2025年7月30日、東京・有楽町にある帝国ホテル 東京のメインダイニング『レ セゾン』にて、総料理長の杉本雄氏が手がける一夜限りのフルコースを提供するイベント「”Dîner de la Sincérité” ~杉本雄の”サンセリテ”~」が開催された。そもそも帝国ホテルの料理長がを腕を振るうディナーイベントは第11代東京料理長の村上信夫氏が1978年にスタートし、杉本氏も第14代東京料理長に就任した2019年から継承している。13回目の今回は、京都府とのコラボレーションが実現。京都産の食材をふんだんに使用した一期一会のフルコースディナーの模様をレポートする。
帝国ホテルではもともと1978年に、当時の料理長だった村上信夫氏が一期一会の美食会をスタート。その後、料理長による美食会は田中健一郎前料理長から、杉本料理長へと受け継がれた。「杉本雄のサンセリテ」は、杉本氏の料理長就任から間もない2019年7月にメインダイニング『レ セゾン』で初開催。その後、コロナ禍においても安全面に配慮しつつ、年2~3回のペースを維持しながら回を重ねてきた。
イベント名の「サンセリテ」とはフランス語で「誠意」のこと。食材への誠意、その生産者への誠意、料理そのものへの誠意、そしてそれを口にするお客様への誠意…。それら全ての誠意を込めて、杉本料理長が自ら命名した。
やがて、開催を重ねる中で「杉本料理長の料理を食べる機会がもっとあればいいのに」という要望が多く寄せられるようになり、年数回の「サンセリテ」とは別に、『レ セゾン』の個室を使った完全予約制のコースを提供するプラン「アンティミテ(親密)」がスタート。双方の差別化を図るため、「サンセリテ」は地域共創をテーマに、各地の生産者が手がけた優れた食材にフォーカスするスタイルへと進化を遂げ、現在に至る。
さらに、「サンセリテ」は『レ セゾン』に加えて、『鉄板焼 嘉門』でも開催されるようになった。各レストランの個性を活かした料理を提案することで調理法の幅も広がり、地域の食材の魅力をより多角的に発信することが可能となった。
一方で「サンセリテ」は、帝国ホテル 東京で従事する350人以上の料理人にとっても、毎回楽しみなイベントだという。日頃、分刻みの多忙なスケジュールをこなす杉本総料理長が厨房に立ち、調理する姿を間近に見られる数少ない機会であり、貴重な学びの場でもあるのだ。
この日の厨房には、大勢の料理人たちが揃い、杉本総料理長はアミューズ・ブーシュを含め全8品を調理した。
杉本総料理長は今回の開催のために約半年かけて3度京都を訪れ、複数の生産者との対話を通して得たさまざまなインスピレーションをもとにメニューを構成。料理とペアリングするドリンクにも京都産のものをセレクトした。それでは、今回の料理の一部をご紹介していく。杉本氏が東京料理長に就任してから掲げる「サステナブルとラグジュアリーの両立」というコンセプトを、今回のコースでも体現している点にも注目したい。
アミューズ・ブーシュ 七谷鴨の生ハム
まずは、“シェフのおもてなし”としてメニューに記載のない一品から。木のカッティングボードに載せて運ばれてきたのは鴨の生ハムと、マッシュルームの薄切りを花びらに見立てたフローラルパイ。使われている鴨は、京都府亀岡市で生産されている「七谷鴨」。フランス産シャラン鴨に負けない国産鴨を目指して開発され、その品質の高さは多くのトップシェフが認めているほど。七谷鴨の飼料にはカシスが使われていることから、パイの表面にはカシスパウダーを振りかけている。
仕上げ作業はゲストの目の前で。鴨の肉にナイフを入れて薄く切り、半分にカットしたパイに載せて完成。パリパリした軽やかな食感のパイが口の中で崩れていき、咀嚼を進めるごとに広がる鴨の旨味に、思わず顔がほころぶ。
鮎 初夏野菜のタルトレット オシェトラキャヴィアを添えて
かやぶきの里として知られる京都府南丹市美山町。昔ながらの里山の景観が残る自然豊かな地域で、そこを流れる美山川は水質が良いことから、天然鮎の生息地としても有名だ。そんな美山川の鮎を初夏の野菜、キャヴィアとともにいただく一皿がこちら。
美山川の鮎は、水温が低い清流で育つため身は引き締まり、川底の藻を食べて育つことから、ほんのりした香ばしさのある繊細な味わいが特長。「日本で最も美しい村連合」に加盟する美山町では自然環境の保全が徹底されており、鮎も地域資源の一つとして大切に扱われ、夏の観光と食文化を支える存在となっている。
