起源前5500年頃のトルコの遺跡からはレンズ豆が、エジプトのツタンカーメン王の墓の中からは、エンドウ豆が見つかっている。『旧約聖書』には、長子の権利とレンズ豆の煮物を交換する説話もある。「豆」は、人類の歴史とともに世界各地に根付いた。その食材としての魅力とパワーについて、高増教授に語っていただいた。
「エンドウ豆やソラ豆、レンズ豆はオリエント、ササゲはアフリカサハラ以南のサバンナ帯、ヒヨコ豆はインド、大豆と小豆は東アジア、落花生やインゲン豆は中南米と、豆類の原産地は大まかに5地域に分かれます」と高増教授は語る。
なかでも小豆と大豆の原産地である東アジアでは、ヨーロッパのようにスープや煮込み料理にするのはむしろ例外で、大豆を中心にした高度加工品として消費される。
「この技術が紀元500年頃の中国の書物に記されているのです」と高増教授。数千年前、中国北東部から黄河流域にかけて農耕を始めた人たちは、野生のツル豆から大豆の栽培に成功。そして、大豆から一貫した工程で豆乳、豆腐、湯葉を作り、それからまた二次加工品を作ったのである。
東アジアでは数々の大豆製品が発達しているが、中国は豆腐料理が多いことで知られる。きめが細かく、たっぷり水分を含んだ、美味と名高い泰安(タイアン)豆腐を使った山東(サントウ)料理「三美豆腐(サンメイドウフ)」(写真)は、白菜と煮た逸品。
大豆や小豆の原産地東アジアは、多彩な豆食文化が発達した地域。ベトナムでもモヤシの原料緑豆、白花豆(ベニバナインゲン)など多くの豆類が出回っている。これらの豆を茹でて砂糖とココナツミルクで甘く味付ける。
17世紀に成立した清朝の宮廷料理にも豆類が使われた。インゲン豆で餡を作った餡巻菓子や、固める前の豆腐を使った炒麻豆腐(ツァオマードウフ)は、西太后の好物だった。
フランスやスペイン、イタリアでは、それぞれの地域で独特の豆料理が愛されている。フランス南部のラングドック地方の「カスレ」は白インゲン豆と肉の煮込み料理。「カスレは、古代ローマ人がもたらしたソラ豆と羊肉の煮込み料理に遡ると言われます」と高増教授。
フィレンツェをはじめとするイタリア・トスカーナ州の人々は「豆食い」と呼ばれるほど豆好きで、白インゲン豆のズッパ(スープ)や白インゲンのワイン瓶煮が好物。
スペインのレバンテ地方は、カルタゴの将軍ハンニバルが兵士にヒヨコ豆の栽培を奨励した地。スペインにはヒヨコ豆をじっくり煮込む料理が定着したが、ヒヨコ豆はやわらかくするのに手間がかかるので他の地域ではあまり使われていない。
世界3大料理のひとつトルコ料理では、白インゲンやレンズ豆、ヒヨコ豆など多くの豆が利用されている。トマトやオリーブオイル、香辛料などを上手に使い、豆から豊かな味わいを引き出している。
エジプトでは、ゴマやタマネギ、ニンニクなどとともに、ソラ豆、ヒヨコ豆など豆類も古くから栽培されていて、ラムセス3世の墓の壁画には豆料理を調理する様子が描かれた。写真はヒヨコ豆とモロヘイヤのスープ。
ドイツやイギリスは、南のイタリアやスペインなどと比べると、豆は料理の付け合せといった感が多い。イギリスは、アメリカ同様、グリンピースを多く使う。写真はカッテージチーズのパイに付け合せたグリーンピース。
「缶詰にできないご馳走は、サラダと女の子の唇だけ」という言葉があるほどアメリカは、缶詰を愛用する。豆の缶詰の一番人気はグリーンピース(エンドウ豆)。主産地は北西部のオレゴン州やワシントン州で、旬は晩春から初夏にかけてだが、そのまま使うことはほとんどない。缶詰と冷凍品に加工されるのだ。
メキシコなど中南米地域の食料品店には、さまざまな種類のインゲン豆が並んでいる。インゲン豆は南米の太平洋岸高地が原産地。豚など家畜を持たなかったこの地域の重要なタンパク源となった。料理写真はインゲン豆入りピラフ。
ポルトガル人がブラジルに渡り、最初に総督府が置かれたのがバイヤー州。その名前がついたバイヤー料理は、ポルトガル料理にアフリカ系と先住民のインディオ料理が加味されたもので、インゲンの煮込みなど豆料理が多い。
小学生の食育から高齢者のためのおいしい食事術まで、よりよい食生活についての研究と提案に勤しむ。著書『在宅看護応援シリーズ①元気をつくるまるごと食事術「おいしく食べる」』(学研)など。
長瀬広子=取材、文
本記事は雑誌料理王国242号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は242号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。