イタリア・モデナにある「オステリア・フランチェスカーナ」のシェフ、マッシモ・ボットゥーラは、現在のイタリアにおける最高の料理人と言って過言ではないだろう。ミシュラン三ツ星のみならず、2016年版のエスプレッソ誌では史上初の20点満点に輝いた。残されたタイトルは現在世界2位である「世界のベストレストラン50」における世界一というタイトルだけとも言われる。
このイタリア料理界の巨人は、現在何を考えているのだろうか?
2015年は、イタリア料理界にとっては史上最大のイベントとも言える「ミラノ国際博覧会」(以下、ミラノ万博)が開催された年。半年間におよぶ万博のテーマは「地球に食料を、生命にエネルギーを」だった。単に美食を追求するのではなく、食の安全と地球の環境について考えるため、イタリアを代表するトップ・シェフたちが万博に集い、さまざまなメッセージを世界に投げかけた。その中心には、やはりマッシモ・ボットゥーラがいた。
――あなたはイタリア料理界をけん引する料理人として、ミラノ万博を、どう捉えられましたか。
ミラノ万博は広く世界の人々に、食とはなんであるのか、を問いかけたわけですが、そのサポート役として重要な働きをしたのが料理人です。なぜなら、料理人は食の現場で行動しているので、その経験と知識を多くの人とシェアする使命を負っているからです。
――料理人として、一番大切なことは何だとお考えですか?
料理人にとって最も重要な「素材」とは、文化、知識、意識、責任感だと思います。文化は人間が連綿と築き上げてきた知識と意識と責任感の集積です。文化がなければ、知識も意識も責任感も生まれない。料理人は文化から学ぶことで成長し、発展を続けることができる。料理人の未来は、文化を土台にしているのだと思います。そのことを常に頭に置いておかなければなりません。
――パルミジャーノ・レッジャーノやバルサミコ酢、あるいはプロシュートやサラミの名産地域の真っ只中にモデナはあります。この町を本拠に、伝統的な食材と調理法を学び、それを原点として、世界に向けて料理を発信されていますが、あなたにとってイタリア料理とはなんですか?
イタリア料理の根幹は、"回復"あるいは"復活"にあると思っています。言い換えれば、「クチーナ・ファミリアーレ(家庭料理)」であり、「クチーナ・テリトリアーレ(郷土料理)」です。それは、まず素材ありき、素材を通して表現するしかありません。この点で、我々は日本と深く結びついていると感じています。イタリア料理も日本料理も素材から逃れられない。素材につきまとわれているのです。
それからもう一点、共通する部分がありますね。ミニマリズムです。
特に北イタリアに、その傾向が強く見られます。たとえば、ごくシンプルなリゾット・マンテカートは、究極的にミニマルな料理です。でも、一口食べると、それは饒舌にその土地の人々について語りだすのです。料理人は、農家や食材を手がける職人と密接なつながりを築き、また、ほかの土地を拠点とする料理人たちとも連携して、その土地の素材の持つ実力を最大限に発揮させるよう努力する必要があるのです。
――これからを担う若い料理人に向けて、何かメッセージはありますか? 現代の料理は、素材の質だけに頼らず、イデア(理念)の質が問題になってきます。私は日本の料理学校とも協定を結んでいますので、卒業する前に生徒がオステリア・フランチェスカーナに食べにくるプログラムがあるんです。私はそこで、私の考える料理と未来について話すようにしています。アヴァンギャルド(前衛)で革新的であるためにはどうすればいいのか。それには、全てを知る必要があり、また全てを忘れる必要がある。旅をして、学び、あらゆることを知る。全てを知ることなどできませんが、できる限りの努力を惜しんではいけません。もし、全てを知ったとしても、日々を漫然と生きていたら、そこから先へは行けません。退屈に思える日常を、自分の問題として乗りこなさなければならない。全てを知った上でやるべきこととは、それをゼロにする努力を重ねることです。それがすなわち創造のスタートだと思います。
──一流の料理人であるためには日々全てを知る努力を重ねた上でさらにクリエイティヴィティを磨かねばいけないということでしょうか。
クリエイティヴィティに時間は存在しません。どのくらい時間をかけるか、という問題ではないし、持っている、持っていないということでもない。むしろ、ヴィジョン(見方)の問題でしょう。
レシピを創造することは、きわめて知的な行為だと、自覚する必要があります。食べる人のことを思い、創造することの大切さを忘れないでほしい。オステリア・フランチェスカーナでは、人々が噛み締めるひとくちひとくちに記憶、芸術、音楽、つまり全ての"日常"を凝縮させようと努めています。これが我々の情熱であり、信じる道なのです。
――ミラノ万博に話を戻しますが、あなたは万博会場外でレフェットリオ(修道院の食堂)を運営されましたね。劇場跡を食堂に改修して、イタリア内外で活躍する著名なシェフの協力も得て、賞味期限を過ぎて廃棄処分扱いになった食材を利用して、恵まれない人々に無償で食事を提供なさいました。その意義をうかがえますか?
それは単なる慈善行為などではなくて、文化的な行為だと考えています。私はレフェットリオに、スタッフを全員連れて行っています。アラン・デュカス氏やフェラン・アドリア氏ら、世界中の偉大な料理人が模範を示し、若い料理人がその指揮下に入る。彼らはそこで、責任感とはなんであるかを学び、食料の無駄な廃棄を減らすことの大切さを理解するでしょう。こうした精神性を自分のものとして、自然に身につけ、それを決して忘れることはないはずです。これが、私の考える、世界が変わるために料理人ができることのひとつの方法です。この活動はイタリアだけでなく、今後、NY、東京、リマでも着手するつもりです。ーー常に新しいことに挑戦し続けるのが料理人、マッシモ・ボットゥーラですが、レフェットリオの次に、世界が変わるためのプロジェクトとして何かしようとしていますか?
今、考えているのは農業大学の実現です。モデナの郊外にある素晴らしいヴィラを利用して、将来、農業に就こうと思う人、チーズを作ろうと思う人、料理人になろうと思う人が学ぶ農業大学を設立したいんです。若者はそこでまず学び、そして、実地に赴く。つまり、マスターの称号を持つ人が、ジャガイモを栽培したり、多くの文化を背負ったパルミジャーノを作ったり、その先に料理人になることもあるでしょう。さっき、イタリア料理とは回復、あるいは復活の料理であると申し上げましたが、土地を噛み締めることだ、と考えています。土地を噛み締めるとはどういうことか。その土地を心底理解することです。農業大学ではその基礎を学ぶのです。
いまや「マッシモ・ボットゥーラ」とは世界中の美食家たちが一度はその味を試したいと夢見る、イタリア料理界のカリスマである。ボットゥーラが料理哲学について情熱的に語るとき、周囲の若い料理人は直立不動で一言も聞き漏らすまいと真剣に耳を傾ける。彼らにとってボットゥーラの言葉とは神の啓示にも似て、レフェットリオのような活動からひとり、またひとりと次世代のイタリア料理界をリードする料理人たちが生まれて来る。それこそがマッシモ・ボットゥーラが、現代イタリア料理界に与えている最大の功績なのかもしれない。
池田匡克=インタビュー、文、撮影
本記事は雑誌料理王国第256号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第256号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。