公邸料理人に興味を持ったきっかけは、馬渡さんが「師匠」と呼んで尊敬する料理人から自身の体験談を聞いたことだった。師匠の赴任先はモロッコ。市場で羊肉を注文したら、生きた羊を1 頭渡され、そのまま名前をつけて飼ったというエピソードに笑い、料理や食材に関する話では、「世界にはまだ自分が聞いたことも見たこともないような食材が無限にあるんだ……」と気づかされた。せめてその一部でもいいから知りたいと思い、公邸料理人に応募したのだった。
「公邸料理人は“味の外交官”と言いますよね。なかには 本当に料理が外交に役立つのかと疑問に思う人もいるでしょうが、食には多くの可能性があることを私は東日本大震災で実感しました」
馬渡さんは福島県出身。震災による大きなダメージに人々が打ちひしがれていた時、多くのポランティアとともに福島を訪れたのが、駐日フランス大使館の公邸料理人だった。心のこもったフランス料理にどれほど励まされたことか……。
そんな馬渡さんが公邸料理人として最初に赴任したのはアメリカ・デトロイト。28歳で、日本ではすでにスーシェフの仕事をこなしていた。
デトロイトでは食材の入手に苦労することもなく、唯一不安だった語学についても、日々のコミュニケーションや地元の人たちに誘われてコンサートやスポーツ観戦、釣りなどを楽しむうちに克服することができたという。
「2か国目となるパナマでは薄力粉が手に入りません。日本風のケーキをリクエストされるため、大使や館員に頼んで日本で買ってきていただいていますが、切らしてしまった場合はケーキには米粉やタピオカ粉、天ぷらには中力粉に片栗粉をブレンドしたりして工夫しています」
また、電圧が不安定なので停電も多い。冷蔵庫で食材や料理を保管するのもヒヤヒヤもので、「大事なレセプションを前に “ どうか停電しないで ” と祈るような気持ちです」と語りながらも、表情は明るい。赴任から2年が過ぎた今は、そんな日常を楽しんでいるようだ。
しかし、なんといってもアメリカでの生活と大きく違う点は、アメリカでは独身だったのに対し、現在は夫と4歳の息子と3人で暮らしている点だ。「もう一度公邸料理人として働きたい」という馬渡さんの希望を叶えるため、夫は船乗りの仕事を辞めて同行。息子は赴任当時、まだ2歳だった。「女性の子連れ公邸料理人第 1 号ですね」と笑う。そこまで公邸料理人にこだわる理由とは――。
「多くのゲストに日本の食の素晴らしさ伝えることはもちろん、現地の未知なる食材や調味料に出会うことで自分の引き出しが増えていくことです」。ニャーメなど中米の食材を巧みに使い、新感覚の和食にも挑戦。これからもいろいろな食材を使って、ゲストに喜ばれる新しい味を生み出していけたらと抱負を語る。
text 上村久留美
本記事は雑誌料理王国2020年12月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2020年12月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。