お豆腐ほど老若男女、日本人の食卓に汎く馴染んだ食材は他にはありません。江戸時代に出版された『豆腐百珍』という料理手引書が残されております。
生成りのままなれば奴豆腐、すなわち冷奴。冬場は湯豆腐、揚げ出し豆腐、田楽と、まさに煮たり焼いたり揚げたり蒸したり、あらゆる料理法によって百容百態。お馴染みのスタンダードから奇妙奇天烈なものまで、如何様にも適合する懐の深さ。言い換えればその持ち味は、決して自己を押し付けない、極めてニュートラルな普遍性を具えております。
京都には「お豆腐狂言」という言葉がございます。代々当主が「千作」を名乗られる、狂言の名門・茂山家を指す言葉でございます。元来、狂言は能に付随したもので、大名をはじめとする特権階級のためのものであり、その上演場所もほとんどが能舞台に限られたものでありました。しかしながら二世千作さんは市井のどこへでも出向き、たとえば結婚式の余興や町内の催し物など、場所を選ばず上演の機会を増やしました。そこで権威と格式を重んじる能楽界からは「なんや茂山はんはお豆腐みたいなもんやな」と揶揄されたそうであります。
京都ではおかずに困ると「今日はお豆腐にでもしとこうか」ということがよくございます。そのお豆腐になぞらえ、体面にこだわらず、乞われればどこへでも出向き、一般庶民を相手に狂言の普及に努められたということであります。皮肉なことに今日での狂言の隆盛に、この「お豆腐狂言」という柔らかい言葉が大いに貢献することとなりました。
お豆腐というものは全国津々浦々どこででも手に入れることができ、お料理の仕方、味付け次第では京懐石の瀟洒な逸品ともなり、手を加えずそのままでも日々のご家庭のお惣菜ともなり得る、誠に稀有なる食材でございましょう。
普通、「とうふ」は「豆」に「腐る」と書きますが、口に入れる食べ物に「腐」という字をつけること自体考えれば不思議なことで、これを嫌って「豆」に「富む」で「豆富」と読んだり、潔癖症で有名であった明治の文豪・泉鏡花先生などは、「豆府」という字をあてられたりしております。
私が思いますにお豆腐の第一の優性は、その淡白な持ち味により、あくどさや押しつけが微塵にもないというところでございます。これは和歌や俳句、日本画など、あえて余韻や余白を残し最終の解釈を相手に委ねる、という日本文化の古来の伝統にぴったりと合致するものであります。
この点が、長らく日本人の食卓に欠くべからざる存在感を保持している所以であると思います。故に、近頃流行りの大豆の味を前面に押し出したお豆腐には何か違和感を抱きます。やはりお豆腐はお豆腐らしく、出過ぎず端然とした佇まいを守るべき食べ物であります。我が京都には世に名高い「森嘉」さんの嵯峨豆腐がございます。このお豆腐こそ先述の特性をすべて具えた一品でございます。
木枯らしの寒さもここは知らぬげに色とりどりの花の顔見世
淡々斎
京の師走は南座の顔見世興行で始まります。朝夕がめっきり冷え込み小雪のちらつく中、昆布を敷き詰めてたっぷりのお湯を張った土鍋に、この森嘉のお豆腐を少し大きめに切り入れ、煮え花をお手塩に取り、すかさず土佐醤油と生姜、かつお節を添え口中に含むと、身体の底から得も言われぬ温かい満足感が生まれます。これぞ京都人にとりまして底冷えを追い払う、第一の御馳走でございましょう。
嵯峨豆腐 森嘉
京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町42
075-872-3955
● 8:00~18:00(但し8月16日、12月31日は売切れ次第閉店)
● 水休(火曜定休もあり)、1月1日~4日は休
森川裕之 Hiroyuki Morikawa
日本最初の板前割烹である「京ぎをん 浜作」の3代目主人。料亭が主流だった昭和2年に著者の祖父・森川栄氏が創業。その一期一会の料理は谷崎潤一郎、川端康成をはじめ棟方志功、梅原龍三郎、北大路魯山人、マーロン・ブランドや中村吉右衛門などなど、時代を創った政財界人から文化人、芸術家を魅了してきた。著者近著に『和食の教科書 ぎをん献立帖』『ぎをん 丼 手習帖』。「家庭でも気軽に楽しめる献立作り」を視野に、月7回の料理教室を開いている。
京ぎをん 浜作
京都市東山区祇園八坂鳥居前下ル 下河原町498
☎:075-561-0330 FAX :075-561-8007
●12:00~14:00、17:00~
● 水曜及び最終火曜日定休、要予約
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本記事は雑誌料理王国267号(2016年1月号)の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は267号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。