新潟市から南西へ25km、岩室温泉にあるのが「灯りの食邸 コカジヤ」だ。築150年の古民家を再生し、
イタリア料理店としてその歴史に新たなページを加えたのが地元出身の熊倉誠之助シェフ。イタリア料理経験はなかったのだが、独自の料理が話題を呼んでいる。
現在の日本には北海道から沖縄に至るまで東西南北津々浦々、郷土に根ざした実に個性的なイタリア料理店が数多く存在している。新潟県岩室温泉にある「灯りの食邸 コカジヤ」もそのうちの一軒なのだが、オーナーシェフである熊倉誠之助シェフの料理はどう表現したら良いのだろう。イノベーティブともコンテポラリーとも違う。あえていうなれば実に自由な発想に基づくリベラル・イタリアンという表現が相応しいのではないだろうか。
新潟に生まれた熊倉シェフは沖縄の大学で学び、そのまま沖縄のレストランバーで働き始める。バーテンダーとして軽食も作っていたが、知り合いになったイタリア料理のシェフたちから料理のコツやアイディアを得てイタリア料理に興味を持ち始めた。転機となるのは15年前のこと。熊倉氏曰く「父親からいい加減新潟に帰ってこいといわれた」とのことで新潟に戻り、出張料理などを経て独自で料理技術に磨きをかけ始める。その頃、月に一回出張料理でランチ営業をしていたのが「小鍛冶屋」と呼ばれていた築150年の古民家で、当時は荒れ果てていたという。そこで熊倉シェフは「小鍛冶屋」再生に乗り出し、2013年には改装を終えて「灯りの食邸 コカジヤ」として再スタートを切る。それは岩室温泉にともり続けた灯りを絶やさぬよう未来へと引き継ぐ画期的なプロジェクトだった。
料理は全くの独学という熊倉シェフは、岩室温泉が位置する西蒲区に伝わる伝統的な食文化に脚光をあて、イタリア料理という新たなアプローチで取り組みを始めた。狩猟免許を取得し、自ら鴨や雉を捕り、春先には店のすぐ裏にある松竹山で山菜を取る。西蒲区伝統の干し野菜をさまざまな形で料理に取り入れ「灯りの食邸 コカジヤ」でしか食べられない独自のイタリア料理へと辿り着いたのだ。
「イタリアでの修業経験はもちろん、イタリアに行ったこともないのです」と熊倉シェフはいうが、それゆえに従来の既成概念にとらわれない、新しい発想のイタリア料理を生み出せるのではないだろうか。イタリア修業経験がない代わりに郷土性や地元の食文化を探求し、独自のイタリア料理を作り上げる。今回日本全国を取材してそうしたシェフに数多く出会ったが、中でも熊倉シェフは際立つ個性と才能を発揮する料理人だ。
切り干し大根はじめ西蒲区を代表する干し野菜からとったエキスは十種類以上を常備し、狩猟肉の端材を集めて塩麹で発酵させた肉醤油も自ら作る。「自分にとって醤油を使うことに抵抗はないが、とはいえ今後和食や中華寄りになることはない、あくまで自分の料理はイタリア料理だ」と熊倉シェフ。また「新潟は海も山もあり、南北に長いので食文化も多様。そうしたところがイタリアと似ているので料理の親和性もあると思う」ともいうがこれは奇しくも90年代イタリアを代表するシェフ、ジャンフランコ・ヴィッサーニが言った「イタリアにはイタリア料理という名の料理は存在しない。あるのは無数の地域料理=クチーナ・テリトリアーレのみだ」という言葉とぴたりと一致する。風土も気候も食材も異なる地域で生まれ食べ継がれてきた料理には必ずその意味がある、という金言だ。
また、熊倉シェフは新たな地域再生プロジェクトも複数手がけており、古民家を再生した焼鳥店「岩室 とり蔦」や一棟貸切りの宿「岩室久元」も岩室温泉内にオープン。地域活性化に大いに貢献している。生まれ故郷全体の再生まで視野に入れたシェフは日本広しといえどそう多くはない。今や新潟のみならず日本を代表するローカルガストロノミーの旗手となりつつある熊倉シェフの精力的な活動は、今後も注目に値する。
熊倉誠之助
沖縄にてバーテンダーとしてキャリアをスタートし、日本バーテンダー協会主催のカクテルコンペティションで数々入賞。その後独学で料理を学び新潟へ帰省。ケータリングシェフを経て、2013年「灯りの食邸 コカジヤ」を開業。近年では隣接する空き家を利活用し、「岩室 とり蔦」「岩室久元」を開業するなど、温泉街の活性化に貢献している。
KOKAJIYA
新潟県新潟市西蒲区岩室温泉666
TEL 0256-78-8781
ランチ12:00、ディナー18:00一斉スタート
定休日:不定休
text&photo: Masakatsu Ikeda(Italian Week 100 Director)