食と映画 #2 ウディ・アレンが描く!イギリスの食卓と階級


ウディ・アレンといえば、アメリカ合衆国・ニューヨークを舞台にした作品を数多く撮っていて、その印象が強い映画監督ですが、2000年代以降はヨーロッパでも積極的に撮影しています。

そのひとつ、イギリス・ロンドンを舞台とした映画が、2005年(日本公開は2006年)に公開された『マッチポイント』(原題:Match Point)です。

あらすじは、ジョナサン・リース=マイヤーズ演じる、アイルランド出身のテニス選手のクリスが、ロンドンのテニスクラブで教えるようになり、(アッパー・)ミドル・クラス(だと思う)出身のトムと親しくなり、裕福な家庭に入り込む。トムの妹のクロエと結婚。その一方でクリスは、スカーレット・ヨハンソン演じる、トムの元フィアンセでアメリカ合衆国からやって来た女優志望のノラとも関係が続き、やがて、、、です。

映画の中ではかなりわかりやすく、ではありますが、ウディ・アレン流の皮肉が散りばめられていて、そのひとつが階級です。
クリスもノラも庶民。食べるのはなんとか、にせよ、貧しい部類の階級の出身ではないかと察することができます。
トムとクロエは、ロンドンの高級住宅地に家があるだけでなく、田舎にメイドつきの別荘も所有する、富豪の(アッパー・)ミドル・クラス出身。

この階級の差を、あえてアメリカ映画で、そういうバックグラウンドを持たない/知らない人たちに向ける意味もあるでしょう、「食」を通じても、わかりやすく描いています。

国際マーケットをあらかじめ意識しているケースを除いて、イギリス映画の場合は、ここまでわかりやすく親切に、階級を描かない。
なぜなら、それはあえて説明の必要がなく、周知の事実だから、なんですね。
そこを異国人のウディ・アレンが浮き彫りにして、わかりやすいまでに描き出した、ってわけです。

レストランで注文する料理で出身がわかる

たとえば、こんなシーン。
クリスとクロエ、トムとノラがレストランで食事をオーダーするシーンで、クリスはローストチキンを注文するものの、クロエに「そんなのboring(退屈)よ。キャビアのブリニ添えにしなさいよ。キャビアは嫌いなの?」みたく言われます。

クロエはまったく悪気はなく、一方のクリスはこれでも精いっぱい背伸びして、頑張っているんですよね。
鶏肉はイギリスでは安い肉。とはいえ、レストランメニューのローストチキン。それなりなわけで、だからこそクリスは、ローストチキンを選んだんですよね。
「うわぁ、クリスマスみたい!」くらいの気分だったのかもしれません。
ほかのメニューにいたっては、食べたこともなければ聞いたこともない、ちんぷんかんぷんだったことでしょう。
なので、唯一なじみのある(と思われる)メニュー、ローストチキンをオーダーしたのかと。

しかし、クロエにしてみれば、「レストランに来たのよ、もっとおいしいもの食べましょうよ」ということなんですね。 「お行儀がいいのね。お父様は厳しかったの?」とクロエ。

残酷ですね。
遠慮していると思って、こういうクラスの人にありがちな親切心で言っているのですが、クリスはそもそもレストランでの食事に慣れてないし、キャビアも食べたことない、ブリニにいたっては、「何、それ?」だったことでしょう。
こういう言われ方は傷つきますねぇ、悪意がない分、余計に。

この食事を注文するシーンで、ノラに「トムと同じ」と言わせているあたり、ノラは一足早くこういう階級の人々の輪に入っているので、どう振る舞うべきかを承知しているわけです。
どう振る舞えばいいか、それは追随するってこと。
知らない世界のことは目の前に現れたことをひとつひとつ習得していく、それには、「真似る」のが手っ取り早い、ってわけです。

「真似る」のがその階級に入る近道

こんなシーンもありました。
レストランの席でトムがオーダーしたワインは、世界最高質の白ワインとされる、ピュリニー・モンラッシェでした。
後日、クリスは、それまでピュリニー・モンラッシェってきいたことなかったけど 、そう、彼はきいたこともなかったのです、購入したのがピュリニー・モンラッシェ。
クリスも「真似る」ことをするわけですね。

出自の違う人間が、違うクラスに入ったらどう振る舞うか、自分の意思を出すのではなく、周囲をよく見渡してそれに倣う。
これが無難、なのです。

もっというと、映画のはじめに登場する、主人公がドストエフスキーの『罪と罰』を読むシーン。
これ、映画のこれからを示唆するともに、このとき、主人公は『罪と罰』の解説本も併せて読んでいるんですね。
これがポイントで、文化的なことを習得するのには、周囲の振る舞いだったり解説本だったり、なんらかの指南役が必要なのです。
(アッパー・)ミドル・クラスであれば、生まれた時から文化的なものに囲まれた生活なので、指南などなくても自然に身につくこと、なのだけれど。

ちなみに、『マッチポイント』はウディ・アレンが初めてロンドンで撮影をしたからでしょうか、ウェストミンスター宮殿、ロイヤル・オペラ・ハウス、テート・モダン、ガーキン、といったロンドンの名所も、随所に登場します。 ヴァーチャル・ロンドン名所巡りとして鑑賞してもいいかもしれません。


文=羽根則子

食のダイレクター/編集者/ライター、イギリスの食研究家。出版、広告、ウェブメデイアで、文化やレシピ、技術、経営など幅広い面から食の企画、構成、編集、執筆を手がける。イギリスの食のエキスパートとして情報提供、寄稿、出演、登壇すること多数。自著に、誠文堂新光社『増補改訂 イギリス菓子図鑑』など。


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