「あひるの焼き物でございます」。「キジハタの清蒸でございます」。
「赤坂璃宮 銀座店」で料理が運ばれてくる。サービスの方が、大皿にのった料理をテーブルに一旦置く。その途端、同席した一同から歓声が上がる。
食欲を掻き立て、胸を焦がすのは、この道60年の焼き物師、梁偉康さんの手による焼物の色艶であり、皿から立ち上る香りであることには間違いない。
だがそこには料理だけではない、他店とは違う華やかさが厳然とあって、我々の心を揺さぶるのである。
先日は、香港風しゃぶしゃぶをいただいた。たぎった上湯に、野菜や海鮮、干貨に上質な肉類や内臓類をさっと入れて食べる、贅沢な鍋である。
「こちらがスープです」。サービスの方が鍋の蓋を取って説明してくれる。琥珀色に輝くスープに嬌声が上がり、皆が目を細めた。その時、「蓋をもう一度かぶせていただけますか。写真を撮りたいので」と、誰かが言い、皆が賛同した。
早く食べたい。早く食べたいが、蓋をかぶせた姿に全員が見惚れていたのである。
璃宮で使う皿は、有田窯に特別に頼んで焼いてもらった皿である。出会いは1980年、譚彦彬氏が京王プラザの「南園」に務めたときだという。
「ホテル内で有田市が開催されていて、その時有田の方から中国料理でも使ってくださいよと言われ、同じ箸文化だから面白かもしれないゾ、と思ったのがきっかけでした」
中国料理の本を見せると、「これなら我々にも絵柄がある」と言われ、有田焼の名人を数人呼んで、一週間料理を食べてもらったのだという。その中には人間国宝の井上萬二氏もいた。
井上萬二氏には白磁の皿でショウプレートを作ってもらい、料理用の皿も次々と作ってもらった。その頃中国料理の皿といえば、丸か楕円の瀬戸物で、料理の飾り付けとして周囲に、レモンやオレンジを飾っていたという。
「僕はそれが嫌だったんですね。それでリム皿や、レンゲで炒飯が食べやすい皿、佛跳牆用の壷、炒め物や魚の清蒸用の皿を作ってもらったんです」
「どの皿も、盛ってみると料理がうまそうに見える。あの頃は一番突っ張っていましたからね。高い皿買ってもらったんだから、新しい料理を作らなきゃいけないと、自らにプレッシャーをかけて色々やりました」
その後ホテルエドモント「廣州」に移った。当時、「和牛の黒胡椒炒め」、「蟹爪の五目包み揚げ」、「渡蟹の生クリーム炒め」などの名作が出来たのも、有田の皿に触発された部分も大きいのだろう。
有田焼の皿に盛られた璃宮の料理は、余白に不自然がなく、皿と共鳴し、空気と馴んだ気品がある。
料理人の自我が消えて、食材や料理そのままが端然と佇んでいる美しさがある。それは譚さんが目指す、料理そのものなのかもしれない。
有田焼の皿に描かれた絵を活かした盛り付け
有田焼の大皿に盛られた「アワビのソース煮込み」。皿の中に描かれたボタンの花にアワビが寄り添い、1枚の絵画のようでもある。
Mackey Makimoto
立ち食いそばから割烹まで日々食べ歩く。フジテレビ「アイアンシェフ」審査員ほか、ラジオテレビ多数出演。著書に『東京 食のお作法』(文芸春秋)、『間違いだらけの鍋奉行』(講談社)。写真左が著者、右は譚さん。
赤坂璃宮 銀座店
東京都中央区銀座6-8-7 交詢ビルディング5F
03-3569-2882
www.rikyu.jp
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本記事は雑誌料理王国2015年3月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2015年3月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。