【美食書評家の「本を喰らう!」】『おいしいとはどういうことか』


「草喰なかひがし」店主の料理哲学

京都の山深い里にある、摘み草料理で知られる料理旅館「美山荘」で生まれ育った著者。高校卒業後、その店で本格的に料理の道に入り27年間勤務した。その後、1997年に銀閣寺のほとりに「草喰(そうじき)なかひがし」を開業。いまや京都で最も予約を取りにくい日本料理店といわれるほどの人気店になっている。その料理哲学とは?

「おいしいとは、体を喜ばせてあげたときに生まれる感覚のこと」そう言い切る著者の考え方のなかで私が特に注目したいのは、レシピや修行に対する疑問だ。決められた工程や分量にあわせて材料を用意するのではなく、材料の持ち味を把握して食べる人が求めるものに近づけるという、逆のアプローチがそこには息づいている。

不揃いの野菜は美味しい

身近な自然に親しんで家業を手伝いながら料理を覚えた著者には、学校で系統立てて料理を学んだ経験がない。その料理の殆どは、畑や野山で思いつくという。例えばまだ寒い春のはじめに、畑で葱を引き抜くと、温かい土の中に潜り込むようにして立派な根っこが出てくる。その瞬間「これは素揚げにしたら旨いやろうな」と感じるそうだ。

また、現在の「草喰なかひがし」は大原の地野菜を中心にしたスタイルだが、そこに至るまでに試行錯誤を重ねてきた。野菜も当初は町で仕入れていた。しかし、見かけは良くても野菜本来の味がせず物足りなかったという。やがて、大原の畑で通常の流通に乗らない不揃いの野菜に出会う。それは、著者が求めていた力強い野菜たちだった。

苦しい時こそ、何かに気づくとき

「町の野菜の見事さに目を眩まされていた」と著者は述懐する。開店以来、店にはお客さんが全く入らない厳しい時期を過ごしてきた。しかし、この気づきが大きな転機になった。苦しい時期こそ、方向転換をすべき時であることは間違いない。そのためには「いま目を眩まされているものは何か」に気づく必要がある。

本書には著者の出自が書かれているため、なぜその気づきを得られたかが説得力をもって伝わってくる。本書を伴走者として自分がたどってきた道を振り返ると、読者はきっと大きな気づきが得られるに違いない。読書への経済的・時間的な投資など安いものだ。料理人に限らず、現在苦しんでいて何らかのヒントが欲しい人すべてにお薦めしたい。

はしり、旬、なごり

料理哲学もさることながら、口中から唾が溢れだしそうになるほど、勢いがある料理紹介の筆致もわれわれ読者を愉しませてくれる。春夏秋冬「はしり、旬、なごり」。各食材のわずかな個性の違いについての流れるような記述は、歌舞伎の観客なら舞台にむかって「よ!なかひがし!」と屋号で声をあげたくなるほどの芸術的な逸品である。

野菜の味を引き出すための鮎や鯉や肉の話も問答無用で美味しそうだ。稲作農家まで土鍋と米を持参して炊いて食べさせたという話も著者ならではだ。日ごろ畑や野山をまわって料理をしながら考えていることを自然体で語りながら、昔の当たり前が今は当たり前ではなくなったことに警鐘を鳴らすくだりにはドキッとさせられた。じつに器の大きい本だ。

おいしいとはどういうことか (幻冬舎新書)
中東 久雄 (著)

吉村博光(よしむらひろみつ)
大学卒業後、出版取次トーハンで25年間勤務。現在は、HONZや週刊朝日などで書評を執筆中である。生まれは長崎で、ルーツは佐賀。幼少期は福砂屋のカステラ、長じては吉野屋の白玉饅頭が大好物。美食家だった父は、全国各地へ出張するたびに本や名産品を買ってきた。結果として本とグルメに目がなくなり、人呼んで“美食書評家”に。「読んで、食らう」愉しみを皆様にお届けしたい。


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