【美食書評家の「本を喰らう!」】『料理と利他』


吉村博光(よしむらひろみつ)
大学卒業後、出版取次トーハンで25年間勤務。現在は、HONZや週刊朝日などで書評を執筆中である。生まれは長崎で、ルーツは佐賀。幼少期は福砂屋のカステラ、長じては吉野屋の白玉饅頭が大好物。美食家だった父は、全国各地へ出張するたびに本や名産品を買ってきた。結果として本とグルメに目がなくなり、人呼んで“美食書評家”に。「読んで、食らう」愉しみを皆様にお届けしたい。

料理家・土井善晴に政治学者が迫る!

どれほど西洋的な自力の精神に染まっていたか、反省させられる本だ。たかだか200年くらい前の近代化によって、日本に根づく利他の精神は置き去りにされてきたのではないか。衝撃だ。「料理」に政治学者が迫ることで、ハレとケ、親鸞、丸山眞男、ハンナ・アーレントなど、これほどまでに多様な観点が提起されるのかと私は戦慄した。

温かい語り口で、料理への強迫観念を抱く人々を「救済」してきた土井善晴さん。東京工業大学で「利他」を研究している政治学者の中島岳志さん。知らないところで互いにひかれあい、ご縁が生まれ、コロナ禍でオンライン対談が開催された。本書は二度のトークを「料理から考えるコロナ時代の生き方」「自然に沿う料理」のテーマでまとめている。

家庭料理は民藝だ!

土井善晴さんには、海外での修業を終えて帰った際に父親から家庭料理の料理学校を継ぐように言われ「嫌だな」と思った過去があるそうだ。「キレキレの料理人を目指しているのに、なんで家庭料理やねん」という感覚だ。そんな時に日本民藝の重要人物・河井寛次郎の記念館に足を運び、大きな感銘を受けた。

お金をもらうための「洗練」を追求するプロの料理人を目指すなかで、知らないうちに家庭料理を見下していた。しかしそこで河井の民藝の美しさに触れ「家庭料理は民藝だ!」と発見する。民藝というのは芸術品と違い、日常遣いのために実用性を追求したものだ。しかしそれが、結果として美しくなる、という事実に気づいたのだ。

「みずから」より「おのずから」

美しいものを作ろうとする自力やはからいからではなく、無名性のなかで淡々と仕事をしていくうちに他力の美しさが現れる。例えば親鸞は、自力による賢しらなはからいが自分を苦しめていると説き、自然法爾の思想の「自」は「みずから」ではなく「おのずから」を意味しているという視点は、二つの料理のベクトルの違いをよく表している。

基本的に和食では「おいしいものを作ろう=自力」とは考えず、「おいしいものはもともとおいしい」と考えると土井さんはいう。料理をするのは一流の仏師が一木の中から仏さんを取り出すような感覚で、力ずくでなく「おのずと」料理ができてくるというのは一流の料理人には共通することかもしれない。しかし、レシピの分量主義とは対極にあることはわかるだろう。

「おのずから」できあがった本

それにしても、土井さんの「料理」に迫る中島さんの問いかけが優しく深く自由で、読んでいてじつに楽しかった。二人のやりとりが自然で、引き出しが多彩なのだ。無理して良く見せようと肩肘張ることなく、それこそ「おのずから」できあがった本なのである。料理人の方はもちろん、幅広い層にたくさんの示唆を与えるに違いない。

また、オンライン対談ならではの質疑応答コーナーには、「産業革命を経てイギリスの料理はまずくなった」という刺激的なやりとりもあった。近代化の過程で家事と仕事が分化されたことも料理を変えた。「キレキレの料理人」ではなく「一流彫刻家のような料理人」を目指すことは、日本人にとっては原点に立ち返ることなのではないだろうか。

料理と利他
土井善晴 (著), 中島岳志 (著)


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