こんな話がある。「ソース焼きそば」という料理は、中国の「麺」、西洋の「ソース」、日本の「調理法」を結ぶ「交差点」である、と。 翻って考えると、香港や中国だけでなく、ジョージアやアルゼンチンなどの世界を巡り、ときには中華以外のジャンルの料理の世界にも飛び込むなど、さまざまな”世界”を体験してきた「サエキ飯店」の佐伯悠太郎シェフは、自身が食文化の「交差点」として機能しているのかもしれない。なぜなら「サエキ飯店」は広東料理を楽しくて驚きに満ちた別次元の料理へと押し上げているからだ。
広東料理人としてストイックに修業した12年を経て、一度自らを解放し、心のままに世界を放浪した、佐伯悠太郎シェフ。風通しがよく、気持ちよく、ライブ感溢れる「サエキ飯店」はいったいどんな体験から生まれたのだろう。
「サエキ飯店」には、自由の風が吹いている。ここにあるのは、理屈抜きのおいしさと気持ちよさ。おそらく中国料理が好きな人なら「これは広東料理だ」と思うだろう。しかし、佐伯悠太郎シェフのマインドは異なる。「サエキ飯店の料理は広東料理…もっというと、中国料理って括ることにも抵抗があるんです。あえて言うなら、いろんな国の要素を自然に折り込んでいる香港の料理に近いと思っています」。
実はそんな佐伯シェフ、料理人人生の第一歩を”ガチ広東”から歩んでいる。転機は初めて訪れた香港だった。現地の空気に圧倒され、広東料理の道へとのめり込んだ。 目指すは「香港の厨房で働くこと」。 広東省の語学留学を経て、29歳で香港のワーキングホリデー制度を利用し、香港トップクラスの広東料理店「家全七福」で伝統料理を学ぶ。旺角(モンコック)の「鳳城酒家」で徹底的に仔豚の丸焼きを焼き、イノベイティブなホテルのレストランなどで力の限り働いた。
それだけではない。
広州では広東料理には欠かせない鶏の加工場の仕事も経験し、広東省21の市もすべて巡っている。「広東名菜の発祥の地や、食材などを求めてあちこち訪れました。実際に足を運んでみると、現地で自分の目で確かめることに意味があると思うんです」
すべては広東料理のため。そんな武者修行の成果は、帰国後に広東料理とヴァンナチュールの店「楽記」(現在は閉店)時代に花開く。しかし、かつて夢見た”香港の味を出す店”の料理長になったにも関わらず、思いもしなかった悩みが生まれた。 現地とは食材も環境も異なる日本で「香港縛り」で料理を出し続けることへの違和感が膨らんでいったのだ。
そこから佐伯シェフは旅人になった。テクニックではない何かを、自分が心から楽しむための何かを探す旅だ。 再び香港を経由して、向かった先はアルゼンチン。「牛肉がうまい」という情報を得て、飛び立ってからがすごい。南米はチリ、ボリビア、ペルー、メキシコ、キューバ。ヨーロッパはスペイン。そこからジョージアに行き、南へ下ってタイ、ミャンマー、インド、オーストラリア。道中では一度香港に戻り、農業労働と引き換えに、宿と食を提供す「wwoof (ウーフ)」という制度を利用し、オーガニック農家でベトナム人と1ヶ月間働いた。そんな放浪経験を経て、佐伯さんは、これまで追求してきた「型」から一度解放される。
帰国後、旅先から「働かせてほしい」とアプローチした日本料理の「傳」と、既知の広東料理店の両方で働きながら見えたのは「自分の家に来てもらって、おいしいものを食べてもらう」場を作ること。そうなると、お酒も自分が好きなものがいい。旅先のトリビシで、そのおいしさに夢中になったジョージアのワインもそのひとつ。アンバーワインと呼ばれるオレンジ色がかった白ワインで、クヴェヴり(素焼きの土器)に埋めて作られる醸造方法が特徴で、帰国後ものめりこんだ。料理とワインの相性というより、好きだから出す。「これなら薦められると思ったんです」。
後編へ続く
佐伯悠太郎(さえきゆうたろう)
1985年愛媛県生まれ。「聘珍樓 新宿三井ビル店」「福臨門酒家 大阪店」「赤坂璃宮 銀座店」を経て、広東省に語学留学。29歳でワーキングホリデー制度を利用し、香港「家全七福」ほか4店舗で修行。帰国後「楽記」料理長に。退任後、アルゼンチンを皮切りに、南米、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアなどを巡り、帰国後『傳』の厨房に入る。2019年4月「サエキ飯店」をオープン。
サエキ飯店
東京都目黒区三田2-10-30 荒井ビル1F
18:00 ~ 24:00
不定休
text 佐藤貴子 photo 田村浩章
記事は雑誌料理王国第304号(2019年12月号)の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第304号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。