材を組み合わせ、凝った手法を使ったものだった。コンクリート打ちっぱなしの壁に囲まれた空間に伸びる長いカウンターでは、まるで割烹さながらに料理する手元が見えた。当時の心境を萩原さんはこう語る。

「まず、なぜ『カメレオン』のような店を始めたのかというところからお話ししますね。僕はもともと室井克義シェフの下で修業したのですが、その後に勤めた『サーラ・アルペッジオ』で、峰村富士男料理長がやっていた“ノーバ・クッチーナ”の影響を受けました。峰村シェフは石鍋裕シェフの右腕だった人です。白いお皿の中に絵を描くように盛りつけるセンスや配色は独特でした。またちょうどその頃、当時『リストランテ山㟢』で活躍していた日高良実シェフが、ノーバ・クッチーナの本を出して、話題を呼んでいました。当時にしては飛び抜けた存在でしたが、『こういう本が世に出るのであれば自分のやっていることはありなんだ』と確信した瞬間でした。そして、24歳の時にイタリアへ行き、帰国後日本でのナンバーワンを目指して27歳で『エル・トゥーラ』という高級レストランに入ってからは、昔の本を読んでは勉強し、実践する日々。

さまざまなフェアを組んで、北はフリウリ・ヴェネツィア・ジューリアから南はナポリの料理まで作っていました。ちょうど外国人シェフたちが東京にやってきて、マンマの味や郷土料理がもてはやされていた時代だったんです。でも、僕はイタリアで師事していたグアルティエーロ・マルケージ氏の『よく学び、よく料理する』という言葉に触発され、もっといろいろな料理に挑戦したくなっていました。それを実践するには独立するしかないと思い、新しい料理を出す『カメレオン』を開いたんです。

当時は何も余裕がなく、とにかく第一線に立たないといけないと思っていたので、今までにない料理を作り、それがいつも変わっていくということをテーマにしていました。店の価格帯はそれほど高くないけれど、使う食材はトップレベル。すると当然原価が上がるため、デギュスタシオンにしたのです。一般的なコースの品数は5〜6品でしたが、倍以上の品数を出すことで勘弁してもらえたらと考えました。

当時全盛だったプリフィクスは、僕からすると簡単過ぎて嫌だったという理由もあります。料理というものはコースの流れを考えて作るのが当たり前だと思っていたので、月々の作品を食べてくださいね、という気持ちでした」

実際、「カメレオン」の料理には、研ぎ澄まされたセンスと、第一線を走り続ける静かな熱気が秘められていて、多くの食通を魅了。カウンターでは芸能人の姿を見かけることも少なくなかった。それだけとんがった店だったのだ。

小誌にも何回もご登場いただいた。現在とは少し表情の違う、スタイリッシュなひと皿を提供していたことがうかがえる。個性的な料理に合わせ、「カメレオン」店内のインテリアも、印象的なものだった。(小誌バックナンバーより)

「精神的に、かなり頑張っていましたね。世の中にないものを生み出し、一線上にとどまっていないといけない、と。フェラン・アドリアをはじめ、外国には新しいことをやっている料理人たちがいて、そういう料理からも刺激を受けていました。こういう組み合わせはおいしくないよね……と思うことがありながらもね(笑)。そのうち、本当のおいしい料理は何か? と考え、欧米の〝足し算の料理法〟ではなく〝引き算の料理法〟といわれる和食を勉強にするようになり、結果、余計なものを削ぎ落とす料理になっていったのですが、周りに理解されていない、と思う出来事があって、モチベーションが下がってしまったんです。すると、スタッフのモチベーションも下がってくる。そうしてギクシャクしてしまったタイミングで「カフェ・カンパニー」から話を持ちかけられて、プロデュース業に専念することにしたんです。そりゃあ、店を閉めるのは勇気がいることでしたよ。全部自費で作った店だから、随分お金も使っちゃいましたしね。造りはシンプルだったけど、壁はイタリアの教会と同じ素材で、床はイタリアの大理石。無理してカツカツでした。でも、やっぱりあの時に閉めてよかった。疲れ切っていたんですよね。相談した周りの人たちに『リセットしたら?』と言ってもらえたから、今の僕があるんです」

