食の未来が見えるウェブマガジン「料理王国」

ミシュラン二ツ星レストランのエグゼクティブシェフからYouTuberへ「料理人城二郎」


震災とコロナが新たな道への転機に
決意したら前を向いて行動するだけ

「学生時代は本当に不真面目な学生で、学校へも包丁ケースじゃなくてギターケースを持って行っていたくらいでした。
担任だった平塚未来先生からも、日々の生活態度が悪いとよく叱られました」と苦笑いするのは、「ドミニク・ブシェ」のエグゼクティブ・シェフからYouTuberに転身した吉田能さんだ。当時は学校の授業よりも、高校時代から続けてきた音楽活動のほうを優先することも多かった。「調理師になる」という強い意志もなかったらしい。

「ただ、学費を出してくれた親に申し訳ないから、卒業だけはしようと思っていました。そんな僕が卒業できて、ホテルに入ることができたのは、平塚先生のアドバイスが大きかったと思います」

しかし、就職したホテルは厳しい職場で、同期がどんどん辞めていった。
「僕自身も毎日辞めたいと思っていました。でも、ビビって『辞めたい』となかなか言えなくて……」。そして就職2年目、東日本大震災が起こった。
「お客さまがぱったり来なくなって、日常生活がまったく変わりました。今とはちょっと違いましたけれど……」

そんななかで、先輩から「フランスに行ってみるのもいいんじゃないかな」と
アドバイスされた。
「その言葉が、どういうわけか自分の心にストンと落ちて、『フランスに行こう』と決めました」

その後2年間働いてお金を貯め、渡仏した。働き口を決めていたわけでもなく、ツテがあったわけでもない。パリに着いて毎日ブラブラしているなかでガイドブックに載っていた「ドミニク・ブシェ」で食べた料理に感激。「この味を覚えたい」と思い、その場で「この店に入れてください」と直談判したという。
「運よく働くことができ、1年後に帰国したのちも、結果的に『ドミニク・ブ
シェ』で働くことになりました」

そんな吉田さんの新たな転機は、コロナ禍の始まりとともに訪れた。
「改めて集客について考えたときに、自分の発信力のなさを痛感。それで、自
分の発信力を高めて集客につなげたいと思い、YouTuberで調理の基礎などを配信することにしたんです」

「ホタテと春豆の軽い煮込み」はグリンピースとソラマメを使って、旬を味わうレシピに。

吉田さんのYouTuberは、リモートワークが増えていた20代、30代の男性の心に刺さった。
「今までは、『ドミニク・ブシェ』という看板を背負って仕事をしてきました。それは、とてもやりがいのある仕事です。ただ、YouTuberを始めてみて、自分自身を表現することの面白さも感じるようになってきたんです。料理人としては、海の資源が減っていることなども気になる。持続可能な社会にしていくためにはどうすればいいのか。僕らもしっかり考えて、発信していかなければいけないと思っています」

視聴者から要望が多かった「ソースアメリケーヌ」は、家でも再現しやすい簡単レシピが好評。


 
3月末で「ドミニク・ブシェ」を退職。
「今はYouTuberとして、さまざまなことを発信していきたい。そてゆくゆくは、自分のお店を出したいですね」

先生泣かせの〝やんちゃ学生〞は、多くの経験を経て一流の料理人になり、今また、新たな夢に向かって動き始めた。

吉田 能(よしだ たかし)さん

1987年、埼玉県生まれ。2009年、服栄養専門学校調理ハイテクニカル経営学科を卒業。丸の内ホテルレストラン「ポム・ダダン」でキャリアをスタート。4年間勤務したのち、フランスに渡る。パリの「ドミニク・ブシェ」で1年間働いたのち、帰国。「ピエール・ガニェール」を経て2015年に「ドミニク・ブシェ トーキョー」に入る。
2016年、「レ・コパン ドゥ ドミニク・ブシェ」のシェフに就任。その後、DBグループのエグゼクティブシェフとなり、東京、金沢、名古屋、京都の各店舗を飛び回る日々を過ごす。2021年3月に同店を退職。現在はYouTuberとして活躍中。

本記事は雑誌料理王国322号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は322号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください


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