12年に渡って親しまれていた静岡の店「パティスリー・ナチュレ・ナチュール」を2年前に閉店し、現在、パリの店「モリ ヨシダ」で全力投球する吉田守秀さん。本場フランスで店を出すことの意義を教えてもらう。
パリ左岸、金色のドームを冠したアンヴァリッドへとまっすぐ延びるブルトゥイユ大通りは、左右に並木を配し、中央を芝生で覆われた心地よい緑道だ。道沿いに並んだオスマン様式の建物の一角に、景色に溶け込むようにガラス張りの店舗が控えめに佇んでいる。ここが2018年4月で開店5周年を迎えた、吉田守秀シェフの菓子店、「モリヨシダ」だ。 4区のマレ、5区のカルチェラタンの地区を中心に、100軒近くの物件を訪れた後、見た途端に決めたという店舗は、パリでも屈指の高級住宅街である7区に位置する。元パン屋で厨房に十分なキャパがあることも決め手のひとつだったが、やはり魅力は緑豊かな大通り。全面のガラスを通して見える、四季によって移り変わる街の景色は、店の素晴らしい装飾となっている。
「食べ物を作っているという意識から過剰な装飾はせず、お菓子が前面に出るような内装にしました」と吉田さん。真っ白な空間に無垢な白木がナチュラル感をプラス。降り注ぐ自然光でショーケースに並んだパティスリーが光り輝いて見える。
今でこそ、街なかにしっかり馴染んだような店舗だが、開店する際にはさまざまな問題があった。パリでは景観を重視するため、ガラス張りのファサードは役所で1度却下され、白木の扉は大家自らに変更を求められた。
「古くから住む貴族出のお金持ちが多く、ブルトゥイユ大通りを住人みんなが大事にしているのです。そんなクラシックな地区にアジア人が店を出すこと自体、賛否両論あったでしょうね」と吉田さんは振り返る。メトロの駅からは若干離れており、観光名所が近くにあるわけでもない。「通りすがりでくるよりも、わざわざ探してきてくれるお客さまを大事にしたい。今でこそ観光客も増えましたが、客層は近所に住む常連が8割です」と話す吉田さん。彼が日々相手にするのは、フランス菓子のまさに本場であるパリに住む、舌の肥えた生粋のフランス人たちだ。
静岡の洋菓子店に生まれ、東京のさまざまな店で修業した吉田さん。
22歳の時にフランスの国立製菓学校に留学するものの、伝統的な重いフランス菓子を受け入れることができず、半年で帰国。27歳の時に静岡で自身の店を開き、フランス菓子をベースとしながらも、地元の食材を使って日本人のお客さまのために洋菓子を作り始めた。
開店から3年が過ぎ、地元客に人気の繁盛店へと成長していた頃に、転機が訪れる。久しぶりに旅行で訪れたフランスで改めて味わったフランス菓子は、若い頃の記憶とは似て非なるものだった。
「自分の舌が変わったのか、フランス菓子が変わったのか、おいしく感じられたのです。素材もお菓子も新しいものがどんどん出ていて、今のお菓子の流れを感じることができました」
2店舗目を東京で出すという構想は一気にパリへと膨らんだ。静岡の店を維持しながらも渡仏し、伝統的フランス菓子を学び直す。3ツ星レストラン「ギー・サヴォワ」ではデザートを学び、パティスリーは料理の後に提供するものという、本場での位置づけを再認識した。「料理、デザート、カフェ、ショコラという一連の流れの中にあるお菓子」という意識を持って、吉田さんはパティスリーを作るという。
「僕がフランス人と決定的に違うところは、フランスで生まれ育っていないこと。そこを埋めるにはフランスの文化や歴史、どういう時代の流れでフランス菓子が変わってきたのかを知ることが必要なのです。知識とともに伝統的なお菓子を押さえることでしか、新しいものは作り出せないと思います」
パリでフランス人相手にフランス菓子を提供するには、うわべだけ繕ったパティスリーでは通用しない。開店当初からよく売れたのは、エクレアとタルト・オ・シトロンだった。保守的とも言われるフランス人は、まずはフランス菓子の王道を味見して店を評価する。パティスリーの基本をクリアし、店を信用してもらえたならば、新しい味わいへも挑戦してくれる。
「フランス人を素晴らしいと思うところは、おいしければ人種は関係なく、認めてくれること。日本人シェフと言われるのではなく、『吉田シェフはこんなにおもしろいものを作る』と言われた時に、初めて勝負のスタートラインに立てたのだと思います」
パリの店で100%の力を発揮するために、惜しまれながらも静岡の店を2年前に閉店した。フランスに住み、フランスの空気を吸い、フランスの食材を使って、今の流れを肌で感じながら、フランス人にお菓子を作り続けることでしか、「自分の中から出てくるものがフランス菓子にならない」と吉田さんは語る。フランス人からダイレクトに返ってくる反応を見ながら、徐々に「モリ・ヨシダ」らしいパティスリーを築いてきた。定番のババ・オ・ラムをアレンジした「ババ・トロピック」や、フランス人の好みを想定して作られた「ベージュ」もそんな過程で生まれ、今や大人気の商品だ。
「自分が日本人である以上、日本人らしさは勝手にはみ出てしまうものなので、僕はあえて意識しないで作っています。味のトーンやバランスの取り方は僕にも好みがあるけれど、それをフランス人が日本人らしいととらえるかどうかが問題なのではないでしょうか」
したがって、日本的な素材と言われるユズや抹茶は、店の商品には使わない。「日本人である」ということは、吉田守秀というアンデンティティを作る、ひとつの要素でしかないのだ。
「僕は本物を見て本質を知ることに喜びを感じるのです。たとえば、粉のおいしさを見てみたいと、実際にペルピニャンまで行ってみるような。そして物事の本質は長く暮らしてみないとわからない。季節によっても変わるし、年によっても変わる。お客さまであるフランス人が何を望んでいるかも、長年相手にしてみなくてはわかりません。僕はパリに8年住んでいますが、いろんなことを知れば知るほど、さらに知りたいことが出てきます。それがおもしろくて仕方がない。海外に出るということは、日本にはない驚きに出合い、未知なるものを知るチャンスを作るということ。新しいものを知ることで、もっと新しいお菓子が作りたくなるのです」
多国籍の優れたパティシエが切磋琢磨し、つねにフランス菓子の最先端を行くパリ。剛腕なシェフたちと同じ土俵に立ち、志を同じくする仲間のひとりとして吉田さんも新しいフランス菓子を作り出している。そこには「フランス出身である」、または「フランス出身ではない」という言い訳は通用しない。国籍を超えて、フランス菓子をこよなく愛し、追求したいという気持ちがあるだけだ。フランス人を相手にフランス菓子で勝負ができる。それこそが、本場パリで店を持つことの魅力であり、真のグローバルな精神を持つということなのだろう。
酒巻洋子=取材、撮影、文
本記事は雑誌料理王国第286号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第286号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。