教養としてのフランス料理 ①「グランメゾン東京」でもざわついた エスコフィエって誰?  


テレビドラマ「グランメゾン東京」で木村拓哉が演じる尾花夏樹が、パリでオーナーシェフとして二つ星を獲得したレストランの名前を「エスコフィユ」という。オーギュスト・エスコフィエからとったことは明らかで、このネーミングはフランス料理好きたちのハートをくすぐった。フランス料理人にとってエスコフィエは知らなければならない偉大なる人物である。「偉大なる」の形容詞にふさわしい功績とは?そもそも、エスコフィエとは何者なのだろうか?

現代フランス料理の父

エスコフィエは料理人である。12歳で厨房に立ち、現代のフランス料理の礎を作ったとされている。
彼が活躍したのは19世紀後半から20世紀で、日本では明治の変革期にあたる。当時のフランスは第二帝政下を経て華やかな発展を遂げ、万国博覧会でにぎわい、美食の都として花開いていた。食卓の快楽を求める人たちによって料理は複雑化し、どんどんゴージャスになっていった。味はさておき見た目が重視され、テーブルにはウエディングケーキのような造形的な料理が並んだ。
エスコフィエの功績はこうした時代に料理を簡素化し、合理化し、体系化し、味本位の方向性に改革したことにある。その象徴として、エスコフィエの著書『Le Guide Culinaire(ル・ギード・キュリネール=料理の手引き)』の存在は大きい。

社会的地位の向上

この本は1902 年に刊行され、火入れ、ソースなど5000種類もの料理のレシピと解説がのっている。現代のシェフが「古典」という言葉を使うときは、このレシピに行き着くことも多い。発行するにいたった背景には、エスコフィエが「オテル・リッツ」の料理長を務めた経験も影響しているだろう。創始者セザール・リッツとタッグを組み「ホテルの名声は料理で勝負することにもある」と考えたリッツの思いに応えながら、世界中に両者の名を轟かせたのだ。

その成功の裏には調理の合理化、近代化を推し進めたことがあげられる。前菜、魚・肉料理、デザートを基本とした現在のコースメニューに近いものを作り、過酷な職業であった料理人という仕事に分業を取り入れて負担を少なくした。
さらに、料理人の社会的地位の向上にも努めた。食文化を担う料理人という仕事は人々に尊敬されるべきものであり、そのために健康管理や知識も必要。そうした考えが『Le Guide Culinaire』に代表される多くの著書に凝縮された。エスコフィエの行動は身を結び、天皇の料理番として知られる秋山徳蔵はフランスに渡ってエスコフィエのもとで働いているが、フランスでの料理人の地位の高さに驚いたという。

エスコフィエは88歳でこの世を去るまで、料理界に何かを残すことを考え続けた。料理は食べたら消えてなくなるものだが、人々の心に残る。彼が遺したものは時代を越え、国を越え、受け継がれている。

エスコフィエが書いた本「Le Guide Culinaire」の迫力

原著初版は1902年。本書の前書きには、エスコフィエの言葉として、料理は時代や使う機材、客の嗜好によって変わるものであり、この参考書がすべてではない、と書いてある。とはいえ、多くの料理人はこの分厚い本をそばにおき、原点に立ち返りたいときにこの本を開く。そして彼らの解釈によってまた新しい料理が生まれる。まさにバイブルといえる一冊だ。


text 小林みどり illustration 中田圭美

本記事は雑誌料理王国2020年5月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2020年5月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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