人間国宝などの器を使ったガストロノミーイベント「USEUM SAGA」の第5回が沖縄から渡真利泰洋シェフをゲストに招いて開催


佐賀県による、地元の食材と器の「作り手」と「料理人」とが交流を深める中で互いの感性を刺激し合い、佐賀の地域性を磨き上げていきながら、新たな価値を創造していくプロジェクト、サガマリアージュ。その一環としてのガストロノミーイベント「USEUM SAGA(ユージアムサガ)」の第5回が、沖縄から渡真利泰洋氏をゲストに迎え、地元佐賀の川岸真人氏とのコラボレーションで開催された。

近年のガストロノミーの地方進出、ローカル化の流れはもはやとどまるところを知らない勢いだ。料理人が東京に出て一旗揚げる、なんていうのも今や昔。その地域の食材や伝統的な食文化を活かした表現の料理を提供する店やポップアップイベントが全国各地で増えており、そのためにUターンして地元に帰ったり、移住したりする料理人も多い。

ではそうした地域間の競争が激化する中で、佐賀県が開催する「USEUM SAGA」の独自性はどこにあるのか?それは「器」だ。

素晴らしい食材や食文化は全国各地に点在し、それらは優劣で語られるべきものではない。しかし、豊臣秀吉の朝鮮出兵の時代にまでさかのぼる「器の歴史と文化」は、他の地域には存在しない唯一無二のものだ。

「水イカのパフェ」に使われた「今右衛門窯」の器。江戸時代から一子相伝で「鍋島焼」を継承してきた有田焼の窯元だ。

有田焼は1616年に初の国産磁器として誕生し、2016年に400周年を迎えた。その歴史は芸術性、生産性、そして食べ物を乗せる器としての安全性など様々なイノベーションに彩られ、国内外で非常に多くの名声を集めてきたのは周知の通りだ。しかし一方で、他産地の台頭や海外製品の流入、そしてライフスタイルの変化による磁器そのものの需要減もあって、産業として岐路に立たされているのもまた事実だ。

そうした中で、400周年の年である2016年には「器(うつわ)と料理のマリアージュ」をテーマに「世界料理学会 in ARITA」が開催され、国内外のトップシェフが有田に集結。有田焼の窯元たちが彼らと交流を深める中で彼らの求めるプロユースの食器についての知見も集まり、以降も様々な取組を通じてトップシェフが求める器の産地としてリブランディングが図られている。

その延長線上にあるものとして2019年に始まったのが「サガマリアージュ」の取組だ。歴史と文化のある「器」、独自の「食材」、そしてそれらが合わさってできる「料理」にフォーカスし、それぞれの作り手、料理人が互いの感性を刺激し合い、佐賀の地域性を磨き上げていきながら、新たな価値を創造していくプロジェクトで、2021年からは、首都圏や他県でローカルガストロノミーに取り組むトップシェフなどを講師に招いた講習会などを行う「サガマリアージュセミナー」、器、食材の作り手と料理人が互いの情報を共有し、理解を深め合いながらレベルアップを図る「サガマリアージュラボ」、そしてラボを通じて学んだことのアウトプットの場としての「USEUM SAGA」の3つが軸となっている。

「USEUM SAGA」は「美術館(MUSEUM)に飾るような人間国宝などの器を使い(USE)佐賀の食材を才能豊かな料理人たちの技で仕上げた料理が楽しめる期間限定のプレミアムレストラン」を意味し、地元・佐賀の料理人と県外から招いたゲストシェフやソムリエとのコラボレーションで行われる。そして、コラボイベントの後に開催される、佐賀の料理人による単独イベントまでが1セットだ。料理やペアリングのコラボレーションを通じて得た経験を自身に落とし込んで特別メニューを考案し、単独イベントという形で披露することにより、その料理人はコラボイベントとはまた違った経験を上乗せすることができる。これは「USEUM SAGA」が単に県内外のフーディーを集めて美食を提供するというその場限りのものではなく(もちろん佐賀県の器や食材の魅力を、イベントを通じてアピールすることも大事な目的の一つだ)、地元の料理人、器や食材の生産者の育成を通じて長期的に佐賀県全体の魅力を高めようと行われているものだからだ。

2021年に始まり、23年12月で第5回を迎えた今回は、フランスの数々の名店で修業後に沖縄・宮古島から伊良部大橋を渡った伊良部島にある「エタデスプリ」の総料理長として琉球ガストロノミーを提唱、現在は独立に向けて準備中の渡真利泰洋氏と、佐賀県佐賀市の「カレーのアキンボ」川岸真人氏のコラボレーション。川岸氏は佐賀市出身で都内のすし店での勤務の傍らに独学で学んだカレーの専門店「カレーのアキンボ」を東京・錦糸町にオープン。2015年には佐賀に戻り、店名はそのままにコースのみの完全予約制にリニューアルし、カレーという枠に収まらない独自のスパイス料理を提供している。

地元・佐賀の「カレーのアキンボ」川岸真人氏(左)と沖縄からのゲストシェフの渡真利泰洋氏(右)

根底に交流があるから、コラボする両者の料理が交互に提供されるようなイベントとは全く異なる。LINEで常に連絡を取り合うだけでなく、舞台となる佐賀の食材や器の生産者を一緒に巡り、逆に沖縄本島や宮古島を訪ねて現地の食文化にじかに触れるなど、半年ほどをかけて互いの料理はもちろん背景にあるそれぞれの地元の伝統や文化までをも学んだからこその料理が提供された。

