レストランにおける人材不足は、決して料理人に限った話ではないという。サービスに携わる良い人材を確保し、長く活躍し続けてもらうには…?現場にこだわり続けるサービスマンの例から、そのヒントを探りたい。
「レストラン タテル ヨシノ」の総支配人である田中優二さんは、日本のレストランにおけるサービスの第一人者として、誰もが認める存在。コンクールで世界第2位の景色を見たのちも、今なお現場に立ち続けるその理由とは?
地元埼玉の県立高校を卒業後、田中優二さんが進学先に選んだのは、ホテルのサービスが学べる専門学校。「大学へ行くという選択肢はなくて、就職するか専門学校へ行くかの二択でした。ホテルの専門学校があることを知って、ホテル業界という華やかなイメージに惹かれて進学を決めました。最初はそんな軽い理由だったんです」
2年間のうち約9カ月は実施訓練に当てられ、4つのホテルでコーヒーショップ、客室清掃、ベルボーイ、中国料理レストランでのサービスを経験。就職活動が始まると早々に「都ホテル(現:シェラトン都ホテル東京)」の内定をもらう。「採用試験が一番早くて、都内のホテルの中で唯一6月頃に合否が出ていたんです。ここに決めてしまえば卒業まで遊んで過ごせる。内定後は一切の就職活動をやめました」
そんな田中さんが実施訓練でおもしろさを感じたのが、コーヒーショップやレストラン。そこで都ホテルでは料飲部門を希望し、年目はコーヒーショップとブッフェレストランに配属。2年目にはメインダイニングである「グリル・クレドール」への異動が決まった。
そこで田中さんは、当時の支配人だった金子龍彦さんと出会う。
「まさに、カリスマサービスマンでした。金子さんと出会ったことで、私はフランス料理のサービスを一生の仕事にしようと決めたんです」。金子さんは、サービス人が客席でスプーンやフォーク、ナイフを巧みに使って料理を仕上げるゲリドンサービスの日本における草分け的存在。ただし、仕事について具体的なことを言葉で説明することは一切なかったという。「身のこなし、歩き方、手の仕草、お客さまとの会話、キッチンに対するオーラ、すべてがお手本。あの人のようになりたいという一心でした」。
田中さんにとって、金子さんとの忘れられない思い出がある。
「当時まだ珍しかったレストランウエディングを実施したお客さまが、金子さんに『君はいいスタッフを持っているね』と、声をかけてくれたそうです。それをミーティングの場でみんなに話してくれたことがとてもうれしくて……。帰りのタクシーの中でひとりになってから泣いてしまいました。金子さんが褒められたこと、自分がそのスタッフの一員でいられたことが、何よりうれしかったですね」。