■はじめに
この文章は今まで会った羊関係者・色々な記事・本・羊好きの先輩たち・お店の方・役所の方・大学の先生など様々な方達からお聞きした話とWEBや本の情報などを足してまとめた、素人が作った文章です。認識の間違いなど正確性に問題のある表現も含まれる可能性があることをご了承ください。あくまでざっくりと私と同じ立場の消費者が「ああ、日本の羊の歴史ってこうなんだなー」と理解していただければと思い制作しました。プロの方々は温かい目で見て頂ければ嬉しいです。
現代人が羊と言われて想像する羊は、もともと野生にはいない生き物です。紀元前7000年頃古代メソポタミア付近(今で言うシリアやレバノンあたり)で、コルシカ島やイラン・小アジアなどの山岳地帯に生息していたムフロンなど羊の原種となる生き物を家畜化・交配することにより産まれました。
この家畜化された羊が世界中に広まり、船に乗ってはじめて日本に渡ってきたのが、西暦599年。なんとあの有名な日本書紀に「推古七年(西暦599年)の秋9月の癸亥の朔に、百済が駱駝一匹・驢(ロバ)一匹・羊二頭、白い雉一羽をたてまつった。」と記述があります。それ以前には動物遺体の出土事例もなく、魏志倭人伝にも「羊はいない」と書かれているので、それまでの日本には羊がいなかったと考えるのが妥当です。(その頃の中国では羊と山羊の記述の違いがあまりなく、もしかしたら伝来したものは山羊かもしれません……。比較的近代の民国時代においても羊肉の消費量の中に山羊を含んでいる事例もありました。)
その後も度々貢物に羊の名前が見えますが、その羊が家畜として日本に根づくことはありませんでした。高温多湿な気候が羊の生育に合わなかったことと仏教文化による肉食への忌避感などが原因と考えられますが、もしかしたら文章に残ってないだけで、ある程度繁殖しその後途絶えていたのかもしれません。どちらにせよ平安時代までの日本にとって、羊は偉い方への贈り物的な扱いだったため庶民の目に触れることはなかったのではないかと思います。
その後時代は進み海外との交易が盛んになると、貴族や戦国武将の贅沢品として羊毛製の布製品が輸入されはじめ肉よりも羊毛の需要が高まりました。しかし、羊を飼おう!という機運はそれからしばらく立った江戸後期まで起こりませんでした。
飼育の始まった記録を見ると、1805年長崎奉行の成瀬因幡守が肥前国浦上村(長崎県西海市付近)へ羊を輸入し飼育を試みますが、失敗。同時期、幕府の奥詰医師であった本草学者の渋江長伯が巣鴨薬草園に中国から羊を輸入、繁殖させ数百匹まで増やしましたが大火により衰退してしまいます。残った羊は1857年、函館奉行所に送ったそうです。北海道の羊のはじまりはこの巣鴨の羊たちで、つまり中国原産で江戸育ちの羊たちだったと考えられているそうです。
ちなみに羊毛から羅紗織の試作なども行っていたので、この巣鴨薬園は「綿羊屋敷」とも呼ばれており、日本の羊毛産業の発祥は巣鴨ということになります。長崎の飼育も毛織物を作ることが目的だったそうです。
ちょっと脱線ですが、明治以前の日本人の羊に対する認識についてまとめてみました。
昔の日本に羊はいませんが、みんなが知っていた家畜でした。それはなぜかと言うと「干支」に含まれていたからです。見たことはないけど、みんなが知っていますし、中国の物語などでもよく出てくる。羊は概念としてみんな知っている生き物でした。
しかし、姿形がわからない。そこで、「ヤギに似ている」と言う中国の書物の記載に従い、絵などで羊を描く場合、山羊を書く事が多かったのです。虎や龍と同じく、羊は「知っているけど視覚体験がない」生き物だったのです。室町時代の「十二類絵巻」に描かれている羊はどう見ても山羊ですし、安土桃山時代に書かれた南蛮屏風にも、象や虎などにまじり描かかれているのもどう見ても山羊です。この状況は江戸時代に入ってからも続き、和漢三才図会にも「羊」の項目はあり「按ずるに華より来り。之を牧ども未だに畜息せず(羊は中国より来て、飼おうとしたけど家畜とできなかった)」と、山羊とは別物との認識はあったようですが、イラストはどう見ても山羊なのです。(そして、この項目、日本で羊が飼われていなかった証拠でも有るのです)。たまに、象やラクダなどと一緒に見世物として羊が居たとの記録がありますが、羊は明治に入るまで「知っているけど形がわからない生き物の立場」を取り続けます。今考えると不思議ですが、写真がなく海外との間のやり取りも限定的である時代はこれが当たり前なのかもしれません。
次回は、時代は明治に移り、羊が国策や富国強兵の文脈にのり始めた時代をまとめていきます。ご期待ください。
■巻末付録 近代の羊肉の動き 年表
提供:東洋肉店(URL:http://www.29notoyo.co.jp/)
※参考資料など※
国立歴史民俗博物館研究部民族研究系の川村清志先生の公演時の小冊子、畜産技術協会のHP(http://jlta.lin.gr.jp/)また、魚柄仁之助さんの「刺し身とジンギスカン: 捏造と熱望の日本食」、MLA豪州食肉家畜生産者事業団(http://aussielamb.jp/)、ジンギスカン応援隊(http://hokkaido-jingisukan.com/)綿羊会館が以前に出し、担当者さんから頂いたた資料、Wikipediの羊の項目、探検コム(https://tanken.com/)さん、を参考にしています。その他、各輸入商社さんや大使館などが出しているパンフレット情報などが参考になっています。古典解釈は小笠原強(専修大学文学部助教)先生にご協力いただきました。また、東洋肉店(http://www.29notoyo.co.jp/)さん初め多くの方に内容を確認いただきました。その他、羊飼いさんから聞いた話、羊仲間たちからの知識、どこかで読んだ知識などがまとまっています。羊に関わる皆様の知識を素人まとめさせてもらいました。皆さまありがとうございました!
文:菊池 一弘
株式会社場創総合研究所代表取締役。羊好きの消費者団体羊齧協会主席。羊を常食とする地域で育ち、中国留学時にイスラム系民族の居住区に住んでいたことなどから、20代前半まで羊は世界の常識と思ってそだつ。本業は「人を集める事」企画から集客、交渉や紹介など。公的団体の仕事から、個人までできる事なら何でもやるスタンス。最近は四川フェスの運営団体麻辣連盟の幹事長も兼務。監修書籍に「東京ラムストーリー(実業之日本社)」「家庭で作るおいしい羊肉料理(講談社)」がある。
校正とイラスト 金城 勇樹