杉本総料理長は今回、美山川の鮎の旨味が最も引き立つ塩焼きをアレンジ。頭部を取り除いた鮎を春巻きの衣で包んで揚げ、水流のように引かれた2色のソースからは、澄んだ水の中を泳ぐ鮎の生き生きした姿が目に浮かぶ。茶色のソースには鮎のペーストを用い、緑のソースにはタデから抽出したオイルが使われている。
初夏野菜のタルトレットは、鮎の内臓の塩漬けをゆっくり火にかけてペースト状にし、それをキャヴィアで覆う。その上にはズッキーニのアイスクリームと花ズッキーニを。
美山川では「友釣り」と呼ばれる鮎の伝統的な漁法が盛んで、最初におとりの養殖鮎を確保し、それを生きたまま泳がせて、縄張り意識の強い鮎が体当たりしてきたところを釣り上げる。杉本総料理長もチャレンジしてみたものの、1匹も釣れなかったそう。そんなエピソードをシェフから直接聞ける距離感の近さも、サンセリテの大きな魅力だ。
鱧 炭落とし 茸のミジョタージュと黒トリュフ香るコンソメスープ
2品目は、夏の味覚を代表する「鱧」を使った料理だ。スタッフが盛り付け前の鱧を鍋ごとテーブルへ運んで見せてくれた。鍋底には石が敷かれ、2本の大きな炭の表面には鱧の身が巻きついている。これは、塩のみで調味した鱧の身を炭で軽く炙ることで香ばしさを加える「炭落とし」という日本料理の技法。日本料理とフランス料理の融合が、ゲストの期待を高めてゆく。
使用しているのは生食可能なほど鮮度の良い鱧。そのため火入れは皮目からのみ。丁寧に骨が処理された鱧の身はふんわり、そして炭による香ばしさが感じられた。白いソースは出始めの新ニンニクのソースで、ニンニク特有の香りやえぐみ、苦味がないため、鱧と合わせると軽やかで淡白な中にも旨みの余韻が舌に残る味わいだ。
そしてこれで終わりではなく、続いてテーブルには黒トリュフの薄切りをトッピングした鱧のコロッケが運ばれてきた。ピンチョスのように串が刺してあり、一口でいただくと黒トリュフの芳醇な香りが鼻腔を抜け、小ぶりながら食べ応えがある。
さらに続きがあり、スタッフに言われるがままコロッケが載っていた器をひっくり返すと、内側には玉ねぎのペーストが塗りつけられ、カラフルなエディブルフラワーが飾られていた。
ここに、鱧の骨で取ったダシのスープを目の前で注がれた。かき混ぜると玉ねぎのペーストが溶け込み、コンソメスープが完成した。
実はこのスープに使われた器も、杉本総料理長こだわりのセレクトによるもの。京都発のブランドが手がける紙製のコップで、表面を漆でコーティングすることで高い耐久性と優れた抗菌性をもち、何度も繰り返し使え、最終的には土に帰るというサステナブルな製品だ。森を意味する木叢(こむら)から「KOMLA」と名付けられたこの製品は、帝国ホテルのメインダイニングのテーブルに置かれても違和感がないほど、モダンで高級な雰囲気が感じられた。
オマールブルー 海老のナヴァランとコニャックのフランベ 京甘長とうらがしのトリコロールパプリカのゼブラ
オマールブルーと万願寺甘とう。フランス料理の高級食材と、京都の伝統野菜のマリアージュとも言える一皿の登場だ。ここでも盛り付け前のパフォーマンスとして、目の前にはぶどうの枝とオマールブルーの入った鍋が運び込まれた。ゲストは目の前でコニャックが注がれる迫力のフランベを楽しんだ後、取り分けられた料理をいただく。
万願寺甘とうは「京のブランド産品」の一つで、昭和初期に京都府舞鶴市の万願寺地区で生まれた万願寺とうがらしを品種改良し、地域限定で生産されているもの。
「万願寺甘とうは唐辛子の中でもサイズが大きな品種で、厚みがあって辛くないのが特徴です。切り刻んで使うよりも、この形そのものを活かした料理にするのがベストだと感じました。このようなインスピレーションは、やはり現地での生産者の方たちとのコミュニケーションによって得られるのです」と杉本総料理長は語る。
尚、フランベで使用したぶどうの木の枝は、亀岡市にある「HANDOVER FARM(ハンドオーバーファーム)」を視察した際、持ち帰らせてもらったものだという。
甘鯛 カリカリの鱗焼き モダンに仕立てた白ワインバターソース
アカアマダイを京都では「ぐじ」と呼ぶ。淡泊ながら甘みのある上品な味わいで、京料理には欠かせない高級魚として知られる。「丹後ぐじ」は劣化が早いため、延縄漁で釣り上げた後、厳格な品質管理のもと高鮮度のまま出荷される。2012年には「京のブランド産品」に認証されたブランド魚でもある。
