モダン・ブリティッシュの源流「St. John」の偉大なる功績と10年ぶり新規店


30年に渡って愛されるロンドンのアイコン的レストラン「St. John」が、10年ぶりに新規店をオープン。「鼻から尻尾まで」をコンセプトに疾走し続ける元祖モダン・ブリティッシュが、今も色褪せない理由とは?

熟年世代の食通ロンドナーに、試しにこう聞いてみるといい。「あなたにとって『我が心のレストラン』はどこか?」と。おそらくトップ3に確実に上がってくるのが、モダン・ブリティッシュの先駆け「St. John / セント・ジョン」だろう。

創業は1994年。来年で30年選手にならんとする英国レストラン業界の至宝だ。金融街シティに隣接する伝統ある肉市場のすぐ近くで産声を上げ、いささかセクシーさに欠ける元ベーコン燻製所を改装し、当時としては非常に斬新でモダンな空間を作り上げた。

セント・ジョンのスタイルは創業以来「鼻先から尻尾までいただく(Nose to Tail Eating)」という、これまた当時の英国では珍しかった妥協のない哲学に集約されている。食べ物としての動物への愛と誠意から生まれたその哲学は、同レストランのシンボルとしても知られる空飛ぶ豚のロゴに込められた。

厳選した契約農家から上質の食材を調達し、熟練の料理人が素材の持ち味をたっぷり引き出す。今となってはこれも当たり前の工程に聞こえるが、1990年代の英国ではまだまだ浸透しているとは言えなかった。モダン・ブリティッシュにおける正しいあり方をこんなふうに方向づけたのが、セント・ジョンだった。

モダン・ブリティッシュ黎明期を牽引したセント・ジョンの10年ぶり最新店がマリルボーンに誕生し、話題になっている。
豚のロゴ・マークに注目(筆者が2016年に1号店を訪れたときのメニューから)。このシンプルなメニュー・テンプレートは今も変わっていない。右はマリルボーン店のフロント。©RestaurantPR
内装は究極のミニマル。シンプリシティはセント・ジョンを表す最も的確な表現だ。

「クセになる絶対的な旨さ」を追求し続け、いくつもの永続的な定番品を放ってきたセント・ジョン。料理の盛り付けは奇を衒わずシンプルがモットー。これは同店の根幹を成す矜持でもあり、一時は建築家を目指していた風変わりなオーナー・シェフによって指し示された「削ぎ落としの美学」なのだ。

英国を代表するこの名店を築き上げたのは、シェフのファーガス・ヘンダーソンさんとレストラン事業家のトレバー・ガリバーさんである。シェフのファーガスさんは完全に独学の人だ。料理好きと素材への興味が、彼をして偉大なる英国人シェフの仲間入りをさせた。

明記しておきたいのは、セント・ジョンの料理がいわゆる英国における高級料理の王道であるフレンチ系モダン・ブリティッシュとは一線を画するということだ。料理自体も、盛り付けも、最上等のガストロ・パブを思わせる仕様であり、数多くのリピーターを生み出し、30年に渡ってロンドンの人気レストランであり続けている理由も、実はそこにある。今流行りの「くだけたフォーマルさ」を、セント・ジョンは当時から体現していたのである。

マリルボーン店だけでいただけるウェルシュ・レアビットの変化球、レアビット・コロッケ。下にパンが敷いてあるのが見えるだろうか。
チーズがとろけるレアビット・コロッケには、ウスターソースをかけていただく。濃厚な口福。肉と同様野菜料理にも力を入れている。
感動的だった牛タンのサラダ。ほろほろになるまで煮込んだ牛タンを、ハーブ香る重層的なグリーン・ソースとクルトンで。ふわりとした口当たりの牛タンの口当たりに新鮮な驚き。素材を知る人の仕事だ。

セント・ジョンの独自性やカジュアルさを考えるにつけ「ワールド・ベスト・レストラン」初年度2002年に49位にランクインし、以後何度もワールド100内に入ったことは驚きに値する。ワールド100には、ミシュラン3つ星レベルと新世代による強豪店といった英国勢がせいぜい6、7軒しか入らないことを考えると、インフォーマルな老舗セント・ジョンのランクインは奇跡に近い。モダン・ブリティッシュというジャンルの確立に大きく貢献した同店への多大な敬意が感じられる結果ではないだろうか。

貢献と言えば現在ワールド50の常連となっている英レストランLyle’sも、セント・ジョン出身のシェフによるプロジェクトであり、料理と内装の両方にその影響が見て取れる。それどころか現在のロンドンで突出した個性を謳歌している良質レストランの厨房には、かなり高い確率でセント・ジョン出身者が紛れ込んでいる。ロンドンの外食産業のクオリティを底上げしてきたセント・ジョンの功績は、実に計り知れないのだ。

そんなセント・ジョンが昨年末、約10年ぶりとなる新規店をロンドン中心部のマリルボーン地区にオープンした。これまでロンドン東部までせっせと足を運んでいたファンには朗報であり、レストラン評論家たちも諸手を挙げて歓迎した。マリルボーン店はこれまで通り「鼻から尻尾まで」の哲学を踏襲するほか、この支店でしか食べられないメニューを取り入れ地元に貢献しようとしている。

これがセント・ジョン流のブレッド&バター・プディング(冒頭写真も)。ブリオッシュとパイの中間のようなパンをイギリス人が大好きなカスタード・クリームでいただく。見た目も完璧だ。
セント・ジョンはベーカリーとしても一流。オーブンで焼くものに関してはハズレがなく、数々のヒット商品を生み出してきた。

ファーガスさんはマリルボーン店オープンに際してガーディアン紙のインタビューに対してこう語っている。

「トレンドを追求しなければ、料理は決して時代遅れになることはありません。私は食べ物のトレンドという考えがあまり好きではないんだ。永遠に続かないのがトレンドだからね、悲劇的とさえ言えるだろう。トレンドはともすれば不当な食べ物を持ち上げたり、良い食べ物を歴史の中に葬り去ったりする危険性がある。しかし良い食べ物は、永続的でなければならない」

近年のレストラン業界を概観するに、この言葉は正鵠を射ていると言わざるを得ない。

例えば牛の骨髄を骨つきのままベイクして、天然塩とパセリでいただく骨髄サラダは、究極のセント・ジョンらしさを体現する定番メニューだ。このワイルドで過激な一皿は90年代食シーンの話題をかっさらい、セント・ジョンの名は不滅になった。

そして旅行者も、ロンドンのセント・ジョンを訪れれば30年変わらない定番品にありつくことができる。マリルボーンの店誕生で、これまで以上にセント・ジョンの人気が世界にも広がっていくことだろう。

St John Marylebone
https://stjohnrestaurant.com/a/restaurants/marylebone

text・photo:江國まゆ Mayu Ekuni

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