京都でよく見る「めんるい」文化のナゾ


大衆食堂に掛かる「あの」看板を追う

京都にはうどんでもそばでもなく〝めんるい〞とくくり、なぜかデフォルトで寿司を置く食堂が多い。この業態にルーツはあるのか?店舗の実態は?京都・大衆食文化の隠れた謎〝めんるい〞に挑んだ。

京都を歩くと〝めんるい〞という看板が目につく。うどん、そば、丼を中心に、オムライスや寿司などを出すいわば大衆食堂だが、注目すべきはその業態名。とくに断って〝めんるい〞と記す所以である。

品書きには「天ぷらうどん・そば」と併記されており、中華麺が珍しくないばかりか、きしめんを出す店さえある。なるほど確かに〝めんるい〞を標榜するだけの多彩さだ。が、他地域では通常〝うどん〞もしくは〝そば〞と名乗るのではないか。〝めんるい〞の謎を解きたくなった。

まずは実地検分も兼ねて〝すし・めんるい〞を掲げる出町柳の「満寿形屋」を訪れて、うどんと鯖寿司のセットを注文。鯖寿司こそ京都特有だが、このように麺類と寿司を同時に出す店は関西一円に存在する。

たとえば、明治28年に開店し今も関西圏に数十店舗を構える大衆食堂チェーン「力餅食堂」がその代表格だ。とくにのれん分けした「大力餅」、「相生餅」など京都のチェーンは〝めんるい〞表記が多いように思う。

浅めに締めた鯖に舌鼓を打ち、店主に〝めんるい〞の由来を尋ねた。「さあ、100年ほど前から使こてる屋号やからねえ」……さすがは京都、歴史の桁が違う。切り口を変えるべく、寺町商店街の事務局へ問い合わせてみた。担当の方が紹介してくれた料飲組合に電話したところ、次に紹介されたのはなんと、京都府麺類飲食業生活衛生同業組合。そのものズバリの組合ではないか。

ちなみにここに至るまでに食堂数件、グルメサイト管理人、地元住職、老舗看板店に問い合わせたが、いずれも空振りに終わっている。ようやく光明を見出せた。解決は近い?

戦後復興の波に乗り商売の町で勢力を拡大

 結果、三代以上続く老舗店主の組合員各氏から、個人的見解を交えつつ知る限りの情報をお聞かせ願えた。

 まずここまで多種の麺類を会得・提供できる理由は京都の立地にある。交通至便なため、遠来の麺文化が入り混じって発展したということらしい。そして重要なのは商売の町ゆえの外食頻度が食堂を支える構造だ。商家では日に何度も外食し、お客のために出前を取る。「そやから何でもやってるのがいい時代だったんでしょうね。今でいうファミレスです」と理事長・堀部勝也さんは言う。そしてこの業態の発祥はやはり「『力餅』さん系列やと思います」と名誉会長・三嶋吉晴さん。「餅」系列が勢力を拡大したのは明治の終わり頃。兵庫県北部や北陸からもっとも近い都会である京都に多数の労働力が流入した。親戚関係などから修業先には事欠かず、やがてのれん分けに至る。同郷人として、チェーンの組合・連盟による強力なバックアップもあったそうだ。同時期に開店した個店がこれに倣い〝めんるい〞の看板を掲げたのも当然といえよう。

 しかし、それらの食堂が栄華を極めたのは昭和30年代までだった。新幹線の開通によって北陸人の足は関東へと向いてゆく。折しも日本は高度経済成長期。ライフスタイルとともに食生活も変化し、かくして〝めんるい〞は勢いを失った。残った店舗も改装や業態転換を行い、今や〝めんるい〞は減る一方だという。

「仕込みが大変やから次世代が継ぎませんし、今の外食市場では専門化して質を上げたほうがいい。〝めんるい〞はこれからもっと減るやろねえ」と三嶋さん。なんとも寂しい話だ。京都旅行の際にはぜひとも、消えゆく〝めんるい〞食堂を訪れてみてほしい。そこには今も京の庶民の食生活がひっそりと息づいている。

藤田アキ・文 和田海苔子・イラスト

本記事は雑誌料理王国2012年4月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2012年4月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


SNSでフォローする