精進料理の教えを通して、いまとこれからの食を考える


昨今のコロナ禍では、 食料品の買い占めや流通の偏りなど、 食にまつわる問題が浮き彫りとなった。私たちがこれから食と向き合うとき、 精進料理の考え方を参考にしてほしいと、 広島市の八屋山普間寺の吉村昇洋さんは言う。

――永平寺での修行時代、修行僧や参籠 さんろう 者の食事を作る大庫院 だいくいん に配属されたそうですね。どのような職務でしたか?

 曹洞宗の修行道場では、台所のことを典座寮 てんぞりょう と呼びます。寮には十数人の担当者がいて、仕事は基本的に当番制です。修行僧の食事を作る日もあれば、仏様にお供えする食事を一日中作り続ける日もありました。修行僧に食事を作るときは、大体3人で、200人分を作っていました。いわゆる大量調理ですね。しんどかったのは、ごま塩をすったり、たくあんを刻んだりする「おかゆ」の当番でした。たくあんは、繊維が見えるくらい、とても薄く切らなければいけなかったし、1時間ほど刻み続けます。ごま塩をするのも1時間かかりますから、「おかゆ」当番の日は通常より2時間早起きしなければなりませんでした。他にもお客様用の食事は30品目ほど作りますし、かなり大変な職務でしたね。

 台所は戦場のような場所でした。忙しさにかまけていると、ものを出しっぱなしにしたり、扉を閉めなかったり、自分の身に雑なことが起きてくるんですね。そうすると、指導係の先輩にめちゃくちゃ叱られるわけです。当時はまだ20代半ばで、自分の至らなさになかなか気づけませんでしたから、ありがたい環境でした。

――調理に関しては、作り方やレシピが書かれた本などがあるのですか?

レシピ本は一切ありません。調理法は炒める・煮る・揚げるなどシンプルなものが多く、先輩方の作り方を見て覚えました。分量などは人から人へ、完全に口伝ですから、時代によって味が変化しているかもしれませんね。典座寮のトップが献立表を引き継いでいて、それをもとに献立を立てて、役割分担を決めていくといった進め方です。私が永平寺で修得した料理をレシピに起こしたのは、修行を終えて、娑婆 しゃば に戻ってきてからです。

――そのような日々の中、食が仏道修行において重要な意味を持つと気づいたきっかけはなんですか?

修行開始から半年後だったと思います。坐禅堂で食事をとっていました。そのころは複雑な作法がようやく身についた状態で、ふと『この作法にどんな意味があるのだろう?』と考え始めたんですね。そうすると『咀嚼中に箸を置くのは、目の前のひと皿に集中するためだ』『食器を丁寧に扱うのは、あらゆるものを大切に扱うことに通じるんだ』など、食事作法も「今、ここ」を見つめる禅の修行だったのだと気づきました。

――今回の企画で、作法と意味についてご紹介してくださいました。一般の食に落とし込もうとしたときには何が重要でしょうか?

調理では、第一に食材を無駄にしないことを意識してほしいです。私の料理教室で一番驚かれるのは生ごみがほとんど出ないこと。『ここは使えるだろうか?』という視点を持つと、調理法も浮かんできます。また食べるときは、紹介した5つの作法を実践してみてください。ただ私が紹介した意味合いは、あくまで私だけの気づきです。自分で実践してみれば、それぞれの気づきがあるはずです。

――自分で気がつくことが重要なのですね。近頃のコロナ禍では食の問題について気づかされることが多いですが、どのように見ておられますか?

全てが相互作用で成り立っている社会なのだと実感しました。生産者が野菜を育てても、流通が機能しなければ消費者に届かないし、卸先の店が休業すれば余ってしまう。『五観の偈』の一番最初、『いろいろな人の手を通って、目の前の食事が存在する』という教えそのものですよね。忘れがちな社会の在り様を見せつけられたようです。

 あとは皆さん、自炊の機会が増えましたよね。『自炊疲れ』という言葉がありますが、マイナスに捉えていては何も始まりません。料理を作る、食べることを、自分を見つめるきっかけにしてみてはどうでしょうか。コロナ差別など心無い行動をしたり、不安を煽ったりする人もいますが、そういったことに踊らされないためにも普段から心を落ち着かせていましょう。食には様々な意味合いが込められていますから、見つめ直すことでマインドが変わってくると思います。


監修 吉村昇洋 text 笹木菜々子

本記事は雑誌料理王国312号(2020年10月号)の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 312号 発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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