白ワインとバターのソースには、泡立てた卵白とネギも加え、酸味とコクのバランスが絶妙な仕上がりに。火入れを最小限に抑えた甘鯛と京野菜のフレッシュな香りは、コースの流れの中でもアクセントの役割を果たしてくれた。
賀茂なす イチボ肉のミソナードと牛生ハム ヴィテッロ・トンナートソースで
コースもいよいよ肉料理へ。一品目は京都の夏の味覚として知られる賀茂なすと牛イチボ肉を用いた、軽めの仕立てだ。賀茂なすを皮と実に分け、オリーブオイルで軽く揚げた皮の内側に、実とイチボ肉をミルフィーユ状に重ねたものを包み込んでいる。一度バラバラにしたナスを、再びナスの形に成形した手の込んだ料理だ。茶色い粉末状のソースは、ツナ、ケッパー、アンチョビなどを使用するイタリア・ピエモンテの代表的なトンナートソースをアレンジしたもの。トマトを使ったカリカリのスポンジケーキを散らして、色彩と食感のアクセントに。
京丹波 日本鹿 ロース肉のカイエット 黒コショウをきかせたジュと鹿ブリオッシュ
農業被害の深刻さから、年間2万頭ものニホンジカを駆除せざるを得ない状況が続いている京都で、国産ジビエ認証第1号を取得したジビエ処理施設を持つ「鹿肉のかきうち」の鹿肉を使用した一品。徹底した衛生管理のもと、捕獲から加工までを一貫して行い、安全で高品質な鹿肉を提供していることに杉本総料理長は感銘を受け、「帝国ホテルで培ってきた熟成技術や調理技術と組み合わせることで付加価値が高まり、より多くの方にその魅力を伝えられるのではないかと考えています」と話す。
日本鹿のロースをクレピーヌで包み、黒コショウの効いたソースを合わせた。肉汁を閉じ込めたロースにハーブの香りが重なり、素朴ながらもジビエの力強い味わいが感じられる。鹿肉の純粋な旨味を最大限に引き出したような、澄んだ味わいが印象的だった。
丸利𠮷田銘茶園 抹茶 宇治タルトレット 濃茶のアフォガード カモミールアイスクリーム
コースの締めくくりに、デザートも得意とする杉本総料理長のこだわりが詰まった一品。宇治市の小倉地区で16代続く「丸利𠮷田銘茶園」の宇治茶を使ったタルトレットに、目の前で立てた抹茶のソースを回しかけて仕上げた。タルトレットの上には、カモミールのアイスクリームとホワイトチョコを。
丸利𠮷田銘茶園では、本ず覆い下栽培と呼ばれる茶葉をよしずとわらで覆い日光を遮る伝統的な栽培方法と、手揉みの製法を守り続けている。令和元年の大嘗祭では献上玉露を奉納し、農林水産大臣賞も過去20回受賞するなど、宇治茶の伝統と品質を今に伝えている。
締めくくりには、ゼリーのように仕立てた葛寄せが提供された。旬の桃を皮ごと薄くスライスし、白い小花と金箔を飾った、雅で爽やかなデザートだ。
京都産ドリンクとのペアリングも魅力
今回のサンセリテでは、食前のドリンク、食中酒、食後酒まで、京都産が中心に揃えられた。
食前に用意されていたのは、「京都宇治玉露 玉兎(たまうさぎ)」。京都府、(公社)京都府茶業会議所、京都府茶協同組合など、官民が一体となって進めている宇治茶ブランド新展開プロジェクトによって生まれた瓶入りの宇治玉露だ。日光を遮って栽培された新芽を用いて抽出方法にもこだわることで渋みが抑えられ、まろやかな甘みと旨味が引き出されている。
今回の取材を通して感じたのは、杉本総料理長の真摯な姿勢。今年の4月には、東京料理長に加えて帝国ホテルの事業所すべてを統括する総料理長に就任し、活躍の幅を広げ多忙な日々を送る中、日本の食が抱える課題解決やサステナブルな未来に対する、自身の選択の影響度の高さを自覚し、その責務と向き合う誠実さを改めて感じたのだ。
「サンセリテ」は今後、そんな杉本氏の軌跡となり、これからも進化し続けていくイベントとなるだろう。
杉本 雄(すぎもと ゆう)
(株)帝国ホテル 常務執行役員 総料理長 兼 東京料理長
1999年に帝国ホテルで料理人としてのキャリアをスタート。2004年に渡仏し、ヤニック・アレノ氏やアラン・デュカス氏のもと、フランス最古のホテル「ル・ムーリス」の三ツ星レストランでシェフを務めるなど研鑽を積む。2012年には「プロスペール・モンタニエ料理コンクール」で日本人として初優勝、続く「ル・テタンジェ 国際料理コンクール フランス大会」でも優勝を果たす。2017年に帝国ホテルへ再入社し、2019年に東京料理長就任。2025年4月、帝国ホテルの全事業所を統括する第3代総料理長に就任。6月にはフランス共和国より「フランス農事功労章シュヴァリエ」を受章し、次世代育成にも力を注いでいる。
text: Hanayo Tanaka