お魚のブシャーティ
シチリアの伝統的なパスタ「ブシャーティ」に、新鮮な魚介類のラグーソースをからめたスペシャリテ。魚は250度でカリッと香ばしく焼いてから身をほぐし、骨からとっただしをソースに生かす。

プロデュース業と新店開店

それまでの料理とカフェのメニューは、ターゲットも方向性も違うものだったが、だからこそカフェのメニュー開発は魅力的だったと言う。

「カフェは新しい波で、面白い文化だと感じていました。決められた食材と値段の中で、若者向けの料理を作るのは面白いと思ったんです。それから、今もずっとプロデュースの仕事は続けていますが、なぜ『地中海食堂 オリーヴァ』を開いたのかといえば、この場所で25年間お店をやっていたホテル西洋銀座時代の先輩が、店を閉めると聞いたから。学芸大学は自分の地元なので土地勘があるのですが、ここは駅前ですごくいい場所。ここでほかの人が店を出すくらいなら、自分でやりたいと思ったんです。

イタリアンという枠を取っ払ったのは、前の店の繰り返しになるのが嫌だったから。それに日本のイタリアンは飽和状態。もはや刺激を受けるものがないのに枠にとらわれるのは、自分らしくないと思ったんです。では何をしよう? と考えると、グローバル化が進むこれからの時代は、地中海料理じゃないかと。地中海エリアには、エーゲ海も、アフリカ、ギリシア、トルコ、チュニジアも含まれます。まだ行ったことがない国に勉強しに行ったら楽しいし、色々な料理ができると思ったんです。実際に行ってみたら、地中海料理はイタリア料理の基礎を生かせることがわかりました」

カウンター席前のオープンキッチンで鮮やかな手際を披露する萩原さん。「おいしくしようと思えばいくらでもできるよ」とニヤリ。

若い時に〝がむしゃら〟にやったから今がある

「レストラン業って、拘束時間が長いし大変でしょう。もともと好きで始めたのに辛い状況になっているとしたら、おかしい。面白いことをやったほうがずっといいですよ。新しい場所で新しいものを創り出さないと、勤め人と同じでしょう」

萩原さんがこう考えるようになったのは、「カフェ・カンパニー」で仕事した経験が大きいと言う。

「多くの人に喜んでもらえる仕事は、返ってくるものも大きかった。『カメレオン』をやって分かったのは、ひとつのことを追求するとそれなりのところにいくけれど、その先は運の部分もあるということ。そう思えるのは、若い時に一生懸命勉強して、働いたからでしょうね。“がむしゃらに働く”という言葉は死語になっているけど、若い時はがむしゃらなほうがいい。躍起になってやれば、周りもわかってくれると思いますよ」

Chef’s HISTORY

1984年 武蔵野調理師専門学校卒業後、青山「ヴィ・ザ・ヴィ」入店
1986年 ホテル西洋銀座「リストランテ・アトーレ」入店
1988年 銀座和光のフレンチレストラン「サーラ・アルペッジオ」入店
1990年 渡伊。ミラノの三ツ星「マルケージ」、アメーリアの名店「アンジェロ・パラクッキ」で各半年、研鑽を積む
1994年 青山「エル・トゥーラ」料理長就任
2001年 「カメレオン」開業
2010年 「カメレオン」閉店。その後、カフェ・カンパニー株式会社のエグゼクティブシェフに就任し、多数店舗のプロデュースに専念
2015年 学芸大学駅前に「地中海食堂 オリーヴァ」開店

地中海食堂 オリーヴァ
Oliva

東京都目黒区鷹番3-3-19 中村ビル1F
☎03-5773-5132
● 12:00~14:00(土日のみ)
18:00~22:00LO
● 火休
● 平均予算 昼2500円、
夜6000円~8000円
● 22席
www.olivaoliva.jp

小松めぐみ=取材、文 今清水隆宏=撮影

本記事は雑誌料理王国266号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は266号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

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