「フードテック」という言葉を聞くと「またよくわからないトレンドがやってきた」と耳をふさぎたくなってしまうかもしれない。しかし、いま私たちの台所にあるものは、すべてフードテックの賜物なのだ。世界一やさしい…かもしれないフードテック進化論。
「IH調理家電や電子レンジは言うに及ばず、包丁、冷蔵庫に箸だってそう。私たちが暮らす現代の台所は『フードテック』にあふれています。人類の歴史はフードテックの歴史とも言い換えられると思います」 そう話すのは、宮城大学食産業学の石川伸一教授。 人類史上、確認できる最古のフードテックは、いまから約250万年前、石から包丁が作られたところに端を発する。石包丁は生きるために必要な狩りや、得た食材の加工などにも使われたろう。そして12万年前、人類は日常的に火を覚え、文化的な食生活を手に入れた。以降フードテックは近代に向けて加速していく。「2012年に英国王立協会の科学アカデミーが発表した『食の歴史においてもっとも重要な発明トップ20』を発表していますが、上位は私たちの暮らしにとっておなじみの機器や行為ばかりです」
1位冷蔵庫、2位殺菌・滅菌、 3位缶詰、4位オーブンと続き、5位以降に灌漑などの農業分野における発明が目立つようになるが、以降も7位焼き(ベーキング)、11位発酵、15位ナイフ・包丁、 16位食器、17位コルク、18位樽、19位電子レンジ、20位揚げ(フライング)となじみのあるものばかり。 ナイフ・包丁は歴史や地域のなかで進化を繰り返した。「焼き」「揚げ」と言った火の応用は洋の東西にさまざまな調理法を生み出し、自然の力を借りる「発酵」を覚えたからこそ、 人類はパンも酒も(納豆も)楽しむことができるようになった。これらすべては「フードテック」なのだ。
「個人的に近代のフードテックをひとつ挙げるとすれば、冷蔵庫でしょうか。どんな地域でどんな食材でも保存して、長期間食べられるようになった。素晴らしい発明です。電子レンジは軍事技術からの転用で、当初は 『悪魔の機械』と忌み嫌われましたが、人は得体のしれないものに対して、本能的に忌避感を覚えるものです。しかし結局、利便性が勝ちました」では進化史の視点を未来に向けてみる。石川氏の著書のサブタイトルにある「培養肉・昆虫食・3Dフードプリンタ」なども忌避感の対象となり得る食材や技術のようにも思えるが……。「忌避感を覚える人もいるでしょう。確かにいまの若者は環境意識が高い。ただ『畜肉を食べるなんてダサい』と言っていても、培養肉を受け入れられるかはまた別の話だと思います。昆虫食もそう。『3Dフードプリンタより、お母さんの料理がいい』と言う学生もいます。結局食べる人の心持ち次第ですね」
利便性や栄養は普及にあたって確かに重要なファクターである。だが最終的な普及のカギは人間が”心”から受け入れられるかという一点にあるのだ。ちなみに不便だからといって、進化史の歴史で淘汰されるとは限らない。マイノリティならではの付加価値を見出して生き残るケースもある。前出のランキングで言えば、18位の樽などは現代ではほとんどステンレス製に置き換えられたが、酒造りなどでは木樽が欠かせない場面もある。17位のコルクもワインの栓として使うとき、科学的にはブショネなどリスクのほうが大きいという見方が一般的だが、いまなおコルク栓に対するニーズや親近感は母親の料理のように厚い。
レストランやシェフにとって「フードテック」をどう捉えるかは中長期的には悩ましい問題だ。近しいテックとしては食器洗浄機が挙げられる。人件費が少し浮き、破損によるロスは減るかもしれないが、もちろん食器洗い以外の仕事はやってもらえない。「最終的にはシェフの役割はより高次でアート的なものになるはずです。店や料理のデザイン、そして人柄。非言語領域の高次コミュニケーションがシェフのアイデンティティとなり、生命線となるはずです」 何をAIやロボットに預け、何を人間の手によるサービスとするか。その境界線を自覚的に引くことができるシェフの元にこそ、客は集まる。どんなにフードテックが進化しようとも、永遠不変の原理原則である。では “食べる人”にとって、求められるフードテックとはどういうものか。
「最近はそのことについて、ずっと考えています。4月から学生が学校に来れなくなって、”共食”が失われました。Zoom飲みもやりましたが、完全に以前と同じようなコミュニケーションにはならない。いま、人は大切な人としか共食しなくなっています。ではその「大切な人」とは誰で、人は共に食べるという行為に何を求めるのでしょう。もしかすると、人は友人とのリアルな共食よりもVRゴーグルの向こうにいるアイドルとのヴァーチャル共食を選ぶかもしれません」 ゴリラの研究で知られる、京都大学の山極寿一総長も「共食こそが人間を人間たらしめる行為」だとしばしば言っている。古来、人間にとって食とは他者と結びつくという社会行為に有用なツールでもあった。
「正直、2020年はいろいろ詰め込まれすぎていて、もうお腹いっぱいです(笑)。それでも私たちは選択し続けなければいけない。イギリスの科学啓蒙家、ジョン・デズモンド・バナールは『未来には、宿命の未来と願望の未来がある』と言っています。2050年に地球の気温が3°C上がることは避けられないかもしれない。でも人々が強く願うことによって、変えることのできる未来だってあるはずなのです」 複雑化する未来予想図のなか、果たして人類は正しい方向に進化できるのか。その正誤を指し示してくれる指標が、「フードテック」なのかもしれない。
石川伸一
宮城大学 食産業学群 教授
専門は分子調理学。関心は食の未来学。自ら家庭の台所で包丁を握り、調理をする実践家でもある。著書に「『食べること』の進化史 培養肉・昆虫食・3Dフードプリンタ」(光文社)「料理と科学のおいしい出会い 分子調理が食の常識を変える」(化学同人)ほか。
『食べることの進化史』には、現代の料理の背景にある人と食の変化や、食卓の風景の変化に対する心の関わり方が書かれている。
食の歴史はコミュニケーションの歴史でもある
text 松浦達也
本記事は雑誌料理王国2020年12月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2020年12月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。