無農薬・無添加の日本酒と聞くと、どのような味を想像するだろうか。自然酒「五人娘」を造る寺田本家は、酒米や麹にこだわり、自然の働きを活かした酒造りを追求する酒蔵だ。
寺田本家が自然酒造りを始めたのは、今から30年前。先代の故・寺田啓佐 (けいすけ) さんが、病気体験をきっかけに添加物だらけの日本酒造りを見直し、「五人娘」を誕生させた。そして先代の遺志を継ぎ24代目当主となった寺田優さんによって、日本酒造りへのこだわりと味がブラッシュアップ。今では全15銘柄の酒造りに、蔵付きの菌を使った「自家製の種麹」を利用している。酒造業界だけでなく、発酵業界や料理業界からも熱い注目を浴びている。
「酒は百薬の長。無添加で作られるお酒は、人の役に立つ」。先代の気づき
から生まれた寺田本家の酒造りの特異な点は、無農薬の米を使うことや米本来の味を活かすための高い精米歩合、醸造アルコールなどが無添加ということだけにとどまらない。寺田本家では、それまでの酒造りで当然のように行ってきた「種麹は買うもの」という考えも見直した。2016年の冬の仕込みからは、寺田本家の酒蔵にいる「蔵付きの菌」を自家培養した自家製の種麹を使い、酒造りをするようになった。
酒造りの過程では、麹菌・乳酸菌・酵母菌など、さまざまな菌が働く。味や品質の安定した酒を造るには、これらの菌の働きをコントロールするために発酵の具合を調整するものだが、寺田さんは違う。「自然酒だから、菌の多様性も尊重して自然に働かせたいし、そこで生まれる味のブレも大切にしたい」この発想こそが、独創的な味の酒を造り出すのだ。
伝統的な酒造りの技法に立ち返り、自然を見つめ、人の力で環境を整えながら、微生物たちの働きを促す。とことん酒造りのあり方を見直した「寺田本家」の造る酒は、同じく自然に向き合い素材にこだわるレストランからも注目されている。たとえば、デンマーク・コペンハーゲンにある世界一のレストランと名高い「noma(ノーマ)」は、酒造りの原点ともいえる無濾過自然酒「醍醐のしずく」を採用。仕込み時期によって味が異なり、甘酸っぱい味わいが特徴だ。また、東京・青山にあるフレンチレストラン「NARISAWA」では精米歩合を80%にとどめて、米本来の旨味を残した「純米80香取」が採用されている。
「うちの酒は、だしを引いて繊細な味をつくる和食には合わせづらいんです。飲みやすい味でもないし、万人受けする味でもない。100人に1人でもおいしいと言ってくれればいいと思って酒造りをしています」と寺田さんは言う。ナチュールワインの酒造りに対する考え方と、自然酒造りの共通点が多いことを考えれば、洋食レストランから選ばれるのも不思議ではない。そして、万人受けしない独創的な味だからこそ、料理人の挑戦意欲をかき立てているのではないだろうか。
最近では、海外の人々が寺田本家に興味を持ち、蔵の見学会に訪れることも増えてきたという。「日本の発酵文化を自国に持ち帰り、発酵食品造りに取り組んでいるという話も聞きます。僕が大切だと思うことは日本のものづくりの精神性。マニュアル通りではなく、自然への敬意や感謝の気持ちを持ちながら発酵食品を造るという、心の部分も世界に伝えていきたいです」
寺田さんの眼差しは、海外だけではなく地域にも向けられている。「自然発酵やオーガニックに興味がある人が集まるような地域社会をつくっていきたい」と目標を掲げ、現在は小学校で大豆の種まきから始める自家性味噌造りを教えたり、蔵見学や日本酒の試飲ができる「お蔵フェスタ」も開催したりしている。世界から日本の発酵文化が注目されている今、寺田本家は地域や世界と発酵文化をつなぐ重要な存在になっているのだ。