例えば沖縄のクレープのような料理である「ポーポー」の中には伊良部島のなまり節のカレーと生のフーチバー(ヨモギ)、島唐辛子を泡盛に漬けたコーレーグースが詰められ、「がめ煮 ドゥルワカシー」は現代で一般的な鶏肉ではなく、秀吉の朝鮮出兵の際に当時は「どぶがめ」と呼ばれていたすっぽんと野菜を煮込んだという由来に合わせて、佐賀で養殖されているすっぽんで作り、田芋を火にかけながらペースト状に練った沖縄の伝統料理「ドゥルワカシー」が添えられていた。

「名尾手すき和紙」のプレートで提供された「ポーポー」は、現代ではスーパーなどでも売られるカジュアルな軽食、お菓子だが、元来はお祝いの席で食べられるご馳走の一つだった。
「がめ煮 ドゥルワカシー」と人間国宝「中島宏」氏(弓野窯)の器。青磁作家として日本の陶芸界を牽引し、独創的な作品は「中島ブルー」「中島青磁」と呼ばれる。

「イラブチャー」は琉球王国とタイとの交易の歴史をから沖縄食材とタイ料理の技法とのコラボレーションだ。江口農園のパクチー、古閑ベリー園の唐辛子、こぶみかんの代用で冨田農園の仏手柑、丸秀醤油の味噌、ココナツミルクの代用で同じく丸秀醤油の甘酒などの佐賀県食材で作ったタイカレーペーストにイラブチャーを漬け込み、沖縄の月桃の葉で包んで蒸しあげた。

「イラブチャー」は佐賀産の様々な食材が使われたタイカレーという川岸氏の真骨頂。波の紋様が美しい器は、人間国宝「井上萬二窯」によるものだ。

メインの「祝いの山羊」はデクリネゾン。スパイスをまとわせた山羊の挽肉を焼き、仕上げに藁とシナモンの根の薫香を重ねたシークケバブに、山羊出汁のスープにフーチバーを底に忍ばせたそば、そして宮の華酒造の泡盛の酒粕を煮詰めたソースの山羊肉の煮込みカレー。さらにメニュー上は別に記載の「アイス」も宮古島の山羊のチーズが使われていたように、沖縄では貴重なたんぱく源として昔から食べられてきた山羊を余すところなく楽しめるプレゼンテーションだ。

「祝いの山羊」よりシークケバブは、日本で初めて色絵磁器を完成させた「柿右衛門窯」で。
「中里太郎右衛門陶房」の唐津焼で提供された山羊そば。具材を麵の下に隠す盛り付けは、宮古島の庶民の風習だ。
山羊カレーには明治後半の開業と比較的新しく、最新のデジタル技術など積極的に取り入れる「李荘窯業所」の器が用いられた。
「アイス」は山羊チーズ、豆腐よう、そして佐賀「ナカシマファーム」のブラウンチーズの3つの味を、白磁を追求する「井上萬二窯」の器で。ペアリングは宮古島の古酒(くーす)。

そしてそれらを盛る器も、「USEUM SAGA」が「美術館(MUSEUM)に飾るような人間国宝などの器を使う(USE)」というコンセプトとはいえ、きらびやかなものや希少なものがこれでもかと続いたわけでは決してない。現代ではカジュアルなお菓子ながら、伝統的には端午の節句に子供の成長を願って食べられていたご馳走だという「ポーポー」は、300年以上の歴史を持ち長年にわたって神事に使われてきた「名尾手すき和紙」のプレートに乗せられ、太良の海男オイスターの生牡蠣と東鶴酒造の酒粕のアイスをカブとそのジュレがつなぐ「カキトカブ」には、焼き締まる磁器の形が歪んだり割れたりしないための焼き台で、窯に入れる磁器と一緒に縮むがゆえに基本的に使い捨てにされる「ハマ」が再利用されたように、文化の紹介や社会的な課題への提言までもが含意されている。

「カキトカブ」には「ハマ」を再利用。牡蠣の殻を支えているのは磁器の原料となる陶石だ。

最後のメニューは「オリオンビール」。オリオンビールを使ったアイスクリームや海ぶどうなどを使ったパフェのようなデザートで、グラスを支える土台も宮古島の浜辺の砂だ。これをホール・キッチン関係なくスタッフ全員で提供しながら、ゲストとオリオンビールの入ったグラスを持って乾杯して周るという趣向で提供されたが、これは宮古島の習慣である「オトーリ」を模したものだ。お祝いの席で1つの杯に酒を注いでは飲むことを繰り返してみんなで喜びを分かち合うという本来は回し飲みの文化で、それを初対面同士でましてやコロナ禍を経た中でそのまま行うのは現実的ではないが、それでもその精神性は確かに感じられる演出だった。佐賀と沖縄のコラボレーションによる、「食体験を通して現地の文化を知る・学ぶ」ことが肝となるローカルガストロノミーイベントの大団円として、これ以上のものはなかっただろう。

戦後いち早く業務用食器の市場を開拓した「徳幸窯」の器に宮古島の砂を乗せた「オリオンビール」
ゲストと乾杯して回るスタッフたち。

食材に恵まれ、器にまつわる長い歴史と文化があり、それらの作り手と料理人とが連携し切磋琢磨する環境も整いつつある佐賀県。さらにJR佐賀駅は福岡空港からも特急で1時間程度と国内外のフーディーにとってのアクセスも良好で、集客も見込まれる。近年、地元に帰るだけでなく、食材などとの出合いをきっかけにそれまで縁もゆかりもなかった土地に移住して独立開業を果たす料理人も増えているが、これから独立しようという県外の若手、中堅の料理人にとっても、大都市・福岡の陰に隠れがちな佐賀県は密かな狙い目になるのではないか。

text:小林乙彦(料理王国編集部), photo:水田秀樹

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