改札を出ると、そこは大陸だった。中国語や中国の食文化に明るいメンバーたちが今回訪れたのは、池袋駅北口、西川口駅、蕨駅周辺で拡大中の新中華街。都心から運賃数百円の駅前中国を体験すると、中華料理がもっと面白くなる。
その(1) 池袋駅北口エリアはこちら
埼京線と京浜東北線を乗り継いで約20分。池袋駅からのアクセスも良好な西川口駅付近は、生活感が漂う濃厚な大陸感を楽しめる街だ。
この数年、濃厚な大陸中国感を味わえる街として時折話題になる西川口駅周辺も、池袋と同じく生活のためにできた新中華街。中国の食品・物販の店や飲食店などの職場が集中する池袋駅のアクセスを考慮して、住む場所を選ぶ在日中国人が増えているのかもしれない。
「JR京浜東北線から赤羽駅で埼京線に乗り換えればすぐに池袋ですし、京浜東北線はもうひとつ中国人の多い街である上野にも乗り換えなしでアクセスできます。家賃も赤羽は高いですが、西川口なら比較的低い。中国人にとっては便利な街ですよね」(菊池)。
この街も利便性が増すに連れて中国人が集まり、若い世代が増えることで自然発生的に形作られているようだ。
そもそも、日本の中華料理の発展は、横浜、神戸、長崎などの三大中華街の影響なくしては語れないだろう。「中華料理進化論」の中で著者の徐航明氏は次のように記している。「(従来までの)中華街は老華僑ー70年代末の改革開放政策よりも前に中国から海外に出た人たちから形成されていた。一方で、近年の大都市には改革開放政策以降に中国から海外へ渡った人たちー新華僑が多く住んでいる地域もある。特に東京の池袋、埼玉県の川口は新中華街やネオチャイナタウンともいわれている」
「西川口も基本的には台湾系ではない新華僑が集まってできている街ですよね。自然発生的に『あ、このビルが空いているから借りちゃおう』みたいな感じで増殖してきた。そもそも新華僑は中国の文化大革命が終わった後に来日できるようになった人々。体制や貧困を悲観して来日した人々の時代が長かった」(吉野)
新中華街が拡大する要因として、実は新華僑たちの消費行動が変化したことも挙げられる。
「1990年代から2000年代初頭まで、新華僑の人々は自分たちの目の前の生活のために個々で必死で働いていた時期なんです。でも、2005年ぐらいから余裕ができ始めると同窓会をつくったり在日中国人のコミュニティをつくるなどして集まるようになりました。それまでは外食をする余裕も機会も無かったんですが、みんなで集まるようになると外食ニーズが高まるんですよね」(吉野)。
「余裕のできた中国人たちが、新しく大陸から来日する人たちを受け入れるための体制をつくり始めたのもちょうど2005年ぐらいですよね。ビザの取り方とか住居の手配などを支援するような…。初期の新華僑は今40代後半から50代前半の年齢になっているのですが、その子どもたちの世代も新中華街が拡大するのに寄与しています。中には地元の中華系飲食店経営者による『西川口ピカピカ隊』のように定期的に街のゴミ拾いをして、地域と馴染むような努力を重ねる人々もいます」(菊池)
駅周辺を散策すると、池袋と同じく「铁锅炖(鉄鍋料理)」などの東北料理店が多く見受けられる。西川口にも東北出身者が多いのだろうか。「黒龍江省・吉林省・遼寧省などの東北人が多いのは、もともと中国残留孤児の帰国と一緒にその子どもの世代が日本に住み始めたから。そんな人々の地縁血縁を頼ってさらに東
北から来日する人が増えたのも、在日中国人の中で東北人が多い理由じゃないですか。加えて、東北は中国国内で賃金水準が低い。2016年頃の話ですが東北3省の大卒の新入社員の初任給が3万円から5万円程度なんです。日本との賃金格差も魅力的なんでしょうね」(吉野)
本記事は雑誌料理王国2019年12月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2019年